八種類の供物
令和6年9月4日
仏さま(如来・菩薩・明王)へのお供えには密教修法での荘厳(壇上のおかざり)を除いて、特別な決まりはありません。たとえば「お不動さまはいかにもお酒が好きそうだ」といってお供えをしますが、決してお不動さまがお酒を望んでいるわけではないのです。
仏さまは悟りの境地に達していますので、「あれがほしい、これがほしい」と執着をいだくことはありません。もちろん、祟りをなすこともありません。よく「観音さまが怒ってるよ」などという方がいますが、それは観音さまを名のった方が都合がよいからなのです。大慈大悲の観音さまが祟ることは絶対にありません。このことは心得ておきましょう。
しかし、神さま(天・権現・明神など)はそうはいきません。特に聖天さまや荒神さま、星祭りの神さまなどには、厳密な決まりがあります。また、それに違反したり、御礼参りを怠ると祟りをなすこともあります。神さまにはまだ、執着があるからです。ただ、神通力で仏教を守護し、仏さまによくお仕えくださるので、そこがありがたいのです。
あさか大師には神さまとして鎮宅霊符尊と八大龍王さまがお祀りされていますので、いつも八種類のお供えをしています。すなわち、お酒・水・お茶・洗米(五穀)・塩・もち・菓子・木の実です(写真)。
「触らぬ神に祟りなし」といいますが、よくいい得ています。簡単な気持ちで神さまに願がけをしたり、失礼をしてはなりません。それができないなら、はじめから触らぬ(!)ことです。
続・荒神様はやはりスゴイ!
令和6年8月30日
荒神様は火傷にも、スゴイようです。
昨日、某女より連絡があり、料理中に指に火傷を負ったとのことでした。水で冷やし、薬をぬりましたが、ズキズキと痛みが止まりません。つらかったと思いますが、実は料理中にひとりごとで愚痴を言っていたのでした。さっそく「荒神様、失礼いたしました。私の不心得から火傷を負いました。この痛みを少しでもやわらげてください」とお詫びを入れ、ご真言「オンケンバヤケンバヤソワカ」をお唱えました。その台所にはもちろん、あさか大師の荒神様のお札が貼ってありました(写真)。
するとどうでしょう。あれほどの痛みがたちまちに止んでいきました。普通ではあり得ません。水ぶくれも引いたというのです。そして、あまりのうれしさに、私に電話をくださったのでした。
やはり、荒神様はスゴイ(!)です。信じる信じないの問題ではありません。私たちは仏様にも神様にも囲まれたマンダラの中で生きているのです。そして、お大師様もまた、凄いお方です。
荒神様はやはりスゴイ!
令和6年8月28日
25日(日)の午後、北海道の未知の方より、「財布をなくしました。お助けください」とメールが入りました。その財布には現金20万円のほか、運転免許証、マイナンバーカード、クレジットカード、キャッシュカードといった、生活必需品が入っていたそうです。
失物は本人の不注意もありますが、家内での立腹・悪口・口論といった荒神様への不敬が原因です。荒神様は〝不浄〟を極端に嫌うからです。だから、荒神様に心からお詫びをして祈れば、その失物がもどって来ることが多いのです。
私はさっそく、その方法をメールでお伝えしました。まずガス台に火をつけ、できればお線香を立てます。そして、「荒神様、失礼をお詫びいたします。大切な財布をなくしました。どうかお助けください」と念じ、ご真言「オンケンバヤケンバヤソワカ」をお唱えするのです(写真)。
翌日の朝、その方は私がお伝えしたとおりに実行しました。すると間もなく、行きつけの飲食店から、「トイレに財布がありましたよ」と電話が入り、一件落着しました。トイレに入り、ポケットから出して忘れて来たようです。
荒神様はやはりスゴイ(!)です。信じる信じないにかかわらず、必ずいらっしゃいます。そして、あらゆる仏様や神様を融合する真言密教を伝えられたお大師様もまた、凄いお方です。
功徳を求めない功徳
令和6年8月15日
二十代の頃、師僧より「真言宗の僧侶は施餓鬼をしなさい」と厳命されました。もちろん、若い私にはその意味するところを深く理解したわけではありません。しかし、師僧の言葉を真摯に受けとめ、できるだけ施餓鬼を修するようになりました。
今は夕食のご飯に汁物を加えて準備し、深夜に境内で施餓鬼の真言をお唱えしています(写真)。
施餓鬼がなぜ功徳があるのかといいますと、ただ施すことに徹するからでありましょう。餓鬼界の亡者に「病気が治りますように」とか、「お金が入りますように」とは祈りません。その無欲さが、かえって大きな功徳を生むからです。つまり、功徳を求めないことで絶大な功徳を生み出すからです。
施餓鬼を修するお坊さんは長命だといわれます。胃腸を患わないともいわれます。お寺の経営もどうにかなるともいわれます。これは施餓鬼を受けた亡者が、食をいただいた御礼をするからです。
お盆も明けますが、私は時節を問わずに、施餓鬼を修すべきだと思っています。功徳を求めずとも、絶大な功徳を生む施餓鬼はすばらしいものです。餓鬼界は熱中症以上の業苦につつまれます。充分な水分を、忘れずに加えましょう。
続々・荒神様はどんな神様?
令和6年7月31日
荒神様の御影(お姿)は火難除札などの中で見ることがあります。いくつかの御影がありますが、一番多いのは八面六臂(顔が八つ、腕が六本)のお姿でしょう。手にはそれぞれ宝珠・仏具・弓矢・斧などを持っておられ、いかにも怖そうな形相をしていらっしゃいます(写真)。
ところで、荒神様は広く日本国民に信仰されながら、その行法(密教の専門的な祈り方)はほとんど伝えられていません。観音様やお不動様などの行法はスグに学べますが、荒神様はなかなかその機会がないのです。
そこで私は若い頃、三人の阿闍梨(行法の師僧)を訪ねて伝授を受け、貴重な「三宝荒神法」を学びました。先日、5人の弟子僧より要請があって伝授をしましたが、大変にむずかしいものです。
貴重なこの行法を永く伝え、正しく相承されることを願ってやみません。ついでながら、荒神様のブログを三度続けました。そうすると、どうしたことか、荒神様の逸話や資料が次々に集まりました。これは偶然なのか、それとも、もしかして・・・・です。
続・荒神様はどんな神様?
令和6年7月27日
紛失や盗難の原因は、家内での荒神様への不敬(立腹・悪口・口論・不浄)が原因です。「そんなバカな!」と思うでしょうが、これは本当のことです。信じる信じないにかかわらず、荒神様はそこに土地があり、火や水を使う以上、どの家にも必ずいらっしゃるからです。
そこで紛失・盗難にあった場合の「失物発見法」を伝授しましょう。これは私が、あさか大師の皆様にお話していることで、どれほど多くの霊験があったかは計り知れません。
①まず、ガス台やIHを清掃して火をつけ、仏壇のお線香を立てます(写真・お線香がない場合は省略してもけっこうです)。
②次に荒神様に、よくおわびをします。「ご不敬がありましたらお許しください。大切な〇〇を紛失しました。一刻も早く見つかるよう、お願いいたします」 と、声に出して念じます。
③次に荒神様の真言「オン ケンバヤケンバヤ ソワカ」を二十一遍お唱えします。
これで家の中での失物なら、たいていはスグに見つかります。外の場合や盗難は、三日~七日続けてください。外で財布を紛失した場合は、現金はなくなっていても財布自体やカードが戻ってくる場合が多いようです。見つかったら、荒神様への御礼をお忘れなく。ぜひお試しください。
荒神様はどんな神様?
令和6年7月25日
あさか大師には、御守と共に〈火伏札〉が陳列されています。いわゆる「台所の神様」「荒神様」の御札で、火難除のために皆様がお求めになります。お寺でも台所のガス台近くにお祀りしています(写真)。
荒神さまは「三宝荒神」と呼ばれますが、どんな神様なのか、実ははっきりしていません。日本古来の神様と真言密教の明王様が習合した尊格だとしかいいようがありません。お像や御影(絵)を見ると、怖い忿怒の形相をしています。一説にはお不動様の化身、あるいは文殊様や聖天様の化身などともいわれます。
また、〈土・火・水〉の三要素を「三宝」として、荒神様の本体ともいいます。人間はこの三要素がなくては生きていくことができません。そして、これらの三要素が荒れ狂う時、私たちは多大な災難を呼ぶことになるのです。
特に怖いのは地震でしょう。荒神様の真言は「オン ケンバヤケンバヤ ソワカ」とお唱えしますが、その「ケンバ」とは地震のことという説があります。そして、人は土をもってカマドを作り、水を用いて煮炊きをしてきました。「ケンバ」をカマドとする別説もあり、カマド(台所)の神様はこうして崇拝されてきたのです。
現代の台所にも、荒神様は必ずいらっしゃいます。特に不浄を嫌うとされますので、ガス台やIHは清潔にせねばなりません。また、その近くで腹をたてたり、悪口をいってはなりません。これを犯すと災難を呼ぶからです。ほんとうですよ。
求道僧への伝授会
令和6年6月28日
昨日、相模原市の蓮乗院にて、私の近著『尊勝仏頂法・宝篋印経法』(青山社)の伝授会がありました(写真・中央奥が私)。長いコロナ禍の中で伝授会がすべて中止となり、六年ぶりに公的な会所に臨んだことになります。多くの求道僧が集まり、熱心にご視聴をいただきました。
またご住職所蔵の多くのマンダラ絵図が公開され、まるで三千世界の諸仏諸尊に囲まれたような伝授会でありました。遠くは北海道や関西からも参集され、ご挨拶やご質問を賜りました。
求道僧の集まりとは、このようなものでありましょう。ご自坊に帰りまして、さらなるご精進を遂げられますよう念じてやみません。
最勝の陀羅尼とは
令和6年5月23日
真言密教では仏頂尊勝陀羅尼・宝篋印陀羅尼・阿弥陀陀羅尼を「三陀羅尼」として尊重し、毎日の勤行でお唱えします。この中で、三番目の阿弥陀さまに関しては皆様にもよく知られ、お寺の本尊としてもお祀りされています。ところが仏頂尊となると、どういう仏さまなのかよくわかりません。またお寺で宝篋印塔という石塔をよく見かけるものの、説明されることはほとんどありません(下写真)。
そこで私は、このたび『尊勝仏頂法・宝篋印経法』という行法次第(供養の方法)を刊行し、ご住職さま方に仏頂尊や宝篋印塔への関心を深めていただきたいと考えました(下写真・青山社刊)。
仏頂尊とは仏さまの頭上に盛り上がった仏智(肉髻といいます)を、尊格として象徴した仏さまです。よく不機嫌な顔つきを「仏頂面」などといいますが、とんでもないことです。仏さまの智恵が最も集まっているので「尊勝」とお呼びするのです。
また宝篋印塔という石塔も五輪塔(光明真言の塔)と並んで、その功徳ははかり知れません。そのことは『宝篋印陀羅尼経』に明記されています。つまり、「三陀羅尼」は光明真言と共に、先祖供養への最勝の陀羅尼だといえるのです。
私のささやかな刊行によって、ご住職さま方が三陀羅尼への意欲をさらに深めていただくことを願ってやみません。
地鎮鎮壇法の実修
令和6年5月16日
昨日、古河市の大行院様(建立中)の依頼により、新しいお寺のための地鎮鎮壇法を修しました(写真・左が筆者)。
真言密教のお寺を建立する場合は、必ず地鎮鎮壇法を修し、大壇や護摩壇の下に地天(土地中心の神様)への宝瓶と五色玉を、また八方天(八方の神様)への輪宝・独鈷杵という法具を埋め、五穀粥を献じなければなりません。ただ、仏具店で簡単に買える法具ではありませんし、修法を伝承した阿闍梨(真言密教の導師)も少なくなりました。
昨日は私が導師を、法友が正鎮師(副導師)を、あさか大師の弟子僧2名が承仕(役僧)となって、無事に奉修を果しました。一同が貴重な体験をさせていただきましたことに御礼を申し上げますと共に、大行院様の寺門興隆をお祈りいたします。