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お護摩の伝授②

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令和2年9月13日

 

今日は毎日のお護摩と昼休みをはさんで、午前も午後も不動護摩の伝授をしました。

真言密教の加行(入門の行法修行)は、お不動さま(不動明王)を本尊とする「五段護摩」です。つすなわち、第一火天段・第二部主ぶしゅ段・第三本尊段・第四諸尊しょそん段・第五世天せてん段の五部門に分けて修します。第一火天段はお護摩で最も大切な火天さま(大日如来の智慧の火)を、第二部主段では降三世ごうざんぜ明王さまを、第三本尊段では本尊のお不動さまを、第四諸尊段ではたくさんの仏菩薩さまを、最後の第五世天段では諸天の神さまを供養して、諸願の成就を祈ります。

もちろん、この五段護摩を習得するのは大変で、お弟子さんたちも真剣でした(写真)。しかも、ハイスピードで伝授をしましたので、かなり疲れたことでしょう。よく復習をしていただきたいと思います。

お護摩は大変にありがたい行法です。なぜなら、炎の勢いがそのまま祈りに感応するからです。この自然界はすいふうくうという五大によって構成されています。それぞれが私たちの心に感応しますが、もっとも強力なのが火の力だからです。心の様相がすぐに感応します。それだけに、修する行者は身を慎まねばなりません。

水害も台風の被害もありますが、日常の生活で最も注意すべきが火なのです。昔は「火の用心」ではなく、「火之要慎ひのようじん」と書きました。〝慎みを要する〟からです。それだけに、私たちは、身近にあっても火を粗末にしてはなりません。仏さまそのもの、神さまそのものだからです。現代人にはその心が薄れています。

私はお弟子さんたちがあさか大師に気軽に集まり、それぞれがお護摩を修して、ご自分はもとより、人々の祈願を成就してくださることを楽しみにしています。そして、その炎の力で社会を浄化してくださることを念じています。

私の大切な宝もの

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令和2年8月30日

 

今日は、私の大切な宝物をご披露ひろうしましょう。

とはいっても、豪邸や高級車ではなく、宝石や金塊でもありません。そのようなモノにはまるで縁がありませんし、何しろスーツひとつ所有しておりませんので、身を飾ることもありません。まるで隠遁者いんとんしゃそのものの生活なので、お大師さまに祈ることだけが私の財産です。それでも、この世に生きた痕跡こんせきとして、大切にしているモノがあることも事実です。

その一つが若い頃に使った護摩杓ごましゃく(お護摩の作法で油をそそぐ法具)で、三十代の折に明け暮れた八千枚護摩はっせんまいごま残骸ざんがいです(写真)。八千枚護摩とは真言密教の難行なんぎょうで、お不動さまの供養法を修して真言を十万遍お唱えし、その後に断食して八千本の護摩木を焼き尽くすという秘法です。一座に真言五千遍を唱えるだけでも五時間はかかります。護摩を加えて片づけをすると七時間近くかかりますから、一日三座では睡眠の時間もありません。私はこれを一回に七日間、一年に七回~十回を修して、五十回を成満しました。しかも、最初の三回までは七日間をすべて断食しましたから、真夏などは意識がもうろうとして護摩木を投ずることさえ困難でした。不思議な体験もしましたが、それ以上にお護摩に対する信念がつちかわれたことが最大の功徳となりました。

写真の撮り方が悪いのではありません。このとおり杓のが曲がっているのです。これはお護摩の高熱によって反ってしまったからです。私は先に二組の柄を燃やしてしまい、これが三組目で、かろうじて残りました。実はこの柄はかしの木で出来ています。想像はつくと思いますが、樫の木がこのように反るということは、並みの高熱ではあり得ません。いかに無謀むぼうな荒行に投じていたかが、わかりますでしょうか。おそらく真言密教の長い歴史の中でも、こんな痕跡こんせきを残した方はがさほどにいるとは思えません。この二本の杓こそは、私にとっては何よりの宝です。

それゆえ、私がこの世の人生を終えてひつぎに入る折には、この杓も一緒に入れていただこうと私案しています。そして、いざ火葬されるその時こそ、若い時のあの情熱をよみがえらせて、「六大無礙ろくだいむげ炬火こかを燃やして本来不生ほんらいふしょうたいを焼く」と観念をらし、もう一度この杓のお世話になろうと考えています。火葬の炎がお不動さまに変ずるよう、これからも大切に保管して磨きをかけておきましょう。

あれから、三十年近くがたちました。今の私は無謀な荒行より、お大師さまに楽しく接することに生きがいを感じています。何枚も皮がむけて、もともとの自分に帰ったような、そんな気持ちでいるのです。もちろん、人生に無駄なことなどありません。過ごした時間は、過ごしただけの価値があると、そう思っています。人はそのために生きているのです。たとえ、叶わぬことがあったとしてもです。皆様も同じですよ、きっと。

お護摩の伝授

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令和2年8月27日

 

昨日と今日、お二人のお弟子さんに「不動護摩ふどうごま」の伝授をしました。

真言密教の僧侶は「四度加行しどけぎょう」という修行を経て伝法灌頂でんぼうかんじょう(正しい継承者となる儀式)に入壇にゅうだんし、一人前の教師となります。四度加行は文字どおり四種の修行をしますが、その最後が不動護摩なのです。不動護摩とはいわゆる不動明王(お不動さま)をお呼びし、さまざまな供養をなし、浄炎をもって祈願をする修行のことです。ほかのお弟子さんもこれから続きますが、今回のお二人にはトップを切って受法していただきました。

不動護摩は正式に修すると約二時間はかかります。印や真言、また観想など、覚えることがたくさんあって大変です。お二人とも二日間びっちりで、だいぶ疲れたようでした。私たちはお大師さまのような天才ではないので、そこは辛抱しんぼうと努力が必要です。しかし、それだけに今後の成長が楽しみです。

ところで、お護摩を修するには護摩壇が必要です。私が毎日修している護摩壇は特別なもので、加行中のお弟子さんにはとてもとてもあつかいきれません。そこで、どのように伝授をするか困っていましたら、あるお弟子さん夫婦が手作りの立派な護摩壇をご寄進してくださいました(写真)。私が望んでいたとおり、解体が可能なのでとても助かります。本当にありがたいことです。色を塗って仕上げをしようかとも考えています。

私が望んだわけではないのに、このようにことが運ぶのは、やはりお大師さまのご加護だと思っています。それだけお大師さまは、私やお寺のことを考えてくださっていることに間違いはないと確信しています。それは、私がいつもお大師さまを思い、おそば近くで仕えているからです。何ごとでも同じです。思わなければ思われませんし、近づかなければ縁は結ばれません。縁が結ばれねば何の変化もありません。簡単な道理です。

そして、このようなご縁をくださったお弟子さん夫婦に、深く感謝しています。私はお弟子さんに教えを説き、法を伝えますが、私もまたお弟子さんに多くを教えられ、多くを与えられているのです。これが師弟の関係であって、師が高いところからものを言うだけでは、本来の修行にはなりません。世の〝高僧〟ほど、自戒をすべきです。いや、これはちょっと、よけいなお話になりそうです。このへんで。

続・香りについて

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令和2年5月26日

 

八千枚護摩はっせんまいごまにはさまざまな思い出があります。使用していた腕時計が、決まって15分進んでしまうのもその一つでした。「こんなはずはない」と思い、かなり無理をして高級品を買い求めましたが、結果は同じでした。しかしカシオのデジタル腕時計は、安物(!)でも進みませんでした。あれはどうしてであったのかと、今でも思います。

お話をもどしましょう。八千枚護摩中には何度か護摩木がいぶって、キナくささがただようことがありました。その時、思ってみない遠い記憶がよみがえるのでした。それは子供の頃に毎日、風呂を沸かしていた時のことでした。父のいいつけで、これが私の日課になっていたのです。現代のようなユニットバスなどありませんから、たきぎに点火し、竹吹きで風を送りながらマキをくべました。その時、キナくさいにおいが発生するのです。つまり、私はそのにおいを毎日嗅覚きゅうかくとどめていたのです。しかし年齢を重ねると共に、私の記憶からすっかり遠のいて行ったことは申すまでもありません。

ところが、八千枚護摩中に同じにおいに接するや、何十年もの時を超えてよみがえる嗅覚の不思議さには、驚きを禁じ得ませんでした。しかも風呂場の前にしゃがみこんで、その炎をじっと見つめていた幼い自分の姿まで、映像のように浮かぶのです。もちろん視覚も聴覚も、味覚も触覚も、五感のすべてが同じように作動しているのでしょう。一度見たものも、一度聞いたことも、一度触ったものも、みな記憶の底には残っているはずです。母親が作ってくれた〈おふくろの味〉も、味覚として残るのも当然です。しかし、嗅覚がこれほどまでに記憶と直結している事実は、意外というほかはありませんでした。八千枚護摩の思い出の中でも、格別な体験として忘れ得ません。

私たちは自宅の前に巨大なマンションが建って景観をそこなわれても、しかたがないとあきらめるはずです。線路や道路わきに住んで騒音に悩まされても、だんだんに慣れるはずです。注文した料理がまずくても、次は別の店に行こうと思って食べるはずです。購入した洋服の肌ざわりが悪くても、ガマンをして着用するはずです。しかし、悪臭の中で生活することはできません。つまり、嗅覚こそは五感の中でも特別な存在なのです。

現代は空気清浄機はもちろん、消臭剤や芳香剤が数限りなく売られています。それだけ、私たちはにおいに対して敏感なのです。また私たちの生活と嗅覚には、特に密接な関わりがあるのです。ついでですが、〈におい〉は悪いにおいで「くさい」とも読みますが、〈におい〉はよいにおいで香りのことです。お間違いなさいませんよう。

いま、若い女性の間でもお香が流行はやっています。ストレスをやわらげ、安眠へ誘う手立てとしてお香を愛用することは私も勧めています。昨日、香りはこの世とあの世の媒介ばいかいだとお話しました。そして毎日、幽玄なお香をお大師さまにお供えしています。その時、お大師さまの方からその香りをお届けくださっているようにも思えてきます。香りの感応道交です。

香りについて

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令和2年5月25日

 

私は二十代で真言密教の僧侶となり、三十代の10年間は八千枚護摩はっせんまいごまという難行なんぎょうに明け暮れました。これはお釈迦さまが、この世とあの世を八千回往復して悟りを開いたという説に基づくものです。一週間菜食さいじきして不動明王のご真言を十万遍唱え、さらに一昼夜断食だんじきして八千本の護摩木を焼き尽くしました。現在はこの八千枚護摩も各地で修されていますが、当時はこんな難行にいどむ行者は少なかったように思います。

私はこれを50回も成満しましたが、始めの頃はすべて断食して修したため、意識がもうろうとする中で不思議な現象も体験しました。修法中には「加持物かじもつ」と言って、白ゴマを炎に投ずる作法があります。その時、限りない無数の光輪につつまれるのです。その色がたとえようもない輝きを放ち、まるで夢のような心地であったことは忘れられません。私たちは普段は感ぜずとも、多くの異次元世界の中で生きていることを実感したものでした。

このような体験を重ねると、感覚がえわたることは間違いありません。特に嗅覚きゅうかくが発達するのです。当時の寺は三階建てで、一階が事務所やロビー、二階が本堂、三階が庫裡くり(居住所)でした。成満してすぐに境内を巡拝するのですが、その時は三階でどんな食事を作っているかさえ感じ取れるほどでした。「いま、味噌汁のダシをとっているな」ということがわかるのです。また自分が知らない土地で車に乗っていても、はるか手前で「この先にラーメン屋さんがありますね」などと言うと、そのとおりラーメン屋さんがありました。独特のにおいをいち早くキャッチしていたからです。歯が悪い人や胃が悪い人の、わずかなにおいもスグにキャッチしたものでした。

もっとも、私は今でも毎日お香をきますので、一般の方より嗅覚が発達するのは当りまえです。しかも伽羅きゃら沈香じんこうといった高価なお香を焚きますから、なおさらのことです。皆様も毎日このような香りに接していれば、嗅覚の発達はもちろん、顔までがどことなく仏相を帯びてくるはずです。これは本当のことです。

どうしてこんなお話をしたのかと申しますと、香りこそは仏さまに近づく最も身近な手段であるからです。真言密教の僧侶が行法をするにも、最初に修するのはお焼香です。また、皆様が亡くなった方を回向するにも、お線香をそなえます。つまり、香りこそはこの世とあの世の媒介ばいかいなのです。

品格の優劣も香りです。「紳士の香りがただよう」とか「うさんくさい」などと言うでしょう。本物と偽物にせものの違いもまた香りです。「本物の香りをはなつ」とか「あやしいにおい」などと言うでしょう。あらゆる理屈を超えて、本質は香りに現れることを知らねばなりません。香りについてのお話はさらに続けましょう。

はじめに教えを説いた第一の仏

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令和2年5月15日

 

徒然草つれづれぐさ』の逸話いつわを、もう一つご紹介しましょう。これは最終段(第二四三段)からの引用です。

兼好法師けんこうほうし(作者)が八歳になった時、父親にたずねました。「仏とはどのようなものでしょうか」と。父親は「仏には人がなったのじゃよ」と答えました。幼い兼好はまた、「人はどのようにして仏になったのですか」と問いました。父親は「それは仏の教えによってなったのじゃ」と答えました。兼好はさらに、「その教えを説いた仏は何によって仏になったのですか」と問いました。父親は「そのまた先の仏の教えによって仏になったのじゃ」と答えました。兼好はなおも食い下がり、「そのはじめに教えを説いた第一の仏は、どういう仏だったのですか」と問いました。父親はとうとう、「そうじゃなあ、空から降ったのか、土の中から湧いたのじゃろうよ」と笑ってしまいました。そして、「息子に問いめられて、どうにも答えられんかったよ」と大勢に語っておもしろがったのでした。

八歳の子供がこんなことを父親に質問するのですから、さすがに兼好法師は秀才(もしくは天才!)です。私が八歳の頃はとてもとても、泥だらけになって遊んでいたぐらいの記憶しかありません。こんな質問など浮かぶ道理もありません。皆様はいかがですか。

さて、これもおもしろいお話です。歴史的にはお釈迦さまがはじめて仏になったわけですから、「人がなった」ということになります。そして、それはお釈迦さまが作り出した教えによってではなく、もともと存在していた真理を悟ったということですから、父親はそれを「仏の教えによって」と答えています。ところが私が注目するのは、最後の「はじめに教えを説いた第一の仏」なのです。強いて申し上げるなら、それが真言密教の大日如来ということになりましょう。歴史的には存在しない大日如来について説明する場合の、よいお手本になるからです。

兼好法師も出家者しゅっけしゃ(僧侶)ですから、この最終段は仏教のことでめくくりたかったのでしょう。また、八歳の息子がこんなことを聞いてきたのですから、父親としてはよほどうれしかったのでしょう。事実、大勢に語って喜んでいます。いささか自慢の気持があったかも知れません。そこに親子のおもしろさと深い味わいがあります。『論語』のような強い道徳性とは異なり、『徒然草』の魅力はここにあるのです。受験のための強制的な勉強としてではなく、社会人になってからこそ愛読してほしいのです。男の生きざまを教える人生の名著ですよ。無人島に一冊の本を持って行くとしたら、私はたぶん『徒然草』を選ぶでしょうね。

明恵上人の逸話

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令和2年5月14日

 

徒然草つれづれぐさ』(第一四四段)に、栂尾とがのう(京都)の明恵上人みょうえしょうにん逸話いつわが紹介されています。

上人が道を歩いていたら、ある男が川で馬を洗っていました。そして、その馬の足を洗うため、男は「足!足!」と声を出しました。それを聞いた上人は、「ああ、ありがたや。前世の功徳が実を結んで、『阿字あじ(足)阿字(足)』と唱えておる。どういうお方の馬であるか。あまりにも尊いことじゃ」とたずねました。

男は「これは府生ふしょう殿の馬です」と答えました。すると上人は「何と何と、これはめでたいことじゃ。阿字は本不生ほんぷしょうという意味で、まさに『府生(不生)』ではないか。うれしいご縁をいただいたものじゃ」と涙をぬぐったそうです。

ちょっと解説をしましょう。〈阿字あじ〉というのは真言密教の梵字ぼんじで、大日如来という最高の仏さまを示します。真言宗のお位牌いはいやお塔婆とうばには必ず書かれている梵字で、この梵字がなければ真言宗そのものが成り立ちません。それくらい大事な梵字なのです。そして、その〈阿字〉には〈本不生ほんぷしょう〉という深義があるのです。本不生とは「本来不生不滅ほんらいふしょうふめつ」を略した言葉で、私たちはもともと、生ずることも滅することもない永遠の生命であるということを教えているのです。阿字と本不生と、明恵上人はこの二つの言葉に同時に出会えたご縁に感激したのでした。なかなか〝おもしろい〟お話です。

皆様はどう思うでしょうか。「何だ、ただのこじつけじゃないか」と、そう思うでしょうか。もちろん、〈足〉と〈阿字〉はまったく別のものです。また、〈本不生〉という深義と〈府生〉という人物の間に、何のかかわりもありません。

でも、どうでしょうか。私たちもお護摩の炎を写真にったらお不動さまの姿が出ていたとか、ロウソクが蛇腹じゃばられて龍神さまが現れたとか言うことがあります。また、かべのシミが観音さまの姿に見えるということから、お賽銭さいせんを上げたりするものです。これも自然な心理であって、単なる〝こじつけ〟では済まされません。

明恵上人の逸話も、何か特別な意図があったのでしょう。弟子が同行していたのなら、修行の心得を教えたとも受け取れます。山の形や川の流れに、風の音や人の声に、もっと五感をはたらかせなさいという意味ではなかったかと思うのです。自然界はすべて仏さまの文字であり、仏さまの説法であるというのが、お大師さまの教えなのですから。

加持祈祷の極意

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令和2年5月7日

 

人は病気になるから健康を守れる、とお話をしました。このような逆発想をしていきますと、人生の多くのことがわかってきます。

たとえば、私たちは不幸と思うことがあるから幸福を願えるのです。幸福とは何かというなら、それは幸福を願わずにいられることです。また、失敗をするから謙虚になれるのです。うまくいっている時は、反省することも危険だと思うこともありません。また、くやしい思いをするから向上心がくのです。しかられたり、はじをかいたりしなければ、さらに努力しようとも思いません。だから、それを意識するしないにかかわらず、望む望まないにかかわらず、私たちは大きな〝ご加護〟の中で生きているのです。これが生命という尊いはたらきです。

ところで、私は毎日お護摩を修していますが、病気平癒びょうきへいゆのご祈願が必ず寄せられます。特に重症の方は、写真をおあずかりして護符に封じてもいます。その時、どういう気持でご祈願をしているかというと、生命の尊いはたらきを信じるという一点に尽きるのです。病気は医師が治すわけではありません。ましてや、私が治せるはずもありません。回復を助けるためのサポートはしますが、病気を治すのは病気そのものなのです。生命の尊いはたらき、つまり本人の自然治癒力しぜんちゆりょくなのです。

真言密教には〈病者加持法びょうじゃかじほう〉という、いわゆる病気平癒の祈願法があります。その極意は、お大師さまのご加護と本人の自然治癒力を信じることなのです。念力や超能力で病根を断つのではありません。病根は健康を守ろうとする尊いはたらきなのです。これを断っては治るものも治りません。私には念力も超能力もありませんので、ひたすらその尊いはたらきをお大師さまにお願いしています。その無心な気持ちがなければ病気平癒のご祈願などできません。そして、私が無心になればなるほど霊験が顕現けんげんします。

このことは病気のご祈願にかかわらず、あらゆる加持祈祷かじきとうの極意でもあるのです。念力や超能力は極度の集中力を要しますので、かなりの疲労を覚えるはずです。私の加持祈祷はお大師さまにお願いし、お大師さまのお力をいただくのですから、自分もまた元気になります。とてもありがたいことで、ご祈願が楽しくなります。

そして、人の体こそは宇宙の縮図、仏さまのうつわであることをますます確信しています。頭が丸いのは天空に等しく、足を組んで坐禅をすれば大地に等しいのです。自然界のあらゆる姿が、人の体にあるのです。私たちは信じる信じないにかかわらず、大きなご加護の中で生きているのです。生かされているのです。

疫病と般若心経

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令和2年3月7日

 

このたびの新型コロナウイルスによる肺炎感染の疫病えきびょうは、地球をあげての危機となりました。実はお大師さま四十五歳の折、大変な疫病が流行しました。そのことは著作『般若心経秘鍵はんにゃしんぎょうひけん』十一段の上表文じょうひょうのもんに記載しておられます。大略をやさしい現代文にしてみましょう。

弘仁こうにん九年(818)の春、天下に大変な疫病が流行はやった。そこで嵯峨天皇さがてんのうは自ら金泥きんでいを筆先にめ、紺色こんしの紙を押さえて『般若心経』一巻を書写された。私はおそばにあって『般若心経』の功徳を講義していたが、絶命したと思われた人が蘇生そせいし、夜なのにまるで日中のようなまばゆい光までも出現した。(中略)昔、私はまさにお釈迦さまの霊鷲山りょうじゅせんでの説法の席にいて、この経の深い意味を聞いたのであるが、今こそこれを解き明かしたのである」

嵯峨天皇のこの写経は「勅封ちょくふう般若心経」と呼ばれ、現在も京都嵯峨・大覚寺だいかくじ〈心経殿〉に奉安され、60年に一度だけ寺院関係者に開封されています。弘仁九年は戊戌ぼじゅつ(つちのえいぬ)の干支かんしでしたので、その干支が60年に一度巡って来るからです。最近では平成三十年が戊戌に当たり、しかも弘仁九年からちょうど1200年目ということで、大覚寺では記念法要が奉修され、しかも一般公開までされました。

この上表文を鎌倉時代の日蓮聖人などは、根も葉もない「大妄語だいもうご」としていますが、嵯峨天皇の「勅封般若心経」が大覚寺にあることはまぎれもない事実です。そして弘仁九年の疫病にかぎらず、『般若心経』が数々の病魔を降伏ごうぶくさせてきたことも事実です。お釈迦さまより直接この経を聞いたとする結びの表現も、決して絵空えそらごととは思いません。お大師さまご一代の行状ぎょうじょうを見れば、このような超越的なお話は十分に考えられるからです。またお大師さまが、『般若心経』を特に重んじられた深義もここにあるからです。

いま地球をあげての感染危機に直面し、一人でも多くの方々が『般若心経』の読誦どくじゅ、あるいは写経に励まれますことを念じてやみません。私も毎日のお護摩では必ず『般若心経』を大太鼓の轟音ごうおんと共に読誦し、疫病の終息を祈念しております。

赤ちゃんは「オギャー」と泣くのか

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令和2年3月5日

 

阿字あじの子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ちかえる 阿字のふるさと」というお大師さまの歌があります。すぐれた弟子であった智泉ちせん(お大師さまのおい)さまが、三十七歳の若さで世を去った折、その悲しみをいやすために作られたとされています。

阿字というのは真言密教の教主・大日如来のことで、いわば仏のふるさとを象徴しょうちょうします。よく位牌いはいの上に書かれている、あの梵字ぼんじのことです。つまり、人間は仏の子として仏の国から生まれ、やがてはまた仏の国へ帰る〝本来不生不滅ほんらいふしょうふめつのいのち〟であるいう意味です。死者は仏の国に帰るのですから、位牌に阿字が書かれるのは当然といえましょう。

ところで、阿字のふるさとを立ち出でて誕生した仏の子、つまり人としての赤ちゃんはどのような産声うぶごえを発するでしょうか。普通、赤ちゃんは「オギャー」と泣くといいますが、私はどうも違うのではないかという疑問を持っています。なぜなら、赤ちゃんは口を開けて泣くのです。口を開けたら「オ」にはなりません。私はたぶん「アギャー」と泣くのだと、若い頃から想像していました。しかし、赤ちゃんはまだはっきりとした発音ができません。だから、何となく「オギャー」と聞こえるのではないでしょうか。

私はこのことを確認すべく、出産経験のある多くの女性に質問して来ました。また、伝授の折には尼僧にそうさんにまで質問しました。しかし、明確な答えは得られませんでした。出産は女性にとって一生の難事であり、産声を正確に聞き取る余裕などないというのがその答えで、私の失態に終ったわけです。

しかし今は、ネットの動画で誰にでもその声を聞くことができます。間違いありません。赤ちゃんは大きく口を開けて、「アギャー」と泣くのです。つまり、「仏の国から今こそ生まれたぞ!」という宣言を、この阿字によって発しているのです。生きるということは声を発することです。声の大きい赤ちゃんは丈夫に育ちますし、元気な人はみな声が大きいはずです。つまり、存在とは振動であり、響きであり、声なのです。したがって、声が出なくなったその時、私たちはまた阿字のふるさとに帰るのです。

今日のブログは皆様にも、そして真言宗僧侶のすべての方々にも読んでいただきたいお話です。そして、お大師さまは本当に偉大なお方だと、改めて憶念おくねんしていただきたいお話です。

山路天酬密教私塾

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