令和2年6月19日
大正12年の関東大震災(マグニチュード7・9)では、十万人以上の死者や行方不明者を出し、火災によって東京は一面の焼野が原となりました。その火災による死者だけでも、九万人を超えたとされています。この時、浅草寺(浅草観音)は幸いにもわずかな被害にとどまり、避難所としての機能を果たしました。右も左もわからぬ混乱の中で、五重塔ばかりはすっくと建ち残り、それを目標に人々が集まったからです。
また平成7年の阪神・淡路大震災(マグニチュード7・3)の折にも、ほんの一部を除いて、奈良や京都の五重塔(三重塔も含めて)も無事でした。日本最古である法隆寺の五重塔は奈良時代に建てられ、高さは31・5メートルです。日本最大の高さである東寺(お大師さまが住職をした京都の教王護国寺)の五重塔は江戸時代に再建されて、高さは54・8メートルもあります。木造建築でこれほどの高さで、あの震度の中でも倒れないなどという事実は、普通なら考えられません。いったい、五重塔がかくも地震に強い理由は何なのでしょうか。
その秘密は〈心柱〉にあります。つまり、五重塔の中心にあって、地上から一番上の相輪(九段の輪や宝珠などの装飾)までを貫く柱にあるのです。内部構造を見ると、この心柱は五重の階層と固定されてはいないのです。日光東照宮の五重塔にいたっては、何とこの心柱が宙に浮いています。四層目からつるしているだけなのです。では固定もしない心柱が、どうして地震から五重塔を守っているのでしょうか。
心柱は土台に乗せるか、宙づりです。では何が支えなのかというと、支えはないのです。つまり、五重の階層はそれぞれに積み重ねているだけだということになります。もちろん、下の階層は上からの重みに耐えねばなりません。そこで、それぞれの四隅には複雑な木組みを施し、のしかかる重みを分散させています。この積み重ねの構造により、下の階層が右に揺れると上の階層は左に揺れ、それぞれが互い違いに揺れて衝撃を吸収します。それでも、震度が強くれば塔の全体は共振して傾きます。そこで心柱が本領を発揮します。塔が右に傾くと、心柱は左に傾くいわゆる「やじろべい力学」が発生し、力が相殺して揺れに耐えられるのです。千年を超える木造建築が、現代まで残る理由がここにあります。
五重塔は仏さまを供養する象徴的な建築です。コンピューターもなく、微分積分の知識もない時代、深い信仰と自然への洞察がなければこんな智慧は生まれません。現代建築の耐震構造さえ、これをヒントにしているくらいです。五重塔は世界に誇る日本の英知です。そして、仏教の英知です。