令和2年7月30日
女性が自分の配偶者を第三者に語る場合、ほとんど「夫」か「主人」と呼びます。これには何の抵抗もなく、自然に聞くことができます。まれに「亭主」となどと呼ぶ方もいますが、数の上では少ない方でしょう。
ところが、男性が自分の配偶者を語る場合、これがどうもスッキリしません。私の意識が過剰なのでしょうか。まず「妻」と呼ぶと、何か改まった固ぐるしさを感じます。浄瑠璃『壺阪霊験記』の「妻は夫をいたわりつ」ではありませんが、影でずっと苦労しているような、そんな響きさえあります。結婚しても苦労するのは当然でしょうが、どこか悲しいニュアンスさえ漂います。唄の文句で「愛しても愛しても人の妻」などと聴くと、もう返す言葉もありません。
同様に「女房」は、ちょっと卑下した感があります。男性が「女房のヤツ」と言った場合、照れもありましょうが、「オレが食べさせてやっている」という慢心が浮上します。もともとは宮中の女性使用人の部屋を「女房」と言い、やがてその女性たちをも「女房」と呼んだのですが、現代は好まれません。
では、グッとさばけて「かみさん」はどうでしょう。吹き替え版『刑事コロンボ』の「ウチのかみさんがねえ」のあのかみさんです。かみさんは「上さん」で、「上様」の変化です。尊敬を込めていますが、逆に目上の人には使えません。女主人の「おかみさん」なら自然ですが、これも配偶者には使えません。
こうなると、「家内」が最も無難な気がしますが、今度は古い呼び方に聞こえます。ウカンムリ(家)の中に〈女〉がいれば〝安心〟ですし、また〝安らぎ〟ます。だから「家内」と言いますが、結婚したての若い男性には向きません。子供が授かれば「ママ」でいいでしょうが、第三者にはどうしましょうか。私がこだわるのは、こんな理由からなのです。
さて、「お母さん」を乱暴にして「かあちゃん」や「かかあ」などと呼ぶ男性もいます。子供なら「かかさま」です。しかし、ここに象徴的な日本文化があると言ったら驚くでしょうか。実は「かあちゃん」は「かあかあ」、「かかあ」は「かっか」なのです。何のことかわかりますよね。そうです、太陽が燃えている様相を表わした言葉です。つまり、日本人はお母さんこそは太陽であると考えて来たのです。いつも暖かく、にこやかで、生命をはぐくむ太陽こそ、お母さんなのです。だから子供が授かった後は、「お母さん」と呼んでほしいと私は願っています。
ちなみに「お父さん」は、「尊い」という意味です。お父さんは懸命に働いていつも尊い、また尊くありたいからです。お母さんを太陽と、お父さんを尊いと、それぞれに美しいに日本語です。