銭洗い弁天
令和2年5月19日
「銭洗い弁天」という、お金のパワースポットをご存知でしょうか。弁天は「弁天さま」、つまり弁財天のことです。鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社が最も有名ですが、他にもこれに類したの神社やお寺がたくさんあります。
宇賀福神社は文治元年(1185)巳の年の、巳の月、巳の日、巳の刻に源頼朝に、弁財天に使える宇賀神さま(蛇体の神)が、「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ。されば天下泰平の世がおとずれる」というお告げがあったことから始まりました。〈巳〉は蛇体で、つまり宇賀神さまを示します。ちょっと出来過ぎた逸話ですが、これが頼朝が建立した宇賀福神社の由来です。その後、北条時頼がこの湧き水で銭を洗い、一族の繁栄を願ったことから「銭洗い弁天」として知られるようになりました。さらにその湧き水で銭を洗うと、その銭が倍になるという信仰が生まれたのです。
私は従兄弟が鎌倉にいるので、訪れたついでに宇賀福神社を参拝したことがあります。まだ若い頃で、何人かの人が熱心にザルでお金を洗っている姿を見ましたが、自分もやってみようとは思いませんでした。「ずいぶん俗な信仰があるものだ」という程度にしか思わなかったからです。
ところが、今になってお金というものの大切さや、お金を大事に扱うべきことを思案し、そのことを力説するようになって以来、銭洗いの意味も納得するようになりました。私たちはよく、お金を「きたないもの」とする誤った先入観があります。お金持ちはみな悪い人だとする一方的な思い込みと、誰が触ったかわからないから衛生上〝きたない〟という観念を兼ね、このような考えが通用しているのです。
お金はそれを扱う人間によって、善にも悪にもなるのです。しかしそのお金をザルに入れ、清らかな湧き水で洗うことはお金を大事に扱う行為として好ましく、ほほえましいことです。また弁財天は本来は〈辯才天〉と表記し、水や農耕の神さま、歌や音楽の神さまなのです。だから清らかな湧き水で銭を洗ってシャラシャラと音を奏でることは、大きな功徳になるのです。弁財天に喜ばれ、それによって自分が好かれれば、銭が倍になるという信仰もまんざらではありません。
こういう信仰が時代を経て続いているということは、確信があるからです。つまり、霊験があるからです。昔からの伝承に対し、謙虚に受け止めるべきものがたくさんあるはずです。あの頃、銭洗いになど何の関心も持たなかった自分を、今はただただ反省しています。
業の洗濯
令和2年2月10日
人はよく、特定の信仰や何らかの道に入って、それから〝修行〟をするといいます。しかし、私はそうは思いません。信仰を持とうが持つまいが、あるいは信仰に反発する人さえも、等しく修行をしていると思うのです。もちろん政治も学問も、科学も芸術も、料理も趣味も、何一つとして修行でないものはありません。
なぜなら、どのような生き方をしようと、人は苦しみを背負うからです。では、その苦しみはどこから来るのでしょうか。仏教では、それを「業(または宿業)」と呼んでいます。業はあるいは前世から、あるいは先祖から遺伝子のように引き継ぐのです。信じようと信じまいと、それは自由です。しかし、何らかのプロセスがなければ、人は平等に生まれるはずです。しかし、健康に差があり、貧富に差があり、能力に差があるのは、生まれる以前に何かがあったからではないでしょうか。
そして、業が苦しみとなって現れる時、それは〝業の洗濯〟をしているのだと私は考えています。洗濯をすれば水は汚れますが、それは同時に清める姿でもあります。つまり、人は苦しみの中で業の洗濯をしつつ、業を清める修行をしていることになります。
問題は、その事実をどのように受け止めているかです。苦しみによってヤケをおこせば、つまり途中で洗濯をやめれば、修行の意味を失います。かえって業を深める結果にもなりかねません。また、その修行を成就するのにどのような形をとるかも、人それぞれです。信仰に求めるも、それを否定するも、他に求めるも自由です。しかし、どのような形をとるにしても、人は自分が背負った業の洗濯をする天命があると私は思っています。
孤独と恐怖の体験
令和元年10月8日
30年ほど前の今頃、私は深夜、たった一人で日光男体山に入峰(信仰上の登山)しました。標高2486メートルの男体山は、日光連山の主峰です。子供の時から西にこの山を望んで育ちましたが、入峰したのは初めてのことでした。
男体山は奈良時代、勝道上人によって開山されましたが、上人は人跡未踏の登頂に16年を要しました。当時は二荒山と呼ばれていましたが、二荒(フタラ)とは補陀洛(フダラク)のことで、つまり観音浄土を意味します。そして、この二荒(ニコウ)を日光(ニッコウ)と改めたのは弘法大師であると、松尾芭蕉が『おくの細道』に記載しています。「青葉若葉の日の光」はここから詠まれた名句です。
ところが、私が入峰したその日の深夜に、日の光などはもちろんありません。しかも、あいにくの雨の日でした。たしか、登山口を出発したのは午後10時頃だったと思います。ポンチョで身を覆い、額にヘッドライトを着けて出発しました。ところが、4時間程度の登頂予定が、大幅に遅れました。なぜなら中腹ほどの所で、雨のためにヘッドライトの電源が切れてしまったからです。かといって引き返すわけにもいかず、月もない暗闇の中を、手探りで登ったからでした。登るほど寒さに震え、風も強まって来ました。
こんな時、訪れる孤独と恐怖は体験しないとわかりません。行き交う人もおりません。私は深い戦慄を覚えながら少しずつ登りました。九合目ほどだったと思います。雨風にさらされつつも、夜空に頂上が丸くぼんやりと見えてきました。その丸い円形から、月面を連想したのでしょう。私はその時、無人の月に独り取り残されたような、そんな幻想におののきました。そして、さらなる孤独と恐怖に襲われました。私は無意識のままに『観音経』を唱えていたのでした。
夜が明けて、私は無事に下山しましたが、まるで夢のような一夜を回想しました。きっと、観音さまに覚悟のほどを試されたのでしょう。観音浄土の山は、きびしい修練の山でもありました。
オシラさま
令和元年6月30日
青森から遠路を、また尼僧様ご夫婦がお越しになりました。
今日のご相談は、東北地方に信仰されるオシラさまについてでありました。オシラ様については柳田國男博士などの研究がありますが、民間信仰の故かはっきりしていません。大黒天・三宝荒神・歓喜天などと一体であるとされますが、青森では特に養蚕の神さまとして信仰されたようでありました。
歓喜天(聖天さま)には特に歓喜団(アンと生薬を巾着状に包んで、油で揚げた菓子)を供えます。私は鎮宅霊符尊にもお供えしていますので(写真前列の中央)、その仕様などを説明いたしました。
ちょっとお聞きしたいのですが、皆様は神さまと仏さまと、どちらがお偉いと思いますか?
たぶん神棚の方が高いから、神さまだと思っていらっしゃるはずです。残念ながら、実は仏様の方がお偉いのですよ。ただし、ここでいう仏さまは如来・菩薩・明王といった本当の〝仏さま〟でありまして、いわゆるご先祖さまのことではありません。これらの仏さまはお悟りを開いておられるので、特にお好きなお供物などありません。しかし、神さまはまだ執着がありますので、何をお供えするかのルールがあるのです。だから、神さまをお祀りする時は、気まぐれな思いつきであってはなりません。うっかりすると障碍(祟りのこと)を呼びます。だから、「さわらぬ神に祟りなし」というのです。
今日のお話は、神さまとのおつき合いには、それなりの覚悟が必要なのですいうことです。よくよくお伝えしておきますよ。
孝女の一灯
令和元年6月26日
平安の昔、和泉(大阪)国の山村にお照という女の子がおりました。
同村の奥山源左衛門とお幸の間には子がなかったのですが、観音さまに子宝の願がけをしていた道中、捨てられていたお照を連れ帰ったのでした。お照は夫婦の慈愛を受け、器量もよく、また評判の孝女として育っていきました。しかしお照が十三歳の折、夫婦が相次いで他界し、幸せな一家は突然の悲劇に陥落しました。お照はしかたなく育て親の位牌と衣類だけを持って女中奉公にあがりました。
お照は育て親の墓参りをすることを唯一の喜びとしつつも、何とかして菩提を弔いたいと思うのでした。そして、高野山奥の院に灯籠を供えることが一番いいということを聞かされ、それを切に願うのでした。しかし、貧しいお照には灯籠代など払えるはずもなく、叶わぬ願いに悩み苦しみました。
お照はついに意を決して、その美しい黒髪を売り、灯籠を寄進したのでした。それは、お照の一生の中で、最も高価な支払いでありました。
その灯籠は奥の院に献じられ、お照は深い喜びにつつまれました。やがて奥の院では万灯会(多くの灯籠を仏に献ずる法要)が行われ、無数の灯籠が輝きました。その時、突然に一陣の風が吹き荒れ、ほとんどの灯籠がたちまちに消し去られました。しかし、お照の灯籠はさらに輝き、何よりも尊い力を秘めていることを人々に知らしめました。
これが高野山に伝わる「孝女の一灯」。何を供えるかより、どんな気持ちで供えるかの大切さを伝えるお話です。グッときます。
トイレの神さま
令和元年6月17日
トイレそうじをすると、「シモの病気にならない」とか「安産ができる」などといわれています。
これは当然のことで、要はトイレが排泄やお産に関わる〝シモ〟の場所であるからです。そして人間の生活に必要な場所である以上、必ず神さまがいらっしゃるからです。不浄とされるトイレそうじをすることは、それだけ功徳を積むことになるのです。だからトイレの神さまに好かれ、シモの病気を避け、安産ができるのです。
また、昔の和式トイレはしゃがんで用を足し、雑巾がけをしましたから、おのずから足腰が鍛えられます。現代は妊婦の方がプールの中を歩いたりしますが、これをトイレそうじでしていたわけです。やはり、昔の人は自然の理に長けていたのでしょう。
トイレの神さまを「烏蒭沙摩明王」といい、通称「烏蒭沙摩さま」といいます。不浄除の御札には、必ず烏蒭沙摩さまの御影(お姿)が描かれたり、真言(マントラ)が書かれています。除臭剤や芳香剤もけっこうですが、本来はお香を供えるべきなのです(写真)。私は毎朝、お大師さまの本堂、回向殿、水子堂の後、トイレにもお香を供えてから修法(おつとめ)に入ります。奈良や京都では、今でもトイレにお香を供えている旅館が多いのはさすがですね。一度、試してみてください。いいことがありますよ。