毎日100枚のハガキを出した人

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令和元年8月13日

 

私が上京した昭和40年代、官製ハガキは一枚10円でした。つまり、一ヶ月間にハガキを毎日一枚ずつ出しても300円です。

一人で東京に移り住んだ私は、右も左もわからず、どうしたものかと悩んだものでした。そこで毎日、日記のつもりで父にハガキを出すことから始めました。つまり、300円の最も有効な使い道はコレだと考えたからです。

たかがハガキ一枚とはいえ、父が保管をするだろうと思えば、うかつには書けません。それでも、見ず知らずの東京の様子を、少しずつ報告していきました。一ヶ月もするとだんだんに慣れ、わずかな時間で書き上げられるようになりました。

毎日のハガキは、出し始めて一年後のその日、「今日で最後にします」と記して終了しました。後年、私がまずまず筆まめになれたのは、この時の経験が役立ったように思います。そして、たった一枚のハガキの重みまでも知り得たように思います。電話の方が楽だとわかっていても、やはりハガキ一枚の意義は大きいはずです。貴重な経験をしたと今でも思ってます。

ところが、先年亡くなった作家でタレントの永六輔さんは、毎日100枚のハガキを出していたという事実を最近になって知りました。上には上があるものです。取材した方はもちろん、番組仲間、先輩、後輩、友人など、車内で喫茶店でホテルでと、 毎日、トータル2時間はかけていたというのです。もちろん、その文面は、「先ほどはありがとう」「お疲れさまでした」「またいつか、どこかで」といった簡単なものです。でも、これを毎日100枚を出し続けるということは、並みたいていの努力ではありません。

私は永六輔さんの著書は二冊ほどは読みましたが、格別なファンであったわけではありません。でも、この事実を知ってから、急に親しみがわきました。楽しそうに出演している影で、こんな努力があったというお話です。

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