令和5年5月11日
世にも不思議な霊験談を集めた本に『日本霊異記』があります。古代におけるさまざまな仏教説話を、薬師寺の僧・景戒が書き残したもので、正式な書名を「日本国現報善悪霊異記」といいます。第二十八には孔雀明王の呪法で有名な役の行者(神変大菩薩)のお話も載っています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。私は若い頃から東洋文庫(写真)で愛読してきましたが、今はいろいろな出版社から刊行されています。
たとえば、こんなお話があります。
その昔、高麗(朝鮮)の学問僧で、元興寺(奈良)に住む道登という方がいました。ある日、宇治橋(京都)を渡っていた時、一つの髑髏が人や獣に踏まれているのを見つけました。道登はこれを悲しみ憐れんで、従者の万呂という者に、木の上にねんごろに安置させました。
ところが、その年の暮れの夕方、ある〝人〟がやって来て、「道登大徳の従者の万呂という方に会いたい」といいました。万呂が面会すると、「大徳のお慈悲をいただいて、この頃はだいぶ楽になりました。今夜でなくては恩返しができませんので、どうかついて来てください」と言って、万呂をある家に案内しました。
家の中には食事が用意されていたので、その人は万呂にそれを施しました。ところが、夜半になって、「私を殺した兄が来るから逃げましょう」というではありませんか。万呂が訳を聞くと、「昔、私は兄と共に商売に出かけましたが、私だけが銀四十斤も稼ぎました。すると兄は、これをねたんで私を殺し、銀をうばったのです。以来、私の頭は人や獣に踏まれ続けました。大徳のお慈悲をいただいて救われましたが、あなた様の恩も忘れられず、今夜その御礼をしたかったのです」と語りました。
その時、その人の母と兄が霊を供養するために家の中に入ってきました。二人は万呂を見て驚き、わけを聞きました。万呂がことのいきさつを語ると、その母は驚き、その兄に「私の子はお前に殺されたのか。賊に殺されたのではなかったのか」とののしりました。そして万呂を拝み、丁重に接待をしました。つまり、この日はその人の命日で、あの食事はそのために用意されていたということになるのでしょう。
万呂は帰って、このことを道登大徳に伝えました。そして、お話は死人の霊や白骨でさえこうであるなら、生きている人がどうしてその恩を忘れられようかと結んでいます。現代の日本では親のお葬式をしない人が増えましたが、これを聞いたら何と思うのでしょうか。お骨も大切に弔わねばなりません。そして、命日には特別の意味があることも忘れてはなりません。