山路天酬法話ブログ
続・人生を変える先祖供養
令和5年8月10日
「人生を変える先祖供養」は父母両家にアプローチすることが大切です。そして、先祖の中で最も大きな影響力を持つのは、もちろん血のつながりを持つ直系の方々です。これを「先祖代々」と呼んでいます。特に父母と祖父母は強力な血系と霊系で結ばれます。父母や祖父母にとって、子供さんはもちろんですが、お孫さんがかわいい(!)のは当然のことです。
しかし、この世とあの世のつながりは直系ばかりとはかぎりません。皆さんの中には父母の兄弟、つまり叔父さんや叔母さんに大変にかわいがられた方がいるはずです。また、自分の甥や姪をかわいがった方もおりましょう。このような関係は、実はあの世に往っても続きます。私はこの叔父・叔母に対しては「先亡」という呼称を用いています。先祖代々が直系なら、先亡は傍系です。先祖供養はこの傍系が、意外な盲点となります。
よく「有縁無縁」という用語を聞きますが、ずいぶん曖昧な表現です。辞書を引くと、「仏縁がある人とない人」「救われた人と救われていない人」などとありますが、よくわかりません。先亡には先祖代々の意味も含んだニュアンスがありますが、ほかに思い当たる用語がありません。したがって、傍系の方々は「先亡」という表記で充分に感応するはずです。
さらに、「水子」さんも見逃してはなりません。どの家にも、水子さんは必ずいます。子供さんの多くの問題に、水子さんが関与しています。供養をすると、成長した姿で夢に出ることがあります。
以上のお話を統合して、あさか大師では五輪塔婆の供養紙を用いて「人生を変える先祖供養」を実修しています(写真上)。右が表(胎蔵界)で父母両家(既婚者は四家)と志主名・月名を書き入れます。裏(金剛界)には光明真言が書かれています。表を拡大すると、先祖代々・先亡・水子の表記が確認されましょう(写真下)


この供養紙に対して私が毎日、真言密教の秘法〈光明真言法〉を実修し、皆さんの祈りと融合させるのです。そして、月ごとに交換して総回向に供えます。単なる弔いや法要ではありません。皆さんのルーツにパワーを送るのです。参加ご希望の方は、ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。
人生を変える先祖供養
令和5年8月7日
あさか大師では一昨日と昨日、総回向法要があり、僧侶と信徒が共に読経をしました。ここに集まる皆さんは、ごく普通の方々です。経営者であり、勤め人であり、主婦であり、その子供たちです。しかし、この総回向は単なる法要でも、弔いでもありません。いうなれば「人生を変える先祖供養」に賛同し、熱心に参加している方々なのです(下写真)。

人生を変えるというと、皆さんは方位や改名、幸運を呼ぶ〇〇といった占いや風水、あるいはプラス思考の自己啓発やメンタルサイエンスが浮かぶと思います。私はこれらの分野についても、かなり研究しました。その長所については充分に熟知しているつもりです。
しかし、人生を決める最後の力は〈徳〉であることも痛感してきました。なぜなら、どんなに方位や改名を活用しても、プラス思考や自己啓発を重ねても、徳がなければそれを生かすことができないからです。では、徳は何によって決まるのでしょうか。私はそれを「タテには先祖から、ヨコには前世から」とお話をしています。つまり、一つは先祖から受け継いだDNA(遺伝子情報)であり、もう一つは自分自身の生き方です。互いに密接に関係していますが、先祖供養はこのタテとヨコの流れを同時に変えて、徳を積むことができます。
ただし、「人生を変える先祖供養」には三つの条件があります。①自分自身のルーツである父母両家を供養すること。②真言密教の阿闍梨(プロ)と共に供養すること。③毎日続けて供養することの三つです。①についてはご自身を樹木に譬えるとよくわかります(下図)

立派な収穫を得るには風通しをよくしたり、消毒をして害虫をさけることも大切ですが、最も大切なことは父母両家の供養にあることが一目瞭然です。まさに、人生の根本(!)です。②については五輪塔婆の供養紙を渡しますので、家に安置していただくだけでよいのです。「供養料を支払いますから拝んでおいてください」という方がおりますが、私の祈りが届くためには、これだけは実行いただかねばなりません。③は、私が毎日〈光明真言〉の秘法を修するので、皆さんが特にむずかしいことをする必要はありません。
さあ、ぜひ「人生を変える先祖供養」に参加してください。遠方の方は郵送でなさっています。北海道から沖縄まで、全国にいらっしゃいます。父母両家(夫婦は四家)で毎月2千円です。ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。詳しく説明をいたします。
歯を食いしばって笑いましょう
令和5年8月3日
笑わねば幸運は来ません。健康にもなれません。幸せにもなれません。
だから、「笑う門には福来たる」といい、「笑いは百薬の長」ともいうのです。笑えばストレスホルモンを減らし、ハッピーホルモンが増えるのです。ハッピーだから笑うのではなく、笑うからハッピーになるのです。お金も時間もかからず、才能も必要とせず、努力もいりません。とにかく笑いましょう。つらいことがあったら、歯を食いしばって笑いましょう。
アートスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)の選手は、みな歯を食いしばって笑う訓練をします。彼女らは水深3メートル以上のプールで音楽に合わせ、技の完成度や表現力を競います。妖艶で派手な水着をまとって厚化粧をし、肺に空気をためて浮力を維持できるようノーズクリップをして、水面ではどんなにつらくても笑顔を見せねばなりません。
つまり、この競技の優雅さは、想像を絶する苦痛によって支えられているといっても過言ではないのです。水面下で激しく手足を動かし、もぐっては浮かび、浮かんではまたもぐり、肉体的苦痛は極限に達します。しかも、水面では若さをはち切らせて、にっこり笑っているではありませんか(写真・毎日新聞社)。

私はこの事実を知った時から、自分の小ささを知り、彼女たちに負けまいと思って、努めて笑うことを心がけるようになりました。もちろん、私にもつらい時はありますし、腹が立つ時も、くやしい時もあります。でも、他人に八つ当たりをしても、お酒を飲んでも何の解決にもなりません。そんな時、歯を食いしばって笑った時、たいていはいいことがあるものです。ほんとうですよ。
毎日、いろいろな方にお会いしていますが、笑える方は何とかなっています。結果が早いのです。幸運を呼び、健康を呼び、幸せを呼ぶからです。これもほんとうです。間違いありません。
観音さまの笑顔を「慟哭の微笑」といいます。大声をあげて泣きたい苦しみをこらえて、静かにほほえんでいるからです。アートスティックスイミングの選手たちは、現代の観音さまです。そして、歯をくいしばって笑える人は、観音さまのお力をいただけるのです。さあ、皆さんも、歯を食いしばって、にっこりと笑いましょう。
8月の強運ランキング
令和5年7月31日
「8月の強運ランキング」を発表します。
8月は正確には、8月8日から9月7日までの一ケ月です。庚申・二黒中宮の月で、東北(五黄殺・月破)、西南(暗剣殺)が凶方です(写真)。〈庚〉は継承を、〈申〉は伸びる様相を、〈二黒〉は従順と地道さををそれぞれに意味します。したがって、社会は新しい変革には向かいません。現状を続行する方向に動きます。

強運ランキングは一位が一白水星、二位が三碧木星、三位が九紫火星です。
これは個人の運勢となり、特に一白の人は東南にあって、これまでの努力が開花しやすい時です。水星の持つ柔軟で粘り強い特性を生かしましょう。三碧の人は北西にあって、上司運です。つまり、上司への気配りが開運のカギとなります。短気や失言は慎まねばなりません。九紫の人は東にあって、スタート台に立ちました。朝日をあびてセロトニンを増やし、知性を生かして前進しましょう。
この他の人については、ホームページの「今月の運勢」をご覧ください(8月1日公開)。いつもお話をすることですが、衰運こそは開運のチャンスです。つまり、衰運期の根回しや心がけが、開運期に入って生かされるということです。開運期に入って準備をしても、間に合いません。先祖供養やお墓参りをおすすめするのも、この意味です。
また、占いの吉凶と人生の幸不幸はまったく別のものです。幸せとは感じるもの、受け取るものです。病気をする時は、思いっきり病気をして、人生や健康について学ぶことです。それができなければ、人生はただの吉凶で終わってしまいます。
私は占いを学び、占いを教え、占いを用いますが、占いを超える生き方(立命)をすすめています。占いそのものではなく、あくまでも仏門の道を歩んでいます。
続・トイレそうじ開運法
令和5年7月28日
トイレを汚す人は開運しません。これはトイレの神さまを汚すにも等しいからです。
また、トイレを使ったらフタをして水を流しましょう。これは流す水やウイルスの飛散を防ぐ意味もありますが、トイレの神さまに対するマナーとしても大切です。よく女性の方がペーパーの先を三角形に折りますが、これは二次的なことで、大切なのはマナーを守って綺麗に使うことです(写真)。

ついでながら、いささか憚るお話でありますが、私の占術の先生であったS師は、慢性的に便秘や下痢を患う人は決して開運しないという自説を主張していました。なぜなら〈運の子〉が「ウンコ」だからだというのです。私は笑って何もいいませんでしたが、今頃になって、「なるほど」と納得するようになりました。
その理由は、健康もまた開運の重要な要素であり、そのためには腸内環境が大きく左右するからです。つまり、善玉菌が元気で腸内フローラが整っている人は、バナナ状の立派(!)なウンコを出しながら、運の子を増やしているからです。コジツケではありません。〈便〉とは健康状態を知らせる〈お便り〉です。立派なお便りも届かずして、開運するはずがありません。
立派なウンコは力まずとも、スルっと出ます。悪臭もありません。ペーパーもほんの少しで済みます。だから、ウンコは開運への発酵なのです。そして、大腸はその発酵工場です。「調子がいい」とは、「腸の調子がいい」ことなのだと私は思っています。「第二の脳」と呼ばれる理由もここにあります。
さらについでながら、今どきはよく「ウンチ」といいますが、これはいけません。〈運が散る〉という意味に転ずるからです。冗談をお話しているのではありません。言葉は〈言霊〉です。力なのです。お母さん方は必ず、お子さんには「ウンコ」と教えましょう。
それにしても、最近の公衆トイレに立ち寄るたび、私は唖然とします。ウンコの順番を待つ人が、たくさん並んでいるからです。使用中の人もなかなか出てきません。いったい何をしているのでしょうか。便秘や下痢の人がいかに多いかということでしょう。
ちなみに、私のウンコはほとんど一分以内で終わります。本当ですよ。お疑いでしたら、あさか大師に来て見ていてください。健康で、運の子を増やしている証明です。皆さん、立派なウンコをして、大いに開運しましょう。トイレそうじから、だいぶお話がそれました。お許しを。
トイレそうじ開運法
令和5年7月25日
私は日ごろから、トイレそうじを心がけています。あさか大師は皆様のご奉仕(ボランティア)によって成り立っていますので、トイレそうじも例外ではありません。ただ、私は毎朝、ウスサマ様(いわゆるトイレの神さま)にご挨拶をするので、自分でも進んでこれを実行しています(写真)。

そして、心ある社長さんには、「30分早く出勤して、トイレそうじをすると業績が伸びますよ」とお話をしています。つまり、「トイレそうじ開運法」をおすすめしているわけです。なぜなら、トイレは人が生活する中で最も不浄な場所であり、これをそうじすることは大きな功徳となり、仏さまにも神さまにも好かれるからです。仏さまにも神さまにも好かれれば、開運しないはずがありません。しかも、大きな功徳になるのですから、率先して励んでいただきたいと思っています。
私は先日、〈懺悔〉の大切さをブログに書きましたが、トイレそうじほど懺悔の規範となるものはありません。下座への精進は懺悔の実践であり、人生を変える原動力であるからです。つまり、反省がなければ、何も変らないということです。かつて、京都の〈一燈園〉を創始した西田天香さんは「懺悔の生活」を提唱し、トイレそうじによる社会奉仕を実践しました。今でも、天香さんの理念に共鳴する多くの方々が集まっています。ただ、私は現代人に対しては、「トイレそうじ開運法」とした方が理解していただけると思っています。
実は、トイレそうじをして会社を発展させた社長さんがたくさんいます。テレビCМに自ら出演する某社長などは、その代表的な方です。誰よりも早く出勤して、自らトイレそうじを実行すれば、社員のお手本になることは間違いありません。社内の空気も変わります。空気が変われば業績も上がります。お客様からも好かれます。いいことずくめではありませんか。
さらにお話をしますと、昔から女性には「トイレそうじをすると安産する」と伝えられています。これは安産の仏さまや神さまに好かれると共に、かつての和式トイレを雑巾がけすることで、ほどよい運動になったからです。妊婦さんがプール(マタニティスイミング)へ行くのと同じです。
いずれにせよ、トイレそうじほど身近な開運法はありません。私がおすすめするのも、わかりますよね、皆さん。
魂をゆさぶる一周忌法要
令和5年7月23日
私が40年間も交友を重ねた八丈太鼓(八丈島の郷土芸能)の伝承者・只道和尚が昨年7月に他界し、昨日はその一周忌法要をいたしました。只道和尚は若くして曹洞宗の僧侶となりましたが、志すところあって在俗生活をなしつつ、八丈太鼓の修練と弟子の養成に人生を捧げました。
他界する少し前、私は和尚から三つの依頼を受けました。一つには自分の葬儀導師を引き受けてほしいこと。二つには自分の遺骨をあさか大師に納骨してほしいこと。三つには自分の本尊・不動明王像をあさか大師に安置してほしいことでした。すでに一と三の依頼は果たしましたが、二に関しては、もうしばらくの時間がほしいと生前にお話をしました。
さて、今日の一周忌法要はまず私がお導師を勤め、一般の法事と同様に挙行しました。ところが、せっかくの一周忌法要であるから「偲ぶ会」として、霊前に弟子の八丈太鼓を披露しようということになりました。そこで直弟子はもちろんのこと、和尚が指導した和太鼓奏者や舞踊家、シンガーの方々などが集まり、にぎやかで楽しい「偲ぶ会」となりました。また、和尚は障害者施設でも和太鼓の効能を提唱して指導したため、たくさんの皆様がマイクロバスで参集くださいました(写真)。

和太鼓ほど魂をゆさぶり、心の抑圧を開放する楽器はありません。八丈太鼓はたった一台で下拍子に合わせて上拍子をアドリブで奏します。また独特の島唄が加わり、迫力と共に深い郷愁に誘われます。あさか大師では法楽太鼓や法螺貝の音色が遍満しますが、今日ばかりは堂内に八丈太鼓が響き渡り、異色の一周忌法要に一同が随喜しました。このような時、人は自他の区分を離れ、感動の中で心を融合させるものです。長年にわたって葬儀や法事に関わりましたが、このような事例はありませんでした。とんでもない友人を持ったものです。もう一つの約束を果たさねば、私もあの世で顔向けが立ちません。
それにしても、和太鼓が世界中で人気を集めるのも、大いに納得しました。子供たちにも、高齢者にも、自信をもって奨励したいと思います。
人気の金運宝珠護摩
令和5年7月17日
あさか大師では昨日の午前11時半より、〈金運宝珠護摩〉を奉修しました(写真)。最近は人気が高まり、かなりの遠方からもお参りにお越しになっています。また、今月からは〈金運銭〉を皆様に配り、金運増大をさらになし遂げるようパワーアップを図りました。

お大師さまのお護摩は、一般には〈弥勒護摩〉を奉修します。それは、お大師さまが弥勒浄土にご入定されているからでありますが、あさか大師では〈如意宝珠護摩〉を奉修しています。それはお大師さまが如意宝珠こそ真言密教の至宝として示され、ご自身の法体を如意宝珠そのものとして御影(お姿)に描かれているからです。
御影に描かれたお大師さまのお顔をご覧ください。まるで如意宝珠そのもののごとく、脳天が尖っています(写真)。これは長年にわたって真言の念誦をしていると、脳天のサハスラーラチャクラが発達するためで、まさに仏頂であり、仏智であるのです。
あさか大師では平日はこの如意宝珠護摩でありますが、毎月第三日曜日のみ、特に宝珠によって金運を高める〈金運宝珠護摩〉を奉修しています。現代はお金と人生の幸せを、まったく無関係に過ごすことはできません。なぜなら、お金がなくても幸せになれるとは言いがたい社会の中で生きているからです。社会の仕組みがそのようにできているからです。だから、お金に対する正しい認識と、金運を高める努力はきわめて重要な課題といえるのです。
この金運宝珠護摩はどなたでもお参りすることができます。護摩木(添え護摩)は一本200円で、何本でもお申込みができます。どうぞ皆様、金運が高まる迫力あるお護摩にお参りください。
続続・祈願と回向の両輪
令和5年7月14日
祈願と回向について、さらにお話をいたします。
祈願といい、回向といいますが、最も大切な心がけは何でしょうか。それはズバリ、真言密教の聖教(お次第)の中に書いてあるのです。ところが阿闍梨さまも僧侶の方も、この最も大切な心がけについて、ほとんど注目しません。私はこのことを、とても残念に思っています。
その最も大切な心がけとは、「滅罪生善」という言葉で表記されています。祈願をするにも、回向をするにも、どのお次第にも、「そもそも三密修行の処、滅罪生善の砌なれば」と、ハッキリ表記されていることを知らねばなりません(写真)。

つまり、祈願であれ、回向であれ、この三密(印を結び、真言を唱え、仏を観想する)の修行をすることは、滅罪生善の時にあるのだということなのです。まさに、一刀両断です。滅罪生善こそ好機であり、覚悟であり、極意でもあるからでしょう。奥義秘伝はこんなにも身近にあったのです。
では滅罪生善とは何でしょう。文字どおり解釈すれば、「罪を滅し、善を生じる」ことです。さらに熟慮しますと、罪を滅して、その後に善を生じるという手順になります。罪を懺悔しなければ、善事をなすことはできません。悪いものを取り除いて、その後によいものを取り入れる手順はものごとの鉄則です。仏教が「懺悔文」を重んじる理由もここにあります。
私は行法の中で滅罪生善の一語を唱えるたび、愚かなこの自分が重苦しくのしかかります。しかし、新しい人生を開くためには、過去を悔い改めねばなりません。善とは〝つぐない〟であるからです。つぐないの気持ちがなければ、人を喜ばせ、社会に奉仕することはできません。滅罪生善です。新しい人生もここから開かれるのです。
皆様はいかがでありましょうか。過去の失敗を思い出してみてください。愚かな過ちをくり返した自分が見えてくるはずです。悔いのない人生など、あるはずがありません。その過去を反省し、懺悔し、悔い改めることが修行の始まりです。そして、皆様の新しい人生の始まりです。この自覚がなければ、祈願も回向も成就しません。
最後に、過去とは何と、「過ちが去る」ことだとお伝えして、このお話を終わりにいたします。
続・祈願と回向の両輪
令和5年7月9日
私は祈願と回向の両輪を主張し、毎日のお護摩と先祖供養(回向)の光明真言法に励んでいます。毎日お護摩や回向の行法を修するお寺は少ないと思いますが、私はこれを日課としてお大師さまにお仕えしております(写真)。

最近、特に体験することは、私と面会したり、電話でお話をしただけで、もう不思議な霊験をいただくことがあるという現象です。それは皆様の方から語り出し、あるいはご連絡があるからお話をするのでありまして、私が勝手に公表しているわけではありません。
たとえば病気の方がご相談に見えて、あさか大師の本堂に一歩入っただけで、気分が落ち着き、体が軽くなるという方が多いのです。たしかに、血色がよくなり、表情も明るくなっています。もちろん、私が念力を送ったわけでも、お九字を切ったわけでもありません。このことは、地方の方と連絡を取った場合でも同様です。
つまり、私の眼や耳に皆様の姿や声が入ると、それがそのままお大師さまに直結するということなのでしょう。もちろん、こうした霊験は私が毎日お大師さまにお仕えし、お大師さまと直結しているから顕現するわけで、私に特別の才能や超能力があるわけではありません。ただ、お大師さまと直結するためには、それに値する修行を毎日続ける必要があるという、ただそれだけなのです。
修行というと、断食をして滝行や荒行に挑むイメージがあります。それも修行には違いないのですが、最も大切なことは、お大師さまから伝わった行法を毎日続けることなのです。毎日続けることで、常に「お大師さまと共にいる」という不動の信念が生まれるからです。ものごとは、なるべくしてなるのです。祈願も回向もまったく同じです。
このブログをお読みになった方からの「お問い合せ」が増えてまいりました。ぜひ、ご連絡ください。

