地鎮祭をしない時代

カテゴリー
祈祷

令和元年7月17日

 

今日は午後から栃木県の実家を訪ね、長屋門ながやもん解体のおはらいをして来ました。私が子供の頃から親しんだ長屋門なのですが、先の震災もあってか、かなりてておりました。栃木県の蔵や門はたいてい大谷石おおやいしを用います。地震には弱いのですが、あの独特の石肌を好む人が多く、最近はかなり高価な石材となりました。

ところで、解体のお祓いといいましたが、正しくは長屋門を立てた土地の神さまにご挨拶をなし、御礼おんれいの供養ををしたという方が正しいのです。長い間お世話になったのですから、これは当然のことです。人間どうしだって、お世話になったら御礼を、ご迷惑をかけたらおびをするのが当然です。これを怠ると、「挨拶もない!」ということになって、これがトラブルのもととなるのです。世の中は単純に考えることが大切で、常識の中にこそ根本原因があることを忘れてはなりません。

現在、建て売り住宅はもちろん、注文住宅ですら、ほとんど地鎮祭じぢんさいをしないことが、私はとても気になります。一生の中で最も高額な買い物をするのに、どうして地鎮祭ほどの経費を惜しむのでしょうか。このことは、地鎮祭など眼中にもない今どきの工務店にも責任があります。しっかりした棟梁とうりょうなら、必ず地鎮祭をすすめるはずです。それは家を建てるとは、どういうことなのかがわかっているからです。また、中古住宅であっても、入居にあたっては、その土地の神さまにきちんとご挨拶をすべきです。これを怠った人が、その後にどのようなことが起こるのかは、人間どうしを考えればわかるはずです。

もっとも、地鎮祭をしない時代だからこそ、私の仕事が増えるわけです。でも、もうこれ以上はやめておきましょう(笑)。家のことでお悩みの方、どうぞご連絡を。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ