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私の人生の宝

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令和7年8月19日

 

あさか大師には「宝物」と呼べるものはありませんし、もちろん宝物殿などもあるはずがありません。

しかし、ひたむきに祈る姿こそが、この寺の〝宝〟だと思っています。毎日のお護摩もしかりです。また毎日、私がお導師となって弟子僧と共に祈り続ける先祖供養の「光明真言ネットワーク」もしかりです。

私は30代の若い頃、八千枚護摩はっせんまいごまという荒行を、50回も達成しました。一週間断食して不動真言を10万遍お唱えし、その後に八千枚の護摩木をくという真言密教のきびしい修法です。真夏などはもうろうとして意識がうすれ、汗によって眼も開けられず、法衣の表までもびっしょりになりました。不思議な体験もありました。

その頃に使っていた護摩しゃく(油を注ぐ法具)が今も残っています(写真)。

手に持つの部分はカシでできていますので、よほどの高熱でも曲がることはありません。しかし、一度は完全に燃え尽き、二度目はこのように湾曲してしまいました。私はこれこそ自分の人生の宝なのだと考え、大切に保管しています。

この護摩杓を見ると、若い頃の情熱がよみがえり、またがんばろうという気持ちになります。若さとは貴重なものです。二度と帰らぬ若さを無駄にしてはなりません。お若い方には、このことをお伝えしたいと思います。

与えられる唯一の方法

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令和7年8月10日

 

私は毎日、夕食のご飯や汁の一部を別の器に入れ、深夜になって施餓鬼せがきをしています(写真)。これは20代で僧侶となった折、師僧より「真言密教の僧侶は毎日、施餓鬼を勤めねばならない」との教示をいただいたからです。

そして、師僧はさらに、「施餓鬼は何も求めないで無欲で修すること」ともおっしゃいました。たしかに、施餓鬼をしながら、お寺に人が集まるようにとか、お布施が集まるようにと念じながら修することはありません。

しかし、何も求めないで無欲で修することが、かえって大きな功徳になることは間違いありません。なぜなら、無欲で修することは陰徳いんとくであるからです。陰徳とは明るみに出ない功徳のことです。これによって、人にほめられようとか、世間に知られようといった意図は何もありません。

しかし、私が特に病気もなく健康で、お護摩や先祖供養に励み、お寺に大勢の皆様がお参りくださるのは、この施餓鬼の功徳が大きいと思っています。与えることは、与えられる唯一の方法です。お護摩はお大師様に与え、先祖供養は死者に与え、あらゆる職業は社会に何かを与えるからです。そして、それを周知徹底しているのが施餓鬼なのです。

特大五鈷杵を奉安

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令和7年6月26日

 

このたび、あさか大師ご宝前に、弟子僧から寄進された特大五鈷杵ごこしょが奉安されました(写真)。

五鈷杵とは代表的な密教法具のひとつです。本来はインドの武器でありましたが、煩悩を智慧ちえに転ずる法具として用いられるようになりました。左右の中央に一本の独鈷杵とっこしょ(いっぽんどっこ!)があり、四方に四つの(鈷)があります。つまり五つの鈷が仏の五智ごちを示します。

お大師様も立派な五鈷杵を唐より請来しょうらいされましたが、その現物は東寺(京都)の宝物館に収蔵されています。私も拝観したことがありますが、お大師様が実際にお使いになられたというだけで緊張し、立ちすくんでしまいました。

真言密教の法具は単なるお飾りではありません。それらはすべて、仏の悟りを象徴するものです。残念ながら今日では、密教法具を製作する職人さんが少なくなり、その値段が大変に高価になりました。弟子僧が購入を希望するたびに、私も悩みます。伝統工芸の技術を維持することの難しさなのでしょう。

教えては学び、学んではまた教える

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令和7年6月12日

 

三日間、留守をいたしましたが、6月10日(火)・11日(水)の両日、京都の仁和寺で不動護摩の伝授と実修、および法楽太鼓の打ち方を指導してまいりました(写真)。

ご参加の皆様は全員、真言密教各派の熱心な僧侶の方々です。つまり、プロのお坊さんの前でお話をしたのですから、かなり緊張し、疲れもしました。

しかし、教えることによって、逆に自分が学べることも事実です。今回も教えるための準備をしながら、多くのことを学びました。何十年も学んでいながら、こんなことも知らないでいたのかと、反省したこともあります。

教えては学び、学んではまた教えるのが僧侶としての、また住職としての勤めなのでしょう。まずは疲れを癒して、また学んでまいります。一日一生、日々が精進です。

*毎日のお護摩(午前11時半)は通常どおりに修しています。ぜひお参りください。

弘法大師の御影

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令和7年3月5日

 

お大師様(弘法大師)は承和2年3月21日に〈ご入定にゅうじょう〉されました。ご入滅ではなく、ご入定と伝承されてます。つまり、死滅したのではなく、今もなお生きて瞑想されているという意味です。そして、お大師様を信仰し、その宝号を唱える人と共に、常に「同行二人どうぎょうににん」であるという意味です。

お大師様のお姿を「御影みえ」(写真)といい、ご入定の日にこの御影に供養する法要を〈正御影供しょうみえく〉といいます。あさか大師では毎年3月21日(今年は20日)午前11時半に、お護摩と共にご入定の正御影供を奉修しています。

御影にはお大師様の持ち物として、水瓶(浄水をいれた法具)・木履(木製のクツ)・念珠(琥珀と水晶製)が描かれています。私はこれらの密教法具を考証して復元し、正御影供の折にお供えしています。唯一無二のものですが、どなたでも拝観できます。関心のある方は、ぜひお参りください。多くの皆様に、お大師様との勝縁をいただいてほしいと念じてやみません。

求道の外国人僧

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令和7年2月21日

 

昨日、キーフ・ムーア・大徹だいてつさん(アメリカ国籍)と、スティーブン・イップ・直道じきどうさん(カナダ国籍)が、私の伝授を受けに来山しました(写真)。お二人ともまじめで礼儀正しく、お大師様を慕う外国人僧です。読経も真言も、しっかりとお唱えしていました。

いま、お大師様は世界中で人気があります。日本で得度をして僧侶となり、修行をする熱心な外国人も増えてきました。それは真言密教が曼荼羅の教えであり、あらゆる仏様も神様も融合し、闘争のない調和の宗教であるからでしょう。

宗教の違いから国と国が争う現実に、何十億もの人々が絶望しています。今後はこうした外国人のためのテキストが必要になるでしょう。

私も真摯しんしな外国人僧には、法を伝えねばならないと考えています。日本が好きでお大師様を崇拝する外国人の方が、ますます増えることを願っています。

荒神様の火伏札

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令和7年1月16日

 

初詣の皆様がお求めになるお札のひとつに、「荒神こうじん様の火伏札ひぶせふだ」があります。いわゆる、「カマドの神様」、台所の火難除札のことです(写真)。

人が生活する以上、火は欠かせません。しかし、火は必要であると同時に、危険でもあります。また、現代はスイッチひとつで発火が可能なだけに、火に対する畏敬いけいの念がありません。

火は、三宝荒神さんぼうこうじんという神様が司どっています。つまり、神聖なものです。礼を尽くさねば、必ずおとがめを受けます。だから、昔はカマドのそばで悪口をいったり、腹を立ててはいけないと教えられました。これを守らないと、盗難にあったり、失物をしたりします(本当ですよ!)。

あさか大師の火伏札は、全国からお申込みがあります。一体千円です。ご希望の方はホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。

続・二十七宿と二十八宿のどちらが正しいか

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令和6年12月23日

 

あさか大師では二十七宿を用いていますが、この場合は〈牛宿ぎゅうしゅく〉がありません(写真)。その理由はインドの識者が月の運行を観察し、一ケ月を27、3日と判断したからでした。その日々の配置を二十七宿としたのです。

吉祥の宿はいくつかありますが、特に仏教では〈鬼宿きしゅく〉が尊ばれました。お釈迦様の誕生日であったという一説もあります。ご祈祷や祝事にはよく用いられました。

また、真言密教の行法始め(開白かいはく)にも重んじられています。この場合の〈鬼〉はもちろん、悪鬼ではありません。神通力のある鬼神とでも覚えてください。

二十七宿と二十八宿、どちらが正しいか

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令和6年12月21日

 

真言密教では日の吉凶を決める場合、二十七宿、または二十八宿を用います。したがって、一般に用いられる大安・仏滅を重んじることはありません。ところが、暦によって二十七宿と二十八宿の違いがあります。どちらを用いるのか、皆様も迷うことがあるのではないでしょうか。

この答えはお大師さまがどちらを請来しょうらいし、どちらを用いられたかで決定されるべきでありましょう。そこで私が調べましたところ、最古の資料は高野山霊宝館が所蔵する『宿曜経しゅくようきょう』でありました。また、同志社大学が所蔵する『宿曜経』(写真)も、やや時代は下がりますが、お大師さま請来の写本を伝えるものでありました

これらの古書によりますと、いずれも二十七宿でありまして、お大師さまが用いられていた「古法」と呼ばれる真説であります。したがって、あさか大師では二十七宿の暦を皆様に配布しています。皆様からご相談をいただいた場合も、この二十七宿で判断しています。また、新春護摩のご祈願をなさった方には、二十七宿の暦をお渡ししています。

書店で売られる暦は二十八宿が多いようですが、この点をご注意いただき、日の吉凶をご判断いただきたいと思います。

仏様は何がお好きなのか

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令和6年10月31日

 

では仏様はいったい、何がお好きなのでしょうか。仏様は神様とは違い、一切の執着がありません。したがって、何が欲しい、何をお供えしてほしいという次元ではないのです。

しかし、あえてお話をするなら、私たちが善いことをして、悪いことをしない生き方をすることをお喜びになるのだと言えましょう。つまり、功徳がお好きなのだと私は思っています。

その功徳を積む修行を六度ろくどといい、布施・持戒・忍辱にんにく(忍耐)・精進・禅定・智慧の六つの徳目で表します。そして、真言密教では布施には閼伽あか(水)を、持戒には塗香ずこう(身に塗るお香)を、忍辱には華鬘けまん(花)を、精進には焼香を、禅定には飯食(ご飯)を、智慧には灯明をお供えして六度の修行をお誓いするのです(写真)。

その意味は、水はすべてに恵みを与えるので布施を、塗香を身に塗ると気持ちが引き締まるので持戒を、花は酷寒に耐えて咲くので忍辱を、焼香は最後までともるので精進を、ご飯をいただくと心身が落ち着くので禅定を、灯明が暗闇を照らすので智慧を、それぞれに表しています。

緑色のお供えはシキビです。日本には香木がありませんが、シキビの葉がお香のかおりを放つので、仏花としてこれを用います。これが「仏様は何がお好きなのか」のお答えです。

山路天酬密教私塾

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