縁の不思議さ
令和元年5月18日
昨日は人生の出会いと縁起についてお話をしました。今日はその続きです。
およそ、〈縁〉ほど不思議なものはありません。縁があったかなかったか、人生はそれで決まると言っても過言ではありません。何をするにも何をなすにも縁なのです。誰と出会うのも縁なのです。
たとえば、あなた様がご結婚をなさっているのであれば、どうしてご主人(奥様)と結ばれたのでしょうか。友人から紹介されたからですか? パーティーで出会ったからですか? 同じ趣味を持っていたからですか?
これらは、いかにも理由らしくは聞こえますが、根本の理由ではありません。では、その根本の理由は何かと考えるなら、「縁があったから」という以外にはあり得ません。縁がなければ出会うこともなく、その顔を見ることも、名前を聞くこともなかったはずです。まったくのアカの他人です。
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誰に出会うか
令和元年5月17日
私たちは、何をするか、何をなしたかで人生が決まります。
しかし、同じほどに大切なことは、誰に出会うかということでありましょう。つまり、何をするにも何をなすにも、いい出会いがなければ始まらないということなのです。いい友に出会い、いい師に出会い、いい仲間に出会うことで、私たちは物ごとがうまく運ぶのです。だから、私たちはいい出会いを求めて、人生の気くばりをしなければなりません。
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バカは死んでも
令和元年5月15日
お釈迦さまは人間のあらゆる苦しみの原因は、〈無明〉であるとされました。
〈明〉とは智慧のことです。ですから、無明とは智慧がないこと、つまり、おろかであるという意味になります。そうすると、「バカは死ななきゃ」と言いますけれども、輪廻転生をも含めて考えれば、「バカは死んでも救われない」こそ仏教の教えだと申し上げたら、叱られますでしょうか。
ふざけているのではありません。まじめなお話です。考えてみてください。これまでに自分が失敗し、苦しみ悩んだんだことの原因は何でありましたでしょうか。あんなヤツに出会ったからですか? サギにあったからですか? 仲間割れをしたからですか?
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地獄と極楽
令和元年5月14日
皆様は極楽とやらに行きたいでしょうか? 極楽浄土とやらで、幸せに暮らしたい、思いを寄せる人と今度こそは添い遂げたいと、そのように思いますでしょうか?
では、その極楽とはどんなところなのでしょうか。また極楽浄土はどこにあるのか、そんなことを考えたことはありませんか。
一般に連想される極楽とは、きれいなお花畑に囲まれ、黄金や宝石で作られた宮殿があり、甘露のような小川が流れ、住む人も善人ばかりで、毎日ご馳走を食べながら歌ったり踊ったりしているような、そんなイメージではないかと思います。
皆様、いかがでしょうか? 本当にこんなところで暮らしたいと思いますか?
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