ある街の入り口で

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令和2年7月22日

 

ある街の入り口で、おじいさんが一人、大きな石に腰をかけていました。そこに若い男が一人、その街を訪ねてやって来ました。そして、そのおじいさんに聞きました。

「あじいさん、この街はいい街でしょうか。いい人がたくさんいるでしょうか。私は幸せになれるでしょうか」

「おまえさんが今まで住んでいた街は、どんな街だったのかね」

「それはもうイヤな街でした。意地悪な人ばかりで、つらい思いをしました。だから幸せになりたくてやって来たのです」

「そうだなあ、残念だが、この街もまた今までと同じだろうよ」

しばらくして、また別の若い男が一人、同じようにその街を訪ねてやって来ました。

「おじいさん、この街はいい街でしょうか。いい人がたくさんいるでしょうか。私は幸せになれるでしょうか」

「おまえさんが今まで住んでいた街は、どんな街だったのかね」

「それはもういい街でした。親切でいい人ばかりでした。私はとても幸せでした」

「そうかい、じゃあ、この街もまた今までと同じだろうよ。よかったなあ」

このお話は何を語っているのでしょうか。まず考えられるのは、自分が変らねば、自分の心が変らねば、何も変わらないということです。イヤだイヤだという思いで人に接していれば、その思いが心を占領するのです。だから、ますますイヤな人に囲まれていくのです。どんな街に行っても同じです。だから、自分が変らねば何も変わらないのだという教えなのでしょう。

さらに考えますと、いい人に囲まれるから幸せになるのではないという教えにも聞こえます。いい人が幸せをくれるのではなく、自分がいい人にならなくては、幸せにはなれません。自分がいい人になれば、まわりの人も少しずつ変わっていきます。少しでもいいところを見つけて接すれば、まわりの人も少しずつ変わっていきます。与えられるから幸せになるのではないのです。幸せはそれを見つけ出し、それを感じ取るものだからです。それを見つけ出し、それを感じ取れれば、幸せになれるのです。

山路天酬密教私塾

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