井の中の蛙
令和元年6月3日
「井の中の蛙、大海を知らず」といいます。井戸の中という狭い世界に住む蛙(カエル)は、大きな海の広さを知らない、と。そのことを皮肉に表現しています。このことわざは中国の古典『荘子(秋水篇)』に登場するお話を、日本流にアレンジしたものです。
ところが、このことわざには、「されど空の深さ(青さ)を知る」という続きがあることはあまり知られていません。井戸の中の蛙は、来る日も来る日も天上の空を見つめています。大海は知らずとも、空の深さも青さもよく知っています。井戸という狭い場所にとらわれ、海の話が通じなくても、空のことならよく知っているということでしょう。
つまり、たとえ狭い分野とはいえ、一つのことに徹するならその道の専門家になれるのです。博学多才ではなくとも、こつこつと一道に励めば必ず大成します。もちろん一分野だけの専門家がよいか、博学多才がよいかは一概にはいえません。
何ごとにも良し悪しがあり、二面性があるのです。自分とは性格も気質も違うからといって、安易に他人を批判すべきではないのです。そう考えると、井の中の蛙は大したものです。私が生まれた実家にも井戸があり、夏にはスイカを冷やしたりしたものです。たしかに、中に蛙がいたように思います。そうなると、上からのぞいていた私を、蛙があざ笑っていたかも知れません。「空のことがわかるのか?」とね。汗顔、汗顔!
プラス思考とマイナス思考
令和元年5月30日
何ごとにも、自己啓発としてプラス思考は大切です。私もプラス思考に関するセミナーに参加したり、その分野の書籍もたくさん読みました。それぞれが、私の人生に役立ったと思います。
しかし、私はある時からまったく別のことも考えるようになりました。成功への準備や成功へのプラス思考も大切であるけれども、人生に失敗はつきものです。そして、失敗した時の備えがなければ、イザという時の機転がききません。プラス思考も大切であるけれども、最悪の事態に備えるマイナス思考も重要だと考えるようになったのです。
人の能力は無限であるのに、そのほとんどを眠らせているという説はあくまで正しいと思います。しかし、人には持って生まれた器量がありことも事実です。また、ことの成り行きは〝運〟に左右されることも事実です。何ごとにも二面性はあるもので、この相反する現実の中でやりくりするのが人生の正念場というものでしょう。
失敗した時のことを考えるなど縁起が悪いという意見もありましょうが、私はそうは思いません。成功に向かって準備を進め、成功へのプラス思考を重ねつつも、失敗した時へのマイナス思考も同時に大切なのです。大石内蔵助だって、討ち入りの周到な計画を立てつつも、討ち漏らした時のことも考えていたのです。そうでなければ、あのような大事をなすことなど、とうていあり得ません。何ごとも同じことです。私たちも同じことです。
芽茶苦茶
令和元年5月26日
新茶がおいしい季節です。
現代は、自宅に〈急須〉や〈茶筒〉すら置かない方も多いのではないでしょうか。お茶は自動販売機や冷蔵庫のペットボトルで飲むものと思っているからです。とても残念なことで、ぜひ急須でたてたお茶を召し上がっていただきたいものです。香りの違いに、格段の差があることがわかることでしょう。
ところで、〈芽茶苦茶〉という言葉の意味がおわかりでしょうか。実は、これこそお茶の入れ方を教示したおもしろいお話があるのです。ぜひ、知っておいてください。
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窮すれば変ず
令和元年5月24日
私たちは毎日、さまざまな言葉に接しながら生きています。単なる雑談や冗談もあれば、真剣に耳を傾ける自戒や教訓に満ちた言葉もあります。時には、涙を流すほどの感動の言葉もありましょう。
そんな中で、一生を費やしても忘れられないほどの言葉となると、その数は決して多いとは思えません。よほどの教養人でも五指には満たず、一般には三指にも至らず、もしかしたら一つすら浮かばないという方も多いはずです。
こんなことを考える時、私があえてその一つを選ぶとすれば、『易経』の中の「窮すれば変ず、変ずれば則ち通ず」でありましょう。これは窮すれば、つまり追いつめられて本当に困窮した時、私たちは新たな活路を求めて別の方法を考える。つまり変化を求める。その変化から、まったく新しい道が開かれる、と、そういう意味なのです。
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