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文化
令和2年2月3日
今日は節分で、各地の社寺で豆まきが行われました。
豆が「魔を滅する」から、あるいは「魔の眼を滅する」から、それが〝豆まき〟なのでしょう。また、豆(大豆)には豊富な栄養があり、健康食品としてもすぐれているからなのでしょう。特に炒った大豆は、火を通していますから人にも食べられます。できれば発酵して納豆にすればよいのですが、残念ながら豆まきには使えません。
幼い頃、父と二人だけで地元の神社で誰もいない中、豆まきをした記憶があります。父があまりに大きな声で「鬼は外!、福は内!」と叫ぶので、私ははずかしくなり、声も出せませんでした。それでも父が、「お前も声を出せ!」と言うので、何とか頼りない声を出しました。
今日、人はこんなことをどう思っているのでしょうか。もちろん、豆まきをする人は今でもたくさんいます。コンビニやスーパーで節分の豆が売り出されれば、何となく気になります。中には「〇〇厄除よけ大師祈願」とまで、宣伝している商品まであります。有名寺院ではゲストのタレントさんの顔を見たくて、その豆まき行事に群参します。恵方巻ももちろん売れています。
これはこの国の文化なのです。また、この国に宿った民族の血なのです。そして、人というものの不変の願望なのです。
魔を滅するから「豆まき」だといえば、幼稚な語呂あわせと笑うかも知れません。でも、人は誰でも魔を恐れ、少しでも逃れたいと望んでいるのです。そうでなければ、厄よけの祈願にこんなに人が集まるはずがありません。魔(悪いもの)を除きたいという気持は、いつの世でも変わりません。