緊急事態での総回向
令和3年8月8日
またまた緊急事態宣言が発令されました。あさか大師では昨日と本日、月初めの総回向を修しましたが、さすがにお参りも少なく、さびしい集まりでした。もう、一年以上もお会いしていない方々がいらっしゃいますが、それでも皆様と共に心をこめて読経をしました(写真)。
このコロナ禍において、出来得る対策には努力をしています。また『般若心経』の写経や、『仁王護国般若経』『孔雀明王経』への祈願にも力を注いでいます。世界中の宗教パワーを結集させて、この地球を守らねばなりません。とりわけ真言密教は、大きな支柱になると思っています。お大師さまの身代わりとなって少しでもお役に立てるよう、これからも精進を続けます。
あさか大師春日部分院
令和3年7月24日
2020東京オリンピック開会式の記念すべき日、埼玉県春日部市に〈あさか大師春日部分院〉が落慶しました(写真)。私と住職の先輩弟子が出資し、法楽を捧げ、寺門興隆を祈願しました。本尊はお大師さまですが、お大師さまが念持仏(常に念じていた本尊)とされた如意輪観音と、霊符神をもお祀りしています。
住職の小嶋英照師は自衛隊退職後、九星気学やタロットを学んだ後、僧侶を志してあさか大師の門をたたきました。求道心と正義感の強い同志として、今後の活躍を期待しています。近在の皆様は、ぜひお訪ねになってください。また、あさか大師僧侶の皆様も、これに続いてお寺を立ち上げてくださることを望んでやみません。
「法は人によって弘まる」とお大師さまはおっしゃいました。これが〈弘法大師〉宝号の語源です。授かった法は次の人に伝えねばなりません。ただ、自分のものとするだけでは、仏さまの誓願に反するからです。肝に銘じましょう。
金運心得帖
令和3年7月18日
今日は第三日曜日で、午前11時半より月例の金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍と連日の猛暑で、ご信徒の皆様がお集りになれるか心配しましたが、まずまずのお顔触れでした(写真)。
せっかくなので、午後の回向法要の後、私が考えるお金のルールを「金運心得帖」と題してお話をしました。ブログを読んでいただいている皆様にも、お伝えしたいと思います。次の12ヶ条が、私の考える金運心得帖です。
①人が欲する利益を与えなければお金は入りません。【人が損をすれば自分が儲かるという考えは、大きな誤りです】
②お金持ちを尊敬し自分もそれを目ざしましょう。【お金を持っている人は悪いヤツだという考えも、同様です】
③お金を大切にするほどお金からも大切にされます。【大切にしなければ大切にされないことは、世の中の道理です】
④お金は神さまからの預かりものと思いましょう。【人が喜べば神さまも喜び、お金はそのご褒美なのです】
⑤収入の一部は社会への御礼に還元しましょう。【利益は分かち合ってこそ、さらに大きな利益を生み出すのです】
⑥お金のそばで腹立ちや悪口は慎みましょう。【お金は腹立ちも悪口も聞いており、そういう人から遠ざかります】
⑦お金の出し入れには挨拶を忘れてはなりません。【入る時も出る時も、「ありがとう」の一言を忘れてはなりません】
⑧敬意を払わず「カネ」と呼んではなりません。【「お金」と呼ばずに「カネ」と呼び捨てる人に、お金は集まりません】
⑨財布はお金の居心地がいい長財布を用いましょう。【お札を折らずに、居心地を考えた長財布を使うことです】
⑩財布の中はお金の向きをそろえて入れましょう。【お金を逆さづりにして、愛されることはありません】
⑪カードの厚みでお金の呼吸を妨げてはなりません。【お金は生きものであり、呼吸するものであると心得ましょう】
⑫二つ折り財布を尻ポケットに入れてはなりません。【お金が二度と戻りたくないような行為は、慎まねばなりません】
以上の中で、最初の①②は多くの方が陥いる誤りです。また④⑤は、よく考えていただければおわかりいただけましょう。ほかは特に財布の扱いについての心得です。お金はご自分の分身であり、生きものであり、呼吸をして、感情があることをご理解いただき、大切に扱っていただきたいと思います。
盂蘭盆会法要
令和3年7月4日
昨日と本日、あさか大師では早くも盂蘭盆会法要を奉修しました。各地の大雨被害が報道される中、皆様の足元は大丈夫かと心配しましたが、参拝の時間ばかりはほとんど降らず、お帰りになると降り出すという、まことに不思議な二日間でした。
盂蘭盆会法要は僧侶の方々が声明を唱えましたが、お稽古の成果があって、みごとな音律を奏でました(写真)。読経や真言の響きが堂内に残り、これがお寺そのものの力となって功徳が残りましょう。毎日のお護摩も同じですが、こうした積み重ねが大切なところです。法要の後は全員で施餓鬼作法をなし、声をそろえて布施行に励みました。小さなお子様もいっしょに参加しましたが、やがてはご先祖や両親を大切にすること、間違いありません。
また、この後は水子供養を修し、たくさんのお供えをして読経をしました。水子供養も現代のお寺における、大切な責務です。この国の未来のためにも、怠ってはならないことです。
(追記 各地の大雨被害に対し、慎んでお見舞いを申し上げます)
失物発見法
令和3年6月20日
本日は第三日曜日で、午前11時半よりは金運宝珠護摩を修しました。まだまだコロナ禍が続く中、さびしい気もしましたが、皆様が元気よく読経をなさいました(写真)。
また、午後1時からは光明真言の回向法要を修し、その後に「失物発見法」のお話をしました。大事なものをどこに置いたのか見つからなかったり、置き忘れや紛失の経験は誰にでもあることです。また、盗難にあうこともあるかも知れません。
実は、失物の原因は〈三宝荒神〉という、いわゆる竈の神さまのお叱りを受けたからだという説があります。「そんなバカな!」と思うかも知れませんが、こういう言い伝えがあることは事実です。つまり、昔なら竈、今の生活ならガスやIHのそばで悪口を言ったり、腹を立てたり、口論をしたりすると、荒神さまがお叱りになるのだということです。それだけ、火は神聖なものであることを知らねばなりません。
だから、荒神さまにガスやIHのそばにお線香を立て、不敬をお詫びし、そのご真言を唱えると、失物を発見すること、まことに奇妙です。特に家内で紛失した場合は、スグに見つかります。家外の場合は一週間ぐらいかかることが多く、また財布の中身までは保障できません。それでも、現金はなくなっていても、保険証やカードなどは戻ることが多いのです。私はこのことを何度も経験し、またご信徒の方にもお教えして実証してきました。
今日もこのお話をするや、皆様、とても真剣でした(写真)。お役に立つことを念じています。詳しくお知りになりたい方は、あさか大師にお越しを。
コロナ禍の総回向
令和3年6月7日
一昨日・昨日と月初めの総回向を修しました。コロナ禍にあって、ワクチンを済ませた方を含めて、少しずつ参加する方が増えていっているように思います。僧侶の方も列席し、お手本となって読経をしていただきました。また、法要後は6月4日のブログでご紹介した『入社1年目の教科書』をご披露し、法話をしました(写真)。
この本は決して特別なことを述べているわけではありません。しかし、新入社員はもちろんのこと、一般の方にもよい指針になることは確かでありましょう。一見、つまらないと思う仕事でも、要は考え方の問題です。つまらない仕事をつまらないまま終らせるか、大きな生きがいになるかは、私たちの考え方しだいです。
それには仏教的な視点である、かたよらない心、とらわれない心、こだわらない心が必要です。その大きな視点で考えれば、つまらないと思う人も、つまらないと思う時間も、そこには大きなチャンスが隠れています。皆様、それを見つけ出しましょう。眼を開きましょう。仏さまの教えですよ。
金運宝珠護摩
令和3年5月17日
昨日は第三日曜で、特別に金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍の中でさびしい集まりでしたが、僧侶の方もご信徒の方も、力強い炎に祈りを込めました(写真)。
私は財務のことは何もわからず、ただ寺務所の方にお任せしています。また、僧侶の私がお金についてお話できることは、お金は追いかけるものではなく、後ろからついて来るものだということに尽きると考えています。つまり、どうしたらお金が入るか、どうしたら儲かるかを考えるのではなく、どうしたら人のお役に立ち、人に喜んでいただけるか、そのためには何をすべきか、何を与えるべきかが大切だということです。そうすれば、お金は自然と後ろからついて来るものだと、私はそれだけをいつもお話しています。
だから、皆様のお役に立ち、皆様に喜んでいただけるよう努力していれば、寺の経営はお大師さまが何とかしてくださるだろうと、そう思って毎日を過ごしています。仏教が特に〈布施〉を重んじるのはそのためなのでしょう。布施はもちろん、お寺や僧侶への布施ばかりを意味するわけではありません。人に与えることのすべでが布施なのです。やさしい言葉をかけることも、笑顔で接することも、手助けをすることも布施なのです。つまり、自分の仕事にプラスアルファの何かをあたえること、それが布施という意味なのです。
僧侶にとっては〈施餓鬼〉もその一つです。施餓鬼は何かを求めるために修すわけではありません。何も求めず、無欲でもって修します。ただ、与えること、布施をするためだけの目的で修します。しかし、施餓鬼をよく修する僧侶は、何となく豊かになります。暮らしにも困らず、また長命な方が多いのです。これは功徳というものが後ろからついて来る証明です。
こんなお話が皆様の金運のために役立つなら、大変にうれしく思います。いや、きっと役立つと思いますよ。実は、こんなお話をすることそのものが布施なのです。おわかりですよね。
月始めの総回向
令和3年5月2日
昨日と今日は月始めの総回向を奉修しました。コロナ禍にあって、勤務先から自粛命令が出ている方が多く、何ともさびしい集まりでした。それでも、集まった方々で元気に読経し、回向に勤め、楽しい時間を過ごしました(写真)。また、僧侶の方々とは理趣三昧(理趣経の法要)の稽古を兼ねて、声明(音曲)の練習をしました。皆様、連休を返上しての修行です。むずかしい声明にも、だいぶ慣れていただきました。さらなる精進を願ってやみません。
なお、あさか大師では「母方供養」や「妻方供養」を重んじています。先祖供養といえばほとんどが父方(あるいは現在姓の家)ばかりです。また、既婚者なら妻方に対する関心がありません。しかし、私たちは父母両家の血を受け、子供たちは妻方の父母両家の血をも受けて生まれて来ました。これは誰が考えてもわかることでありながら、人生のルーツがまったく無視されています。仏壇やお墓の風習とは異なる発想が必要です。私はこのことを念頭に、光明真言による先祖供養を長年にわたって修しています。興味のある方は、ぜひお問い合わせください。
青森別院落慶法要
令和3年4月29日
昨日、あさか大師青森別院(畑中聖海師住職・写真左手前))の落慶法要を修してまいりました(写真)。コロナ禍の中にもかかわらず、大勢のご信徒に参列をいただき、大変に感激いたしました(まわりにも、たくさんのご信徒が参列しています)。当山からも私ほか、三名が出仕し、初めてお会いする地元のご信徒と共に法楽をしました。
新寺建立を成し遂げることは容易ではありません。多くの資金を要することはもちろん、近隣の理解やご信徒の協力が必要となります。その成否はひとえに、住職の人徳にかかっていると言っても過言ではありません。みんなに好かれ、みんなに慕われるほどの人徳がなければ、決して叶わぬことだからです。
人の一生は結局、何を残したというより、何を与えたかということなのでしょう。青森別院の興隆を願ってやみません。
コロナ禍での祈り
令和3年4月18日
長いコロナ禍の中で、失業した方や倒産した会社が後を絶ちません。仕事をして生活していくことは、人が生きることそのものでもあります。仕事を続け、収入が維持できるよう願うのは、誰しものことでありましょう。
本日の第三日曜日は、午前11時半より金運増大を願う宝珠護摩を修しました(写真)。雨上がりのさわやかな薫風の中、新しい僧侶の方も加わり、ご信徒の方も力強く読経をしました。皆様の成就を念じてやみません。
また、午後1時からは光明真言法要でご先祖の回向を修しました。祈祷と回向は、いわば車の両輪、鳥の両翼です。どちらが欠けてもいけません。このブログをご覧になって関心をお持ちになった方は、ぜひお越しになっていただきたいと思います。葬儀や法事の読経とは異なる、力強い響きを味わえるはずです。