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続・花は自然界の名医です

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令和5年3月18日

 

私はお風呂くらいは、時間をかけてゆっくりしようと考えましたが、どうしても長湯ながゆにはなれませんでした。ある時、作家の五木寛之さんが、お風呂の中で本を読んでいるというエピソードを聞き、私も真似をしてみようと考えました。仕事には関係のない小説でも読んでいれば、少しは長湯になるだろうと思ったからです。

五木さんは時には眠りに誘われたりして、湯の中に本を落とすこともあるそうで、ぶよぶよになった本が書棚に並んでいるそうです。私もあやうい経験をしましたが、何とか事なきを得ました。たしかにお風呂に本を持ち込めば、時を忘れて読みふけることもあり、かなりの成果があります。ぬるめのお風呂に長くつかって体温を上げたい方には、お勧めの方法です。ただし、愛書趣味の方には向きません。湯の中に落とさずとも、湯気で変形することはけられないからです。

ところが昨年の暮、正月飾りのセンリョウ(千両)が余ったため、コップにしてお風呂の片隅かたすみに置きました。すると、これが癒しの空間になったのです。今度は本を持たずとも、いつの間にか長湯になりました。ユニットバスの中に別世界が出現したようで、思わぬリラックスタイムを得たのです。今日はフリージアが置かれています(写真)。

私は湯の中に入ったら、まず呼吸法をなし、目を細めて花が何を語るかを感じ取ります。そして、花の〈気〉が自分の頭上(百会ひゃくえというツボ)より入って全身を巡ると観じます。次に自分が花に返す想いを口元から発し、花の精を巡ると観じます。自分と花との一体感が生まれ、極上のひとときとなる喜びはたとえようもありません。一日の疲れを癒し、心身の不調すら癒されるからです。宝物とは、これほど身近にあるのでしょうか。

女性はよく花を買い求めますが、男性で見かけることはほとんどありません。しかし私は、男性こそ花を買い求め、自分への癒しにしていただきたいと考えています。私は道端や土手の、野の花にこそ癒されるほどです。少しずつ形や色を、そして名前を覚えれば、これもまた宝物です。そして、花は自然界の名医であることを知るでしょう。

花は自然界の名医です

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令和5年3月16日

 

私は花を習ったことはありませんが、いつ頃からか野の花をすようになりました。宗門の機関紙に15年間、花と写真のエッセイを掲載したこともあります。また、これが二冊の書籍となって、すでに刊行されてもいます(『邑庵花暦』『花は野の花』創樹社美術出版)。

花は人の心をいやし、お祝いやお見舞いの贈り物となり、想いを伝える告白ともなりますが、自然界の名医であることをご存知でしょうか。私は長らく花を挿しつつ、じつは身も心も癒す名医であることがわかってきました。つまり、それぞれの花にはそれぞれの病気を癒す〈気〉を放っているという意味です。その一部をご紹介しましょう。

昨日、東京都が全国で一番早く桜の開花を発表しました。今年はことのほか早いようですが、あさか大師の桜ももうすぐです。いずれ写真でお伝えしましょう。日本人は桜を楽しみに、一年を生きています。

そして、生きる喜びを桜に求めます。もちろん、外国の方にも人気は高まる一方で、桜を見るために日本にやって来る観光客は後を絶ちません。

その桜の芳香は喘息ぜんそくや気管支炎、せきたんの妙薬です。喘息体質の方は満開の桜の下で、大きく深呼吸をしてみましょう。そして、桜の〈気〉が喉や気管に浸透して、自分の体質が変わっていくと感じてください。

花粉症に悩んでいる方が多いようですが、カラーの花がおすすめです(写真)。あの白亜の花と茎の緑には、アレルギー体質を消し去るような〈気〉が充満しています。花店でもよく見かけますので、ぜひ試してみてください。

以下は思いつくまま、効能のみを列記していきます。

糖尿病にはユリ。高血圧にはキク・フリージア。心臓病にはスイセン。動悸にはマーガレット。肝臓病にはリンドウ。胃腸病にはジャスミン。頭痛にはヒマワリ。不眠症にはカスミソウ。疲れ目にはスミレ。下痢にはカーネーション。婦人病にはボタンなどでしょう。

なお、桜の花が喘息や気管支炎に効能があると書きましたが、ほかにもツツジ・キキョウ・ジャスミンもおすすめです。花にはこのような効能があり、まさに、自然界の名医なのです。

この世の花・あの世の花

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令和4年12月22日

 

昨日はおさめ大師(今年最後の大師縁日)で、有縁の方々と縁日護摩を修しました。今年の無事を感謝すると同時に、コロナ禍の終息と国家安穏・世界平和を念じました。また、しくも私の【花と写真のエッセイ・『花は野の花』(創樹社美術出版)】が刊行されました(写真)。

私が寺の住職として多忙にあっても花をし、このような本を刊行したのには理由があります。それは花は仏さまに供えますが、花そのものもまた、仏さまであると思っているからです。〈仏花〉とは仏の花でありますが、その花もまた仏であるという意味ではないでしょうか。

花が嫌いという人は、まずいません。女性はもちろんでありますが、男性もまたある年齢になりますと、花に関心を寄せます。また、お祝いをするにあたっても、まずは花を贈ります。男性が女性に捧げるのも、まずは花です。死者との別れにも、ひつぎに花を入れます。墓参をするにも、忘れずに花を持参します。人間の生活において、花ほど想いを伝えるものはありません。「この世の花」はまた「あの世の花」でもありましょう。

人は恩を忘れますが、花はその季節が来れば、手入れの恩を忘れずに花を咲かせます。人は年末のあわただしさにふり回されますが、花はかたいつぼみを秘めて来春に備えます。人は楽をして成果を得ようとしますが、花は寒風に耐えていろどりを放ちます。人はとかく名誉を求めますが、花は自らを楽しんで開きます。だから、仏さまなのです。

ただ、私の花は流儀のものではありません。つまり、自己流です。また、花器も使いません。時には仏具を、時には民具を、また土器や瓦の残欠などを用います。素人でも花を楽しめることを知ってほしいからです。道端の枯れた狗尾草えのころぐさ(ネコジャラシ)でもよいのです。空きびんにでも挿してみてください。何と美しいかがわかります。美は身辺にあるのです。真実も身辺にあるのです。そして、幸せそのものが身辺にあるのです。

*本書に掲載されている筆者の花は、ホームページ・トップ画面の中ほどにも送信されています。

*本書の購入をご希望の方は、ホームページ「お問い合わせ」よりお申し込みください(定価2000円)。

ツキを呼ぶための生活

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令和4年11月8日

 

ツキを呼ぶためには、月に合わせて生活することが大切です。どういうことかを簡単にお話しましょう。

中医学(漢方)の古典『皇帝内経こうていないけい』には、「人体は月に影響される」と述べられています。人体の60~70パーセントは塩分を含んだ水分です。つまり、海水にかなり近く、これが潮の満ち欠けに関わることは当然でしょう。月の満ち欠けはおよそ29、5日の周期でくり返しますが、これが女性の月経のリズムともなります。昔から「満月の日は出産が多い」といわれるのも、一理あるはずです。

新月から満月に向けては〈開始〉を意味します。体のエネルギー(気)が増えていって、体調も昇り調子になっていくはずです。新しいスタート台に立って、心身ともに整え、目標に向かって進みましょう。満月は〈収穫〉を意味します。エネルギーがピークに達し、体調も最高潮です。ただし、実りの結果が悪かったからといって、ヤケを起こしてはなりません。かえって、そのマイナスの要素をため込んでしまいます。収穫があったなら、その実りを人のために分け与えましょう。その心がけがさらにツキを呼ぶからです。満月から新月に向けては、〈修復〉を意味します。反省して足らないものを補充し、欠点を正すことが大切で、つまり新月に向っての準備期間とも言えましょう。

したがって、満月の日は特に注意が必要であることは当然です。うまくいったからといって有頂天になったり、逆に、落ち込んだり暴言を吐いてはなりません。満ちれば欠ける月のように、私たちはすべてを手に入れることもなければ、すべてを失うこともないのです。これが仏教の〈無常〉の真理、つまり「すべては移り変わる」という教えなのです。

今夜は満月。しかも、皆既月食と天王星の惑星食が同時に起こります(写真は午後7時の撮影で、6割ほどの月食)。何と1580年(安土桃山時代)から442年ぶりだそうで、驚きますよね。

安土桃山時代といえば、織田信長が活躍した頃です。1580年は〈本能寺〉の3年前でした。信長もこの月食を見たはずです。私は彼が現代に生きていれば、映画監督かファッションデザイナーになったのではないかと思っています。既成概念を超えた美的感覚に満ちあふれ、斬新ざんしんな作品を次々に発表したことでしょう。残念ながら、その気性の激しさから・・・。いや、また余談に走りそうですね。今夜は信長の悪い一面ばかりはひかえましょうと言いたかったのです。ご用心を。

春の野の花

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令和4年5月13日

 

不安定な天気が続きますが、あさか大師の近辺には、春の野の花にあふれています。

タンポポ・ヒメジォオン・ヒメオドリコソウ・ホトケノザ・ムラサキケマン・ハハコグサ・チチコグサ・ナズナ・アカツメグサ・キツネアザミ・ノゲシ・オニタビラコ・ノボロギクなど、まだまだあります。ただ、道端でひときわ映えた群生をするのがユウゲショウです(写真)。私は今年、すっかり魅了されました。

ユウゲショウとは「夕化粧」の意味で、本来は夕方に咲いたのでしょうが、今どきは日中から咲いています。図鑑では〈アカバナユウゲショウ〉とあるかも知れません。んだらすぐに水切りをして、コップや空きビンにしてみてください。花屋さんで買う〝商品〟とは異なり、野趣にあふれたすがしい気品があります。

このような花を好んで摘み、それを挿す男性など、ほとんどいません。ゴルフもカラオケもスポーツジムもよいのですが、野の花に興味を持ちますと、一日がとても豊かになります。しかも、費用すらかかりません。坂東真理子著『女性の品格』の中に、その条件の一つとして「花の名前を覚える」とありましたが、男性にこそ品格でありましょう。花の名前をよく知っている男性は、どことなく品格があり、同僚からは一目いちもくをおかれ、女性からも好かれるはずです。

読書を教養の基本メニューとするなら、資格や趣味は応用メニューです。テレビを見て過ごすだけでは、どちらもモノになりませんが、双方を身につければ魅力となります。散策の途中で目についた花の名前を男性が言えれば、奥様も彼女も惚れなおすことでしょう。

ちなみに、人生を救うものは何かと問われたなら、私は「教養です」と答えることにしています。教養はもちろん学歴ではありません。常識であり、分別であり、心がけです。それは、あるいは学問や教育から、あるいは宗教や道徳から、また美術や音楽からも学ぶことができましょう。考える力、感動する力、耐える力、そしてい上がる力はこうして養われるからです。養わねば〝教養〟とはなりません。

お話がそれました。野の花に心を寄せず、ただ素通りするようでは、もったいないことです。人生の大事な宝がここにあります。見過ごしませんよう。

八十八夜

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令和4年5月2日

 

今日は八十八夜、つまり立春から数えて八十八日目に当たります。

念のために暦で確認しましたが、まさにそのとおりでした。とりわけ農家にとっては大切な日で、今日をめどに本格的な仕事に取りかかります。〈米〉の字が〝八十八〟と書くのも、意味深く感じられましょう。二十四節気にじゅうしせっき(季節の名称)の合い間には雑節ざっせつが入りますが、八十八夜もその一つです。昔は雑節によって農事の予定を立てましたが、インターネットや天気予報のない時代、その智恵のすばらしさには驚かざるを得ません。

このところ冬にさかもどりしたかのような寒さですが、残念ながら最後に降りるとされる「別れじも」には出会えませんでした。別れ霜はよく晴れた日の夜に突然に降りやすいそうで、移動性高気圧が急速な放射現象を起こし、気温が低下するためと聞いています。

また、八十八夜は何といっても茶みの最盛期です。〝あかねたすきにすげかさ〟での、あのなつかしい小学校唱歌が思い出されます。四月の上旬から摘み始めて、今日を中心に一番茶から四番茶へと進みます。新茶が楽しみです。せっかくですので、私が好きな八十八夜や茶摘みの名句を挙げておきましょう。

折々は腰たたきつつ摘む茶かな(小林一茶)

きらきらと八十八夜の雨墓に(石田波郷)

母ねむり八十八夜月まろし(古賀まり子)

逢いにゆく八十八夜の雨の坂(藤田湘子)

私が生まれた農家などは、家族が飲食するものは何でも自家栽培していましたから、お茶もまた例外ではありません。摘んだ茶葉を蒸して、囲炉裏いろりの上で手もみをしました。家族がその囲炉裏のまわりで肩を寄せ合い、深夜まで続けるのですが、子供にとっては睡魔との戦いでした。やがて私が僧侶となって、八千枚護摩という断食不眠の荒行にいどんだ折、もうろうとした中でよみがえった記憶の一つがその茶もみの経験でした。普段は意識すらしなかった光景が、まるで映画を観るようにありありと浮かび、記憶とは恐ろしいものだと思ったものです。

そろそろ、着るものも軽やかになりましょう。藤の花や茶摘み歌に託して、春が去って行きます。それでも時節の変わり目、かぜを引きませんよう。

桜開花

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令和4年3月25日

 

しばらく、寒い日が続きましたが、あさか大師の桜が今日、開花しました。先日のつぼみと同じところをご披露します(写真)。ただ、まだ寒い日が続くそうで、桜がかわいいそうです。咲いていいやらいけないやら、迷っているように見えてなりません。晴れの日が続いてほしいものです。

今日は午前中にめずらしく葬儀が入り、その後に伝授をしました。私は受者がわかりやすいようプリントを配ったり、現前で絵を描いたり、メモを渡したりしますので、それだけ時間ががかかります。そして、わかりやすさに加え、楽しさが加わるよう努めています。楽しくなければ理解できませんし、長く続けることもできません。そして、楽しくなければホンモノではないとさえ思っています。これは、大事なことです。

まずは、しばらく、桜をながめて息を抜きましょう。そして、楽しみましょう。満開の予測が立ちませんが、4月2日が〈桜まつり〉です。お越しください。

木蓮の花

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令和4年3月19日

 

今月は18日から春彼岸に入り、木蓮もくれんの花が咲き誇っています。木蓮には紫木蓮しもくれん白木蓮はくもくれんがありますが、今日は行きつけのコンビニの前でみごとな白木蓮を見つけました(写真)。

日本は遠い先祖を神棚に、近い先祖を仏壇にまつり、神さまと仏さまが共存する国です。そして、神さまを父となし、仏さまを母となして2681年の世界一古い国家(ギネス認定)として存続して来ました。

私が特に、日本は仏さまに守られた国だと思う理由の一つは、春秋の彼岸にも、お盆にもそれぞれに特有の花が咲くことです。春彼岸には木蓮が、夏のお盆には蓮の花が、そして秋彼岸には曼珠沙華(まんじゅしゃげ彼岸花)と、その度に仏さまを讃える花が美しく咲くではありませんか。

これらの花につつまれて、日本人は先祖を尊び、墓参をします。しかも、誰に頼まれずとも、これらの花がおのずから咲くのです。私はこのことを思うだけでも、日本は何とすばらしい国なのかと感動すら覚えます。皆様も町かどで木蓮を見たならば、「仏さまの花」と讃えてください。

ついでながら、あさか大師の桜も、いよいよ開花を迎えるばかりとなりました。つぼみはふっくらとふくらみ、明日にも開花の様相です(写真)。明日は午前11時半よりお大師さまの正御影供しょうみえく(金運護摩合修)、午後1時からは春彼岸会(お土砂どしゃ授与)を奉修します。お大師様にもご先祖にも、木蓮と共にお供えになりましょう。

また、4月2日(土)に〈桜まつり〉を予定していますが、散らずに残ってくれることを祈っています。皆様、お楽しみに。そして、ぜひお越しになってください。

匂ひ起こせよ梅の花

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令和4年3月13日

 

暖かい風を感じるようになりました。まさに、柔らかい〈東風こち〉のおもむきです。そして、道真みちざね公(天神様)の歌がしのばれ、梅が満開となりました。すなわち、

東風(こち)吹かば 匂(にお)ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

都(京都)から大宰府に流される折の作とされています。「東風が吹いたら大宰府まで匂いを届けておくれ、あるじ(私)がいないからといって、春を忘れてはなりませんよ」という意味です。

道真公は梅が好きだったので、天神社には必ず植えられています。特に紅梅をでて、自分の住居を〈紅梅殿こうばいでん〉まで称しました。現代は花見といえば桜ですが、平安時代までは梅だったのです。清少納言せいしょうなごんの『枕草子まくらのそうし』にも、「木の花は濃きも薄きも紅梅」とあるのはそのためかも知れません。

あさか大師の近辺でも、今が梅の満開です。今朝ほどの散策で、農家のみごとな紅梅を見つけました(写真)。まさに、匂いおこせよの真っただ中です。

もちろん、白梅もまた違った趣きがあります。こちらもまた見事というほかはありません(写真)。ともども、心地よい匂いにつつまれ、一日が豊かになりました。

あさか大師には隣りに桜並木がありますが、いずれは私も梅を植えたいと思っています。紅梅、白梅、いずれも、私がいなくなっても匂いをおこしてくれますように。

中秋名月

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令和3年9月21日

 

今夜は中秋名月で、しかもお大師さまご縁日という特別な日です。つまり、旧暦8月15日の夜に当たり、これを「十五夜」と呼ぶわけです。昨夜は一点の雲もない〈待宵まつよいの月〉でしたが、今夜は雲が多く、多分に隠れるかも知れません。ご縁日のお護摩を修してより、何となく落ち着かず、空模様を気にしていました。実は今夜の雲を予測して、明け方近くに写真を撮っておいたのです。ほとんど満月ですが、わずかな欠けを感じるかも知れません(写真)。

せっかくですので、日本人なら知っておきたい〈月待つきまち言葉〉をお伝えしましょう。

先にお話しましたが、十五夜の前日、つまり14日の夜を「待宵まつよい」と言います。文字どおり15日の夜を待つ宵ですが、十五夜に雨が降りそうなら、晴れたこの日のうちにお月見をしておこうという意味も含まれています。ついでですが、竹久夢二作詞、おおの 忠亮ただすけ作曲の抒情歌『宵待草よいまちぐさ』は夢二の造語で、正しくは「マツヨイグサ」と呼びます。しかし、恋人を待つ心境としては、「ヨイマチグサ」の方が詩情に合っているのでしょう。詩人はこうして、自分の造語を生み出すのです。

また、16日の夜を「十六夜いざよい」、17日の夜を「立待たちまち」18日の夜を「居待いまち」と言います。もう、このへんになると、満月からは欠けますが、満月の名残なごりを楽しむ余韻よいんが日本人らしいところです。そして、「十三夜じゅうさんや」も忘れてはなりません。旧暦9月13日の夜で、十五夜に並ぶ名月の美しさを楽しめます。十五夜は中国から伝わりましたが、十三夜は日本独特の〈未完の美意識〉を象徴しています。今年は10月18日なので、忘れずにいてください。

毎月1日を「ついたち」と呼ぶのは、次の月が始まる、つまり「月がつ(始まる)」の意味からです。また30日を「つごもり」と呼ぶのは、「月もり(かくれる)」から転じた言葉です。

これらは、お大師さまがご在世の平安時代から使われてきました。お大師さまと親交の深かった嵯峨さが天皇さまは月見を好まれましたから、お二人で名月を楽しんだに違いありません。

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