令和2年1月28日
人は何もかも与えられることはありませんが、何もかも失うこともありません。
江戸時代の中期、とてつもない天才がいました。名を塙保己一といいます。今の埼玉県本庄市に生れましたが、五歳で失明し、十二歳で母と死別しました。しかし、彼はずばぬけた記憶力を天から授かりました。読んでもらった日本の典籍を、ことごとく暗記することができたのです。彼は人が読んでくれる文字を、心底に写してこれを熟読したのでした。
二十七歳の折、亀戸天満宮(現・東京都江東区)に参詣して一万日(二十七年)の間、毎日『般若心経』百巻を読誦する誓願を立てました。つまり、一万日で百万巻読誦を目ざしたのです。これは大事をなすには、神仏のご加護なくしてありえないという信念からの決心だったのでしょう。しかも彼は、半ばの五十万巻に達するまでに、千冊の典籍を読んでもらい、百万巻終了の折には記憶したすべての典籍を出版しようとまで考えたのでした。
彼は『般若心経』十巻を読誦するたびに、紙のこよりを小箱に入れ、妻がそれを数えて記録しました。彼は一万日で百万巻はおろか、七十六歳で没するまでの四十三年間、毎日の読誦を一日として怠りませんでした。その四十三年間の読誦は、何と二百一万八千六百九十巻とまでいわれています。
そして彼は、記憶したすべての典籍を集成して、『群書類従』正編五百三十巻、続編千百五十巻という膨大な出版を完成させました。これは典籍の定本と伝本を比較校訂までも含めた、まさに前人未到の偉業でありました。今日でもなお、国学研究に大きな貢献をしています。
いったい、人が読んでくれる文字をここまで心底に写し、記憶できるものなのでしょうか。彼の超人的な努力はもちろんでありますが、私たちの常識を超越したその才能は『般若心経』読誦の功徳というよりほかはありません。人はすべてを失ったように見えても、天から与えられた何かがあるのです。このような偉人がいたことは、この国の誇りであります。