自由はあるのか

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仏教

令和元年8月11日

 

皆様は〈自由〉にあこがれますでしょうか。

こんな会社は早くやめて自由になりたい、イヤなあいつから解放されて自由になりたい、お金にも時間にも困ることなく自由になりたい、と、こんなふうに思っていらっしゃるでしょうか。さっそく、うなずいていらっしゃる方のお顔が浮かぶようです。

残念ながら、この世に自由など、どこにもないのです。まず、この世に生まれて、生きていくことそのものが苦しみです。過酷な競争の中でたたかわねばなりませんし、厄介な人ともつき合わねばなりません。次に、どんな人にも確実に老いがやって来ます。いくらコラーゲンやヒアルロン酸を塗っても顔のしわは増えますし、足腰も不自由になることはいなめません。次に、誰でもいずれは病気になります。現代は病気に無縁な人ほど、気をつけねばなりません。健康を自慢していても、やがてはどこかをわずらいます。そして、どんな人も、必ず死を迎えます。大事な家族とも別れねばなりません。そのほか、にくしみあう苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、求めても得られぬ苦しみ、この身に受けるあらゆる苦しみなど、これらを仏教では〈四苦八苦しくはっく〉といいます。

生活するうえでの規制もあります。お腹がすいたら食事をとらねばなりませんし、一日が終われば睡眠をとらねばなりません。入浴もせねばなりませんし、トイレにも行かねばなりません。多忙な時ほど仕事が増え、出かけようとすれば電話が入ります。買い物をすれば並ばねばならず、車に乗れば渋滞に巻き込まれます。いったい自由など、どこにあるというのでしょうか。

だから、生きていくことは苦しいものだと、まずは受け入れることです。受け入れれば楽になりますし、別の世界が開かれます。不自由であればこそ人生を大事にします。そして、時間を大事にします。健康を大事にします。それだけ、人生を価値あるものにできるのです。苦しみを受け入れてこそ〈楽〉が味わえるように、不自由を受け入れてこそ〈自在〉に生きられるのです。自由ではなく、自在なのです。これこそ、観自在菩薩の自在なのです。

山路天酬密教私塾

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