法衣を着たホスト

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仕事

令和2年11月27日

 

私は半ば冗談に、しかし真剣に、自分の職業を「法衣を着たホストです」とお話をしています。

どうしてかと言いますと、私を信頼し、私を慕ってくださる方、つまり私を〝指名〟してくださる方がいなくなれば、私はご信徒(お客)を失うからです。ご信徒を失うということは、私の価値は消え失せ、お寺を経営していくことなどできなくなるからです。もちろん、生活していくこともできません。私はいつも、そんな気持ちで毎日を過ごしています。

これは、私が「職業とはすべてサービス業である」と思っているからでもあります。人はみな何かを提供しながら、つまり何かを与えながら生きています。労働力であれ、商品であれ、技術であれ、情報であれ、アイデアであれ、何かを与えることにより、収入を得て生活をしています。しかし、与えるということはまた〝売る〟という意味でもあるのです。売れなければ与えることはできません。

では、どうしたら売れるのでしょうか。そのためには人が望むもの、求めるもの、満足するものを与えねばなりません。しかし、それだけでは売れません。人が喜ぶプラスの何かを与えねばなりません。プラスの何かとは笑顔であり、親切であり、思いやりであり、つまりサービスなのです。サービスが悪くては、何も売れません。だから、職業とはすべてサービス業なのです。私はそう思っています。

人は望むものが得られるとしても、気に入らない人には近づきません。雰囲気の悪いお店には行きません。少しぐらい遠くても、気に入った人に、気に入ったお店を求めるからです。この世で最も役立つ才能は、人に好かれることです。そして、最後まで残るのは人柄です。皆さん、そう思いませんか。

私は毎日、このような気持ちで法衣を着てお護摩やご回向を修し、ホストを務めています。もちろん、クラブのホストばかりではなく、「主人」という意味も含めてのお話ですよ。

山路天酬密教私塾

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