令和3年7月8日
2015年、合衆国フロリダ州立大学のアダム・ハンフリー博士が、皿洗いに著しいストレス解消効果があるとする研究成果を発表しました。50人のグループを二つに分け、一方には単なる皿洗いの指示書を渡し、一方には「心を込めて楽しく皿洗いをする指示書」を渡し、双方を比較したのです。すると、後者の方がイライラする気持を軽減させる効果が、はっきり認められたというのです。
もちろん、ただ皿洗いをすればよいのではなく、「心を込めて楽しく皿洗いをする」ところに重要な意味があります。しかたなしに、しぶしぶ皿洗いをするだけではストレスはたまる一方です。しかし、皿の汚れを取り去る泡の感触、その泡を流す水の感触、その水が流れ去る感触が、同時にストレスそのものを洗い流していくと考えれば結果はまったく異なります。このわずかな考え方の差が、人生そのものを変えるのです。
思い当たるのですが、昔の女性、つまり嫁いだ主婦の方々は、寒い台所で焦げついた鍋をたわしで楽しそうにこすり、洗い流していました。農村で育った私は、そんな姿をよく見ています。それは舅や姑、そのほかあらゆる抑圧からの解放だったのでしょう。人が生きるとは、このような智恵を会得することなのです。
つまり、心と体は一体だということです。心の問題を解決するには体を動かすことが大切です。体を動かすことによって、心と体のフィードバックが生じさせることです。心の問題を、心で解決しようとしてはなりません。心で心に立ち向かってはなりません。これはきわめて重要なことです。
お寺でお百度やお遍路をすすめるのもこの意味です。本堂の前で何度も往復をくり返したり、三十三ヶ所や八十八ヶ所の霊場を巡ることは、足の運びと読経の発声によって心のバランスをはかることができるからです。それも、楽しくできれば言うことはありません。
悩んだ時には体を動かしましょう。皿洗いをしましょう。もちろん、ウォーキングやストレッチでも、カラオケやゴルフでもよいのです。さらによいのは、お寺に来ることです。もう、これ以上は申しません。お寺は本当にいいところです。おわかりでしょうね。