山路天酬法話ブログ

はじめに教えを説いた第一の仏

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真言密教

令和2年5月15日

 

徒然草つれづれぐさ』の逸話いつわを、もう一つご紹介しましょう。これは最終段(第二四三段)からの引用です。

兼好法師けんこうほうし(作者)が八歳になった時、父親にたずねました。「仏とはどのようなものでしょうか」と。父親は「仏には人がなったのじゃよ」と答えました。幼い兼好はまた、「人はどのようにして仏になったのですか」と問いました。父親は「それは仏の教えによってなったのじゃ」と答えました。兼好はさらに、「その教えを説いた仏は何によって仏になったのですか」と問いました。父親は「そのまた先の仏の教えによって仏になったのじゃ」と答えました。兼好はなおも食い下がり、「そのはじめに教えを説いた第一の仏は、どういう仏だったのですか」と問いました。父親はとうとう、「そうじゃなあ、空から降ったのか、土の中から湧いたのじゃろうよ」と笑ってしまいました。そして、「息子に問いめられて、どうにも答えられんかったよ」と大勢に語っておもしろがったのでした。

八歳の子供がこんなことを父親に質問するのですから、さすがに兼好法師は秀才(もしくは天才!)です。私が八歳の頃はとてもとても、泥だらけになって遊んでいたぐらいの記憶しかありません。こんな質問など浮かぶ道理もありません。皆様はいかがですか。

さて、これもおもしろいお話です。歴史的にはお釈迦さまがはじめて仏になったわけですから、「人がなった」ということになります。そして、それはお釈迦さまが作り出した教えによってではなく、もともと存在していた真理を悟ったということですから、父親はそれを「仏の教えによって」と答えています。ところが私が注目するのは、最後の「はじめに教えを説いた第一の仏」なのです。強いて申し上げるなら、それが真言密教の大日如来ということになりましょう。歴史的には存在しない大日如来について説明する場合の、よいお手本になるからです。

兼好法師も出家者しゅっけしゃ(僧侶)ですから、この最終段は仏教のことでめくくりたかったのでしょう。また、八歳の息子がこんなことを聞いてきたのですから、父親としてはよほどうれしかったのでしょう。事実、大勢に語って喜んでいます。いささか自慢の気持があったかも知れません。そこに親子のおもしろさと深い味わいがあります。『論語』のような強い道徳性とは異なり、『徒然草』の魅力はここにあるのです。受験のための強制的な勉強としてではなく、社会人になってからこそ愛読してほしいのです。男の生きざまを教える人生の名著ですよ。無人島に一冊の本を持って行くとしたら、私はたぶん『徒然草』を選ぶでしょうね。

明恵上人の逸話

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真言密教

令和2年5月14日

 

徒然草つれづれぐさ』(第一四四段)に、栂尾とがのう(京都)の明恵上人みょうえしょうにん逸話いつわが紹介されています。

上人が道を歩いていたら、ある男が川で馬を洗っていました。そして、その馬の足を洗うため、男は「足!足!」と声を出しました。それを聞いた上人は、「ああ、ありがたや。前世の功徳が実を結んで、『阿字あじ(足)阿字(足)』と唱えておる。どういうお方の馬であるか。あまりにも尊いことじゃ」とたずねました。

男は「これは府生ふしょう殿の馬です」と答えました。すると上人は「何と何と、これはめでたいことじゃ。阿字は本不生ほんぷしょうという意味で、まさに『府生(不生)』ではないか。うれしいご縁をいただいたものじゃ」と涙をぬぐったそうです。

ちょっと解説をしましょう。〈阿字あじ〉というのは真言密教の梵字ぼんじで、大日如来という最高の仏さまを示します。真言宗のお位牌いはいやお塔婆とうばには必ず書かれている梵字で、この梵字がなければ真言宗そのものが成り立ちません。それくらい大事な梵字なのです。そして、その〈阿字〉には〈本不生ほんぷしょう〉という深義があるのです。本不生とは「本来不生不滅ほんらいふしょうふめつ」を略した言葉で、私たちはもともと、生ずることも滅することもない永遠の生命であるということを教えているのです。阿字と本不生と、明恵上人はこの二つの言葉に同時に出会えたご縁に感激したのでした。なかなか〝おもしろい〟お話です。

皆様はどう思うでしょうか。「何だ、ただのこじつけじゃないか」と、そう思うでしょうか。もちろん、〈足〉と〈阿字〉はまったく別のものです。また、〈本不生〉という深義と〈府生〉という人物の間に、何のかかわりもありません。

でも、どうでしょうか。私たちもお護摩の炎を写真にったらお不動さまの姿が出ていたとか、ロウソクが蛇腹じゃばられて龍神さまが現れたとか言うことがあります。また、かべのシミが観音さまの姿に見えるということから、お賽銭さいせんを上げたりするものです。これも自然な心理であって、単なる〝こじつけ〟では済まされません。

明恵上人の逸話も、何か特別な意図があったのでしょう。弟子が同行していたのなら、修行の心得を教えたとも受け取れます。山の形や川の流れに、風の音や人の声に、もっと五感をはたらかせなさいという意味ではなかったかと思うのです。自然界はすべて仏さまの文字であり、仏さまの説法であるというのが、お大師さまの教えなのですから。

天空の仏教音楽

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文化

令和2年5月12日

 

讃祷歌さんとうか」という仏教音楽があります。東京代々木の智韻寺ちおんじ初代住職・新堀しんぼり智朝ちちょう(故人)が、その創始者です。

仏教音楽というと声明しょうみょうやご詠歌えいか和讃わさんは知られていますが、讃祷歌は童謡ありクラシックありで、この分野ではきわめて特異な存在です。キリスト教の教会では聖歌隊はもちろん、信徒も共に讃美歌を歌って祈りのボルテージを上げますが、仏教寺院はもっぱら読経が中心です。仏さまやお大師さまをたたえる歌が、もっと採用されるべきだと私は思います。

智朝尼は「讃祷歌詠唱団」を組織し、全国の寺院やステージに立ちました。また海外公演も数知れず、特にカーネギーホールや国連ホール、バチカン特別謁見でも詠唱しました。私も東京芸術劇場大ホールでの公演では、修験しゅげんどう(山伏)の衣帯えたい法螺師ほらしを務めた経験があります。圧巻のオーケストラ演奏の中、自分がお護摩を修しているイメージで法螺貝ほらがいを吹奏しました。目の前に作曲家の黛敏郎まゆずみとしろうさんが座っていたので、かなり緊張したことを覚えています。

私は智朝尼とは若い頃、京都東山の総本山智積院ちしゃくいんで出会ってより、大変に親しいおつき合いをしました。彼女とは親子ほど歳は離れていましたが、互いに意気投合して時を忘れるほどでした。思い出すこともたくさんあります。当時はまだ携帯電話もありませんでしたが、いっしょに街を歩いていると、「ちょっと待って」と言って公衆電話に飛び込むのです。何だろうか思ってと見ていると、何やら受話器を持って口ずさんでいます。あとで聞いてみると、突然に浮かんだ詩曲を自宅の留守電に入れていたというのです。もちろん、忘れないためです。

音楽の神さまは、思いがけない時に啓示けいじれるのでしょう。彼女はその「天空の仏教音楽」を、自分の身でキャッチしたのです。その時は〈わらべ歌〉でした。

「いとけなき子らに よみじを照らしつつ みてにはにゅうび たれさせたもう 南無観世音 今日は父 明日は母よと叫ぶ子に 慈悲の雨ふる 晴れをまたなん」

私の車に同乗していても、急に「止めてください」と言うのです。キャッチした詩曲がエンジンの音で聞き取れなかったのでしょう。彼女の日常はすべて音楽と共にありました。旋律が降臨し、歌詞が浮上するや、天空のその詩曲を地上へと届けていたのです。聡明で一途な人柄を、私は忘れることはありません。あの世でまた出会うのが楽しみです。

続・アラヤ識のこと

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仏教

令和2年5月11日

 

昨日は「無意識の選択」が、悪い結果として現れる例をお話しました。そして、仏教ではこの無意識を「アラヤ識」と呼ぶこともお話しました。

もちろん、無意識の選択はよい結果を生むこともあります。最近は日本でも、若い娘さんが父親母親を問わず、手をつないだり腕を組んで歩いている姿をよく見かけます。大変に好ましいことで、無意識の選択がうまくいっている証明です。

また私が知っているある女性は、嫁ぎ先の義母ぎぼ、つまりしゅうとめさんととても仲がよかったので、「いつも腕を組んで歩いたものです」と語っていました。嫁ぎ先の義母は、もちろんアカの他人です。それでも、まれには「お義母かあさん大好き!」などと言うお嫁さんがいるものです。しかも、こういう場合の姑さんとお嫁さんは、その顔までも似てくるから不思議なのです。「そんなバカな」と皆様は思うでしょうが、世間にはよくある事実です。二人の顔の印象から、たぶん「親子ですか」などと問われることがあったはずです。

では、こうしたよい結果はどこから生まれるのでしょうか。

答えは決まっています。母親の息子に対する教育がよかったということです。つまり、一方的な甘やかしでもなく、一方的な教育ママでもないバランスがあったからです。やさしい愛情を受け、きびしいしつけも受け、正直で思いやりがあり、努力もおこたらぬ息子として成長したからです。だから、女性に対する見方にも偏見へんけんがありません。女性からも好かれます。アラヤ識がいいお嫁さんを選ぶのも当然なのです。

また父親と娘の関係にも、バランスがとれていたからです。父親は母親のようにいつも家にいることは少なく、また娘の教育に口出しすることも少ないと思います。でも、娘が嫌悪けんおするようなことはしません。帰って来て家族と挨拶もせず、娘と会話をすることもなく、ビールを飲んで無言で夕飯を食べ、大いびきで寝込むようなことはしなかったはずです。そして、休日には娘が喜ぶ何かをしてきたはずです。家族を支え、仕事に励み、趣味も楽しんでいた父親の背中を、娘は頼もしく見ていたのです。アラヤ識がいい夫を選ぶのも当然なのです。

こうして考えると、人生を救うものは〝教養〟だと、私はますます確信します。教養はもちろん、学歴でも知識でもありません。〝智恵〟といってもよいでしょう。つまり、教養に根ざした智恵が大切だということです。その教養がやさしさを生み、きびしさを育てるのです。そして謙虚に生きることを学び、信仰の大切さも知るのです。その教養は親から子へ、子から孫へと遺伝するのです。これがアラヤ識です。

アラヤ識のこと

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仏教

令和2年5月11日

 

以前、九星気学では男性にとって母親と妻は同じもの、また女性にとって父親と夫は同じものだとお話をしました。もちろん、普通に考えただけでは納得できません。性格も考え方も、そして生き方も似ているとは思えません。しかし人の心理には、表面を見た程度ではわからない「無意識の選択」がはたらいているのです。

母親と息子の関係を考えてみましょう。息子にとって、母親は人生で最初に出会った女性ですから、影響を受けるのは当然です。たとえば、母親には甘やかすタイプがいます。とにかく息子がわいくてしかたがありません。身のまわりのことは、母親が一切を取り仕切ることになります。学校で問題でもおこせば、それは学校が悪いと一方的に決めつけるでしょう。このような育ち方をした息子は、たいていの女性に興味を示しません。そして母親と同じ愛情を注いでくれる女性を、無意識に求めるのです。

また一方、きびしい教育ママのタイプがいます。息子を一番にするためなら、どんなことでもします。塾に通わせ、ピアノも習わせます。そして、自分の夫に対する不満を、息子への期待で転化させようとします。このような育ち方をした息子は、女性にかなりのレベルで理想を求めます。いずれも極端な例ですが、男性の女性観はこのように母親を通じて形成されるのです。そして、いよいよ妻を選ぶとなると、運命の糸は母親と共通する女性を引き寄せるから不思議です。

では、父親と娘の関係はどうでしょう。当然、娘にとって父親は人生で最初に出会った男性です。私が若い女性に「オトコ運は父親で決まるのですよ」と言うと、父親が大好きな女性は納得しますが、たいていは「イヤだー!」と嫌悪けんおします。これは父親から十分な愛情を注がれなかったという不満が、父親とは反対の男性を求めるからです。ところが、その不満は恋人を探しているつもりでいても、無意識の内に父親のにおいを求めようと転化します。父親の愛情にえた願望が、そのようにはたらくからです。そして、運命の糸は父親と共通する男性を引き寄せるから皮肉なものです。

結婚してもうまくいっていなかったり、離婚した男女のお話を聞くと、いろいろなことがわかってきます。たいていは母親と妻の関係が悪化したり、妻に母親以上の愛情を求めたり、夫の中に嫌悪する父親像を見い出したりするからです。ただ、本人たちは「どうしてなのか」と疑問に思うでしょう。「こんなはずではなかった」と戸惑とまどうことでしょう。その根底には母親と息子、父親と娘の間にこんな隠れた問題がおこっていたのです。これが無意識の選択です。仏教ではこの無意識のことを「アラヤしき」と呼んでいます。

人生を楽しむ才能

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人生

令和2年5月10日

 

二十年ほど前、九十七歳で他界しましたが、河盛好蔵かわもりよしぞうさんというフランス文学者がおりました。モラリストの翻訳や自分の著作もたくさん残しましたが、何と九十五歳で文学博士の学位を得るという大器晩成たいきばんせいの学者でした。晩年は脳梗塞のうこうそくで倒れ、車イスの生活を送りましたが、それでも向上心を失わずに研究を続け、ついに学位を得たのでした。

私は河盛さんのエッセイをかなり読みましたが、特に「人生を楽しむ才能」という言葉には共鳴しました。人生を楽しむには、まさに才能が必要だと思っていたからです。皆様はどのように思うでしょうか。お金さえあれば人生を楽しめるではないかと、そのように思うでしょうか。でも、お金があっても苦しみの多い人はたくさんいます。いや、むしろそういう人のほうが多いかも知れません。お金があれば、かえってそのお金が苦しみになるからです。また、健康であっても人の悩みは尽きません。グルメであっても、ファッションのセンスがよくても、それだけで人生を楽しめるわけではありません。

河盛さんは人生の最後に、こんなことを言っています。

「救急車で運ばれ、それ以来ずっと療養しているのですが、左手と左足が麻痺まひして動かなくなってしまい、不自由しております。それでも幸いなことに、右手は動きますので、書くには不自由はありません。まだ恵まれております」

「私の今の最大の望みは、フランス語をもっと上手になりたいということです。私はフランス語を読み、翻訳することが仕事でしたが、フランス語にみがきをかけて、もっと自由に書けるようになりたいのです。日本の作家のものをフランス語に訳して、フランスの人たちにもっと知ってもらいたいというのが私の願いです」

「時々、車イスを押してもらって、近所を散歩するのも楽しみです。書きものをする時に、この書斎から見える風情をながめるのも好きです。マロニエがよく見えますが、気分がいいですね。何といってもマロニエはパリの街路樹がいろじゅですから、私の思い入れも深いのです」

右手が動くことに感謝し、勉学への希望を捨てず、ささやかな風情に感動する、この教養と品格が河盛さんの才能となって輝いたのです。そして、その才能が人生を最後まで支え、人生をまっとうさせたのです。何が幸福であるかを考える時、とても参考になります。ヒントにもなります。感謝と希望と感動と、これが人生を楽しむ才能なのです。

法の鉤と法の縄

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令和2年5月9日

 

私たちは自分の意志によって生きているように思いますが、自分の意志とは異なる別の力によって生きているように思うこともあります。また、努力はもちろん大切ですが、努力だけで何ごともなし得るわけではありません。〈運〉もあれば〈運命〉もあるのです。また、そこには〈えん〉という不思議な力がはたらくことも事実です。

お大師さまは三十一歳のおり、留学僧として肥前田浦ひぜんたうら(現在の長崎県平戸市田の浦)より出航した四隻よんせき遣唐使船けんとうしせんの内、第一船にて唐に向いました。また、第二船には天台宗祖師の最澄さま(伝教大師)が乗船していました。当時は羅針盤などなく、無事に到着することすらわからない、まさに命がけの渡航でした。渡航中は暴風雨に遭遇そうぐうし、三十四日間の漂流の後、現在の福建省赤岸鎮せきがんちんに漂着しました。出航した四隻の内、唐にたどり着いたのはお大師さまの第一船と、最澄さまの第二船だけで、ほかの二隻はついに消息を絶ちました。これを単なる偶然とするには、いささか思慮が浅いように私は思います。運命はまさに、歴史の偉人として二人の留学僧を選んだのです。

また、赤岸鎮から唐の都・長安ちょうあん(現在の西安)までの道のりも難行を極めました。ほぼ、日本列島を縦断するほどの距離です。そして、お大師さまは無事に長安に到着し、やがて生涯の師となる青龍寺しょうりゅうじ恵果かいか和尚に出会いました。恵果和尚は三千人ものお弟子の中でただ一人、お大師さまを正嫡しょうちゃく(正当な後継者)として選び、真言密教のすべてを授けました。そして、お大師さまとの出会いを待っていたかのごとく、やがて息を引き取りました。

唐は詩文も書道も盛んな文化国ですが、恵果和尚の碑文ひぶんは正嫡であるお大師さまが揮毫きごうしたのでした。その文章は『性霊集せいれいしゅう』(詩文集)に残されています。

「故郷をかえりみれば東の海のはるか東、たどり着いた道を思えばなんが中の難で、命すらあやういものであった。航路は大波が満々と続き、陸路は雲も山も数え切れぬほどであった。そして、この広い大唐で師に出会い、密教の法を継ぐことができたことは私の力でなしたことではない。また、日本に無事に帰れることも私の意志の及ぶところではない。師は私を法のかぎをもって引き寄せ、私を帰すのも法のなわをもって日本に引いてくださるのである。この不思議な縁を、何と感謝すべきであろうか」

私は運と運命について、また縁という不思議な力について考える時、いつもこの「法の鉤と法の縄」という言葉を思い出すのです。この運とこの運命が日本の歴史を変えたのです。そしてこの縁が日本の仏教を変えたのです。

加持祈祷の極意

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真言密教

令和2年5月7日

 

人は病気になるから健康を守れる、とお話をしました。このような逆発想をしていきますと、人生の多くのことがわかってきます。

たとえば、私たちは不幸と思うことがあるから幸福を願えるのです。幸福とは何かというなら、それは幸福を願わずにいられることです。また、失敗をするから謙虚になれるのです。うまくいっている時は、反省することも危険だと思うこともありません。また、くやしい思いをするから向上心がくのです。しかられたり、はじをかいたりしなければ、さらに努力しようとも思いません。だから、それを意識するしないにかかわらず、望む望まないにかかわらず、私たちは大きな〝ご加護〟の中で生きているのです。これが生命という尊いはたらきです。

ところで、私は毎日お護摩を修していますが、病気平癒びょうきへいゆのご祈願が必ず寄せられます。特に重症の方は、写真をおあずかりして護符に封じてもいます。その時、どういう気持でご祈願をしているかというと、生命の尊いはたらきを信じるという一点に尽きるのです。病気は医師が治すわけではありません。ましてや、私が治せるはずもありません。回復を助けるためのサポートはしますが、病気を治すのは病気そのものなのです。生命の尊いはたらき、つまり本人の自然治癒力しぜんちゆりょくなのです。

真言密教には〈病者加持法びょうじゃかじほう〉という、いわゆる病気平癒の祈願法があります。その極意は、お大師さまのご加護と本人の自然治癒力を信じることなのです。念力や超能力で病根を断つのではありません。病根は健康を守ろうとする尊いはたらきなのです。これを断っては治るものも治りません。私には念力も超能力もありませんので、ひたすらその尊いはたらきをお大師さまにお願いしています。その無心な気持ちがなければ病気平癒のご祈願などできません。そして、私が無心になればなるほど霊験が顕現けんげんします。

このことは病気のご祈願にかかわらず、あらゆる加持祈祷かじきとうの極意でもあるのです。念力や超能力は極度の集中力を要しますので、かなりの疲労を覚えるはずです。私の加持祈祷はお大師さまにお願いし、お大師さまのお力をいただくのですから、自分もまた元気になります。とてもありがたいことで、ご祈願が楽しくなります。

そして、人の体こそは宇宙の縮図、仏さまのうつわであることをますます確信しています。頭が丸いのは天空に等しく、足を組んで坐禅をすれば大地に等しいのです。自然界のあらゆる姿が、人の体にあるのです。私たちは信じる信じないにかかわらず、大きなご加護の中で生きているのです。生かされているのです。

病気になるから健康を守れる

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健康

令和2年5月6日

 

私は健康法についてはかなり勉強し、各地の道場に入門したり、いろいろなセミナーも受講しました。また整体やカイロプラクティックの免状も習得しました。

だからといって、健康診断の結果にいちいち一喜一憂いっきいちゆうしているわけではありません。なぜなら、健康の定義も人それぞれという事実を知っているからです。人は健康や健康法について、知れば知るほど神経質にも不安にもなるのです。もしかしたら、自分は間違っているのではないか、こちらの方が正しいのではないかと思うものなのです。

十人の医師や管理栄養士の本を読めば、十人の主張があります。そして、結局はあれもダメ、これもダメとなって、何が何だか分からなくなるはずです。なぜなら、正しい健康法は人によってそれぞれに異なるからです。糖質制限もジョギングも、万人に合うはずがありません。一つの食材やサプリメントで、万人が健康になるはずがありません。自分の健康法は、自分の体が一番よく知っているのです。自分にはこれが合うという方法を見つけ出す以外にはないのです。

私はなるべくテレビをないようにしています。必要もない番組に時間を費やすことなど、もったいないからです。ところが、まれにスイッチを入れると、画面はたいていグルメ番組か健康番組です。タレントさんの「うーん、おいしい!」を聴きながら、国民は何を思っているのでしょうか。また、どういう症状が現れればどんな病気だとか、検査の数値がいくつを超えると異常だとか、体脂肪を減らすには何を食べろとか、まるで知らなければ罪であるかのように強迫して来ます。

疲れやすくなったと思えば、誰でも気にはなるものです。そこで病院に行けば血圧を測り、血液検査を受けることとなります。その結果は高血圧と申告され、肝臓機能が悪いと診断されます。GОTやGPTが何を意味するのかもわからないのに、その数値に翻弄ほんろうされるのです。現代人は〈正常値〉を通じてしか、自分の健康を考えられなくなりました。

そもそも体に異常が生じるのは、その人の体に必要があるからです。異常が見つかるのも自然なことなのです。高齢になれば血管も硬くなります。肝臓も疲れます。数値だけを切り取って、すべて悪いことと決めつけるのもいかがなものでしょうか。人は病気になるから健康を守れるのです。体が何も教えてくれなければ、人生をまっとうすることなどできません。

もちろん、医師の忠告は聞きましょう。できることは実行しましょう。でも、病気になるのも生命の尊いはたらきなのです。もっと、自分の体を信じることです。もう一度お話をしますが、人は病気になるから健康を守れるのです。病気になりながら、一生懸命に自分の体を守っているのです。そうでしょう。

めったにないもの

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社会

令和2年5月5日

 

枕草子まくらのそうし』第七十二段に「ありがたきもの」、つまり「ることがかたいもの」「めったにないもの」として次のような例がげられています。

まず、「しゅうとにほめられる婿むこしゅうとめにほめられるよめ、毛のよくぬける銀の毛抜けぬき、主人の悪口を言わぬ使用人」と。舅と婿、姑と嫁の関係は、平安時代から変らないということです。舅は娘かわいさに、お婿さんに多くのことを求めます。また姑は、まるで息子がお嫁さんにうばわれたような感覚におちいるのは、今も昔も同じなのでしょう。最近では同じ家に同居しながら、姑と嫁がまったく口もきかないという例を耳にします。銀の毛抜きは当時の女性がまゆをぬいて、眉墨まゆずみで描くための必需品でした。優品は少なかったのでしょう。そして、使用人は影で主人の悪口を言いながら、人使いの荒さに耐えていたのです。ほどほどの悪口なら、許してあげましょう。

次に、「欠点のない人、評判がよくても世間から少しの非難も受けない人」と。この時代にインターネットがあれば、まず話題に欠くことはありません。ことにし暑い京都で束帯そくたい十二単衣じゅうにひとえなどを着用していたら、ねたみ心の一つも発散しなければやり切れなかったのでしょう。凡人の悲しさというものです。

次に、「同じ職場で礼儀を守っていても、最後まで本音を出さないこと」と。人の本音は必ずどこかに現れます。居酒屋で語ったほんの一言ひとことは、回り巡っていつかは相手に伝わるものです。「かべに耳あり、障子しょうじに目あり」なのです。そして「口は災いのもと」なのです。

次に、「本を写すのに、原本を墨でよごさぬこと」と。この時代にコピーがあれば、こんな気づかいは無用でした。私も白衣や法衣によく墨をつけるので、この気持がよくわかります。

最後に、「男女の間でも、女どうしでも、最後まで仲が良いこと」と。特に、女性どうしの仲のよさには用心せねばなりません。親しい仲と思って気を許すと、とんでもない間違いをしてしまいます。いつも連れ立っているから、よほど仲がよいなどとは決して思わぬことです。このことでは、私も何度も失敗をしました。

清少納言せいしょうなごんという彼方かなたの女性と、もしも茶飲み話でもしたならば、腹の底まで見透みすかされるに違いありません。人間に対しても自然対してもするどく、味わい深い観察眼には驚くばかりです。このような才女とは、本の中でさえつき合っていれば、互いに飽きることもありません。私の大切なガールフレンド(!)です。

山路天酬密教私塾

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