結婚しない女性
令和元年9月26日
男性もそうなのですが、今どきは結婚しない女性が多いのに驚きます。
私はかなりの世話好きなので、これまでも、ずいぶん女性に結婚をすすめて来ました。つまり、これはと思う男性を引き合わせようとして来ました。ところが、残念ながら、うまくいった例はかなり少なかったとしか言わざるを得ません。
たいていは、「いいです」と言うのです。いいですならオーケーなのかと思いきや、実はお断りの「けっこうです」の方なのです。私が「どうして?」と聞くと、「めんどうくさい」といいます。友人が結婚して、夫や子育てに苦労している姿を知っているからなのでしょうか。それならば、給料を貯めて好きなグルメや旅行を楽しみたいのでしょう。
では、本当に結婚への願望がないのかいえば、そんなことはありません。心の底では強く結婚を望んでいるのです。しかし、求める相手は〝理想の男性〟なのです。求めることが多いため、男性との出会いがあっても、自分のことは見えないのです。だから、理想は尽きません。
そんな時、私は「理想の男性なんていませんよ」と答えて来ました。仮に現われたように見えても、三ケ月もつき合えば、必ずボロが出ます。見ず知らずのアカの他人が、どうして理想の男性になれるでしょうか。せいぜい〝好み〟が合えばいい方です。結婚はどのような理由を超えても、結局は〈縁〉なのです。どんな出会いをしても、どんな恋愛をしても、縁がなければそれまでです。その縁の中で、うまくいっても、ダメであっても、私たちは人生の修行をするのです。それによって、一人の男性と出会った意味を知るのです。そして、それを知った時、本当の夫婦になれるのです。
結婚はめんどうくさいことでも、理想の男性を見つけることでもありません。運命の流れを受け入れ、その縁を受け入れることなのです。その縁に出会ったならば、人生の修行をすべきだと思います。そして、一人の男性と出会った意味を知るべきだと思います。
夫婦に最も大切なこと
令和元年8月20日
今日は夫婦の問題で、ご相談がありました。
いつも思うのですが、夫婦はもともと〝アカの他人〟です。アカの他人がある時から共に暮らし始めて、何の問題も起こらぬはずがありません。だから、私は「夫婦は長い修行です」とお話をしています。長い時間をかけて、その間のさまざまな問題を乗り越えて、やっと〝本当の夫婦〟になれるのです。
イギリスの詩人で劇作家のオスカー・ワイルドに、こんな言葉があります。
「結婚して三日間は男も女も夢中である。三ヶ月間は互いに相手を観察する。そして三年間はやさしく愛し合う。しかし、後の三十年間はともどもに我慢し合って生活するものである」
身に覚えのある方は、ハッと胸をつかれるはずです。ところが、彼は続いてこうも言っています。
「しかし、この後の三十年間、お互いにすっかり鼻についてから夫婦の本当の愛情が湧き出して来るものである」
つまり、本当に夫婦らしい夫婦になるには三十年かかるのです。ではその長い修行の中で、何が最も大切なのかといえば、私は挨拶を交わすことだと思っています。夫婦だから必要がないのではなく、夫婦だからこそ大切なのが挨拶であるからです。
よく、他人を評して「ろくに挨拶もしない」と批判する方がいますが、ではその方は奥様と挨拶を交わしているでしょうか。奥様のことを、「オイ!」と呼んではいないでしょうか。挨拶の〈挨〉は心を開くことです。〈拶〉は近づくことです。相手が先に挨拶をしたなら、では挨拶にはなりません。心を開いて、自分から相手に近づかねば挨拶にはなりません。朝の挨拶、帰りの挨拶、就寝の挨拶、と、これだけでも夫婦は変わります。そして、挨拶を交わしている夫婦は、まず大丈夫です。
皆様も、夫婦の間で挨拶を交わしてください。わかっていることだからといって挨拶をしないのは、お客様やお得意様に挨拶をしないのと同じなのです。挨拶は夫婦に最も大切なことです。
夫婦の顔はなぜ似ているのか
令和元年8月1日
私がずっと考えてきたことの一つに、「夫婦の顔はなぜ似ているのか」という課題があります。
「似たもの夫婦」という言い方がありますが、これはどちらかといえば性格に対してでしょう。私がお話したいのは、そのものズバリ、顔が似ているということです。もう少し詳しく申し上げるなら、なぜ顔の〝表情〟が似ているのかということなのです。
「そうかな?」「そんなバカな!」と思う方は、身辺の夫婦を観察してみてください。私の言うことに同感できるはずです。また、見ている内に、そう思えてくるから不思議です。若い夫婦はともかく、共に過ごした時間が長い夫婦ほど似てきます。もちろん当てはまらない夫婦もありますが、まずまずの確率でしょう。
当然のことですが、夫婦はもともと〝アカの他人〟です。仮に従兄弟どうしが夫婦になったとしても、直接に血のつながりはありません。それが、どうしてこんなことになるのでしょうか。
以前、何かのテレビCMに、「同じものを食べているからだよ」という会話が流れていました。夫婦は向かい合って同じ食事をしますし、食事が体を作るわけですから、なるほどとも思えます。しかし、それなら昔の集落のように、その土地のものばかり食べていた人たちはみな似たような顔になってしまいます。
いろいろ調べている中、ある心理学者の説に〈感情移入〉という言葉があり、「コレだ!」と得心しました。つまり、夫婦はお互いの感情を共有するということなのです。特に何十年も連れ添っていると、すぐに相手の感情を汲み取るようになり、それが顔を通じて伝達されるからなのです。そして、その伝達をそれぞれが共有して、顔の表情が似てくるのです。
この事実に照合すると、人は心を寄せるものの表情に感応するという見方ができましょう。好きな仏像や仏画を観てうっとりするうちに、その仏さまのような顔になるのです。これも本当ですし、仏像や仏画はそのためにも大切です。さらには身近な絵や音楽、花も香りも、実は皆様の人生そのものなのです。
同じ釜のメシ
令和元年5月13日
皆様はご自分のまわりに、何となく気をつかうなと思う人がいるはずです。反りが合わないとか、口論をしたわけでもないのに、どうもスッキリしないなと思う人がいるはずです。それはいったい、どういう人なのかおわかりでしょうか?
私の答えを申し上げるなら、それはこれまで、いっしょにお茶を飲んだことも、食事をしたこともない人なのです。私はこの答えに、かなりの自信があります。
つまり、人間が生きていくということは、食べることなのです。生きていくことの最大の関心は、食べることに尽きるのです。だから、食事を共にするということは、人間が生きていくうえでの根底に通じることなのです。
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夫婦
令和元年5月10日
近年、結婚式のご召待は遠慮させていただいております。
それでも、以前はまれには出席し、いつも同じ挨拶ばかりしておりました。それは、イギリスの詩人で劇作家のオスカー・ワイルドの言葉から引用したものでした。彼はこんなことを言っています。
「結婚して三日間は男も女も夢中である。三ヶ月間は互いに相手を観察する。そして、三年間はやさしく愛し合う。しかし、後の三十年間はともどもに我慢し合って生活するものである」
いかがでしょうか? 何やら、ハッと胸をつかれたお顔が浮かびますよ。
ところが、この続きがいいのです。
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