年頭の総回向
令和6年1月14日
あさか大師では昨日と今日、年頭の総回向(先祖供養)の法要を修しました。正月気分も薄れて大勢の皆様が参拝され、元気に読経し、光明真言をお唱えしました(写真)。
この先祖供養は単なる弔いでも、法事でもありません。皆様、ご自分のルーツである父母両家の先祖と共に、またお導師と共に人生を変える目標をもって取り組んでいます。関心のあります方は、ホームページの「先祖供養」をご覧のうえ、「お問い合せ」からご連絡ください。全国から大勢の皆様がこの先祖供養に共鳴し、共に励んでいます。
なお、元旦から呼びかけております「能登半島大地震」義援金としての「一食布施」が、124452円を集計しました。明日、石川県の被災地委員会に送金いたします。布施(供養)の実践が、すべての修行の根幹であることをご理解いただき、たくさんの方々にご協賛をいただきました。厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
人生を変える先祖供養の集い
令和5年12月4日
あさか大師では一昨日と昨日、先祖供養の総回向の法要があり、たくさんの方がお参りしました。そして、僧侶の方はもちろんのこと、参詣者が全員で読経し、マントラ(光明真言)を唱えました(写真)。
あさか大師の先祖供養は、
①自分のルーツとして父母の両家を供養すること。
②お導師の密教修法とご信徒の祈りを融合させること。
③毎日続けながら月ごとに総回向の法要をすること。
の三点に特徴があります。単なる弔いではなく、「人生を変える先祖供養」です。不思議なことがおこりますので、若い方も大勢いらっしゃいます。ご関心をお持ちの方は、ホームページ「お問い合せ」からご連絡ください。
交通事故霊験談③
令和5年11月15日
最後に私の祖母の話をしたいと思います。私は母が体が弱かったため、何かとおばあちゃん子として育てられました。祖母は仏壇での毎日のおつとめはもちろん、お寺参りにも熱心でした。お葬式を予測するのが得意で、それがよく〝当たって〟いたのを思い出します。また私が28日に生まれたことから、よく「お不動さんの日を忘れてはいけないよ」と言い聞かされたものです。そして、不動尊が菩提寺の本尊でもあったことから、手を引かれてお参りしたものでした。
私が小学校2年生のことでした。ある日、祖母は嫁いだ長女の息子さん、つまり私の従弟が運転する車に乗って、宇都宮に向かっていました。当時の郷里には舗装道路などなく、しかも急カーブの多い悪路続きです。その場所も急カーブでしたが、10メートルもの断崖を眼下にした危険地域だったのです。もちろん、ガードレールなどありません。
かなりスピードを出していたのでしょう。路面の大きなくぼみを避けようとしたとたん、タイヤが横すべりをおこして、断崖に転落しました。対向車はなく、静寂を破った大事故でした。従弟はほとんど意識を失っていました。メガネのレンズも割れて顔に刺さり、血だらけになっていたといいます。
ところが祖母はかすり傷ひとつなく、断崖をよじ登って通行の車に助けを求めました。従弟は病院に運ばれ、一命を取り留めました。私は祖母からこの体験を何度も聞かされ、いざという時には仏さまが守ってくださるという意識をうえつけられたのです。祖母が語ったことは、その時、自分の体が綿のようなものでつつまれたということでした。仏壇に合掌しながら、御礼の言葉をくり返していました。私は後年、その場所を何度か通りましたが、とても無事ですむ断崖とは思えません。潜在光景としていまだに焼きついています。遠くて、とても近い記憶です。
交通事故霊験談②
令和5年11月11日
次にお話する方もご信徒の女性で、現在94歳のKさんです。若い時から病難をかかえ、入退院をくり返していました。それでも信仰心が篤く、ご先祖への供養にも熱心でした。また霊的な感応も強いため、不思議な体験には枚挙にいとまがありません。
今から20年ほど前のことでした。Kさんは当時、山梨県笛吹市に居住し、よく石和温泉で湯治をしていました。その帰り、道路工事のために道の中央に寄ったとたん、バックしてきた乗用車にはねられ、倒れた自分の体は、タイヤの下敷きになりました。道路工事の方々がそれを見るやすぐに駆けつけ、まずは車を誘導してくれました。運転していたのは温泉の女将さんで、顔なじみであったようです。救急車もすぐに到着し、病院に運ばれました。Kさんはぼんやりした意識しかなかったようです。
レントゲンの結果では、脊椎と頸椎に骨折がありましたが、内臓に異常はありませんでした。普通では考えられません。そして1ケ月ほど入院治療をしましたが、無事に退院しました。知らせを受けた私は、この事故も記録に残したいと考え、Kさんに当時の様子をうかがいました。
その瞬間、Kさんはまるで空中に浮かんだような感覚で、何の痛みもなかったというのです。そして、まぶしい光につつまれた感覚が残っていると語ってくださいました。このような感覚は私にもわかるので、Kさんのお話しは充分に納得しました。日ごろの信仰の賜ものであることは間違いありません。奇跡は光によって象徴されるからです。
Kさんはその後も特に後遺症はなく、現在は東京都町田市に転居して、長女と共に元気に過ごしています。高齢にもかかわらず、電車を4回も乗り換えつつあさか大師にお参りする姿はみんなのお手本です。もともと不思議な体験をしてきた方ですが、私は霊験談として忘れ得ぬ記録となりました。
交通事故霊験談①
令和5年11月8日
今回は、私が見聞した三名の方の交通事故霊験談をお話したいと思います。もちろん、すべて実話です。
はじめはご信徒のお子さんS君(男子)で、当時5歳でした。場所は東京都文京区内の自宅前の道路上でした。大きな交差点近くで車も多く、もともと交通事故の多い場所であったようです。S君はちょうど自宅とは反対側の歩道におりましたが、自宅側でお母さんがちょうど車が途絶えた折に、渡って来るよう手招きをしました。S君は日ごろから車には充分に注意するよう言い聞かされていましたから、左右を確認して急いで横断しました。
そして、歩道から5メートルほど渡ったその時です。青信号に変って交差点を左折したタクシーが、スピードを上げて突進してきました。お母さんが大声を上げたとたん、S君はタクシーの正面ではねられ、しかも路上に倒れたその体に片方のタイヤが乗り上げました。もちろんタクシーは急いでバックしましたが、現場は大騒ぎです。救急車もすぐに到着しました。
本来なら、ろっ骨は砕け、肺も破れて当然の事故です。ところが何と、S君は軽い打撲があった程度で、すぐに自宅に戻って来ました。両親の安堵がいかほどであったかは、想像に難くはありません。私はこの知らせを受けてただちに、この不思議な霊験を記録すべく、すぐにS君を訪ねました。見れば、着用していた赤いТシャツにはタイヤの跡が生々しく付着しているではありませんか。
私はS君の緊張をやわらげつつ、その時の様子を静かに問いました。ほとんど意識もなく、一瞬の出来事であったことは予想したとおりでありましたが、特記すべきはタクシーにはねられるその瞬間、仏壇の上に飾ってある写真の人が見えたということでした。この家の仏壇には、当主の両親の写真が飾られていることは私も知っていましたので、すぐさま「なるほど!」と思いました。つまり孫を想う祖父母の気持ちが、この霊験を生んだのです。
S君はその祖父母の生前には生まれていませんでしたが、先祖の霊とはこのように結ばれていることの証明でありましょう。私はS君のその赤いТシャツを借り受け、祖父母への報恩供養を修したことは申すまでもありません。先祖供養に熱心な家には、このようなことがおこるというお話です。
人生を変える先祖供養の法要
令和5年11月5日
あさか大師では昨日と本日の午後1時、総回向(先祖供養)の法要があり、たくさんの方がお参りをなさいました(写真)。皆様がお参りをなさる趣旨は、単なる年回忌やお弔いではありません。皆様それぞれがご自分のルーツである父母の両家を供養し、ご自分の人生を変えることを目的にしています。
また、あさか大師では僧侶だけが読経をするのではなく、お参りの方が全員で経典を唱和します。一家のご主人、主婦、学生さん、ОLさん、子供さんやお孫さんまでが、みな真剣です。そして、密教の行法を修するプロのお導師と共に、その祈りを融合させています。また普段の日は、お導師である私の祈りがご自宅に届くよう、五輪の供養紙に浄水をお供えいただいています。
すなわち、あさか大師の〈人生を変える先祖供養〉は、①父母の両家を供養すること。②密教のお導師と共に祈りを融合させること。③毎日これを継続させること。この三つに特徴があります。自己啓発も自律訓練法も、吉方や開運グッズもそれぞれに長所がありますが、人生の根本はやはり、先祖との霊的関係にあるのです。樹木に譬えれば、根の養いにあるといえましょう(だから根本といいます)。
私たちの一人の努力など、たかが知れています。偉大な仕事の背後には、必ず先祖の守護霊が働いています。新しい人生を目ざす方は、このことを得心すべきです。皆様との出会いをお待ちしています(ホームページ参照)。
続々・あの世に持ち越せる唯一の財産
令和5年10月31日
現代人は概して、死後の世界への関心が薄いのではないでしょうか。死後の世界への関心は、この世における道徳観そのものであり、それが生き方の規範でもあります。昔の人々はどのように死を迎えるかが、どのように生きるかの規範でありました。生きることとは、刻一刻が死に向かっての旅であります。
もちろん、死後の世界など信じない、死と共にすべては無に帰するのだと考える人が多いことも事実です。ただ、ひとこと申し上げますが、死と共にすべてが無に帰するなら、死そのものを確認することができません。したがって、死後の世界など〝ない〟といい切ることも確認できません。すべてが無であるのなら、当然のことです。それでも意識が働いている時、どうするのでしょうか。
「地獄極楽絵図」のお話をまた続けますが、ちょっと気になるのは絵図の中央に〈心〉の文字が大きく書かれ、それが放射状の線によって十界に直結していることです(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。
十界とは地獄・餓鬼・畜生の三悪道と修羅・人間・天の六道(迷いの世界)に、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖(悟りの世界)を加えた十段階の世界をいいます。つまり、これらはすべて自分の心が作り出し、自分の人生を選択し、あの世で住む世界も決定するということなのです。
ただし、人の心は一様ではありません。この世にも地獄はありますが、逆に仏もいるのです。十界はすべての人の心に共存しています。仏教ではこれを〈十界互具〉という言葉で表現しています。
皆様はいかがでありましょうか。ご自分の心の十界が見えますでしょうか。恨みをいだけば地獄となり、強欲に走れば餓鬼となり、理性を失えば畜生となります。しかし、仏の教えを学ぼうと思えば声聞となり、慈悲を施せば菩薩となるのです。だから、地獄の罪人も仏になれるかも知れませんし、仏のように慕われる善人も、何かの拍子に地獄に落ちるかも知れません。絶対の悪人もいなければ、絶対の善人もいないのです。
だからこそ、私たちは仏教のご縁に触れ、仏像のお姿やお香のかおりで心相を癒し、礼拝や読経によって身体を正すことが大切です。ただの気持ちだけでは、何の実績にもなりません。そして、親切を心がけ、施すことを喜び、先祖には感謝の供養を重ねることです。このくり返しこそ、お金では買えない人生の宝物でなくて何でありましょうか。そして、あの世に持ち越せる唯一の財産でなくて、何でありましょうか。この財産を手にした時こそ、皆様は人生における最も大きな幸せを得るのです。
続・あの世に持ち越せる唯一の財産
令和5年10月29日
「地獄極楽絵図」によりますと、奪衣婆の次はいよいよ閻魔さまのお裁きを受けねばなりません。絵解きをしますと、閻魔さまの横には〈業の秤〉があり、死者の悪業の重さを計っています。下げられている大岩よりも死者の方が軽いとよいのですが、ほとんどは死者の方に傾き、順番を待っている他の死者も気が気ではありません。
その反対側にあるのが〈浄玻璃の鏡〉です。これは死者の生前のすべてが写し出されますので、うそを言ってもすぐにバレてしまいます。「うそをつくと閻魔さまに舌をぬかれる」といった言い伝えは、ここから来ているのです。この死者は、読経をしている僧侶に刃を向けるという大罪を犯したのでした。つまり、この浄玻璃の鏡には死者の本性、心の様相が真実のままに再現されるのです。そして、あの世でどのような世界に行くかが決定します(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。
皆様はいかがでありましょうか。こんな絵図は昔の人の、とんでもない作り話だと思うでしょうか。しかし、こうした絵図によって、長く日本人の生死観がはぐくまれ、それが人生の道徳観となって来たことは間違いありません。また、奪衣婆や閻魔さまの出現に違いはあっても、似たようなお話はたくさんあります。
たとえば、スエーデンボルグ(18世紀における最高の霊媒)の『私は霊界を見て来た』(叢文社)によりますと、閻魔さまに代って〈検査の霊〉が現われ、浄玻璃の鏡に代って「ペラペラと本のページがめくられる」と表現されています。自分の一生が一冊の本となって示されるということです。この世とあの世は時間の次元が異なりますので、80年の生涯であっても、一瞬のうちに再現されるのでしょう。
こうしたお話を考えますと、この世もあの世も、要は自分の生き方が自分の人生を決めるということです。仏教徒は常に〈十善戒〉をお唱えしますが、お唱えするだけではすまされない理由がここにあります。悪いことはできません。この世の功徳だけがあの世に持ち越せる唯一の財産です。善事を積んで、先祖供養(ホームページ参照)に努めましょう。
あの世に持ち越せる唯一の財産
令和5年10月27日
私たちの生命は、死によって終わるのではありません。それは新たな人生の門出であります。往生とは「往って生きる」の意味であることからも、ご理解いただけましょう。
だからこそ、私たちはあの世のことを考えながら、この世を生きるべきなのです。そして両親や祖父母の死を見て人生の無常を知り、それを子供さんやお孫さんに見せることが大切です。
昔のお寺では「地獄極楽図」を絵解きして、あの世の法話をしたものでした。あんなものは作り話だと思う方もおりましょうが、最近はこの種の絵本がかなり売れています。それは、臨死体験やあの世についての研究が進むにつれ、やはり昔の人の英知はすばらしいとの再評価をしているからでありましょう。
たとえば、この世で死を迎えて〈三途の河〉を渡ると、奪衣婆がいて着ている衣服を脱がせて木の枝にかける場面があります(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。
これはあの世においては、この世での地位も名誉も財産もすべてを捨て去り、人間としての真価が問われるプロセスを象徴的に表現したものです。その真価とは、この世での生き方をトータルした〈功徳〉だけが問われるという意味です。功徳が生命の本体となり、心の様相となり、オーラとなって問われます。あの世に一万円札を持っていくことはできませんし、持っていっても何の役にも立ちません。
あの世に持ち越せる唯一の財産は、この世で積んだ功徳であり、また功徳の欠小を補ってくれる遺族の〈追善〉しかありません。追善のパワーはあの世に往ってからの強力なサポートですから、生前から自らも実行し、また伝えることが肝要です。お葬式の大切さも、先祖供養の大切さもそこにあります。ただし、単なる読経だけではパワーが足りません。真言の秘密行法によってこそ、最勝の追善となることもご承知おきください。
こうしたお話をしながら、私は毎日の先祖供養に励んでいます。皆様もぜひご参加ください。「お問い合わせ」を歓迎いたします。
続続・光明真言の威力
令和5年10月8日
光明真言のもう一つの威力は〈土砂加持〉にあります。美しい〈お土砂〉を光明真言で加持すると、その一粒一粒が如意宝珠となって、この世の人もあの世の人も共に救われるからです。
私は毎日の先祖供養の折に光明真言を百八遍お唱えして、いつもお土砂を加持しています。そして、毎年3月21日の正御影供(お大師さまご入定の日の法要)にお配りしています(写真)。
経典には、「これを散ぜば地獄の中、餓鬼の中、もしくは修羅の中にあっても、この神通威力をもって罪を除き、極楽浄土の蓮華に化生する」とあります。仏さまの慈悲の功徳が、これほどに示された言葉はありません。私はただただ「ありがたい」という気持ちで、いつもお唱えしています。
そして、葬儀があった場合は棺の中に、墓参の折には周辺に、そのほか交通事故のあった場所、不浄の場所に光明真言をお唱えしながら散じるようお話をしています。不思議な霊験はいくらでもあります。これを手にする人は如意宝珠を得たも同然なのですから、どんな金銀財宝も及ぶところではありません。
たとえ私に功徳が足らなくとも、仏さまの本願はかぎりなく深いのです。その威力は疑いようもないのです。皆さん、どうかこのことを信じて、私と共に先祖供養に励みましょう。