山路天酬法話ブログ
魂をゆさぶる一周忌法要
令和5年7月23日
私が40年間も交友を重ねた八丈太鼓(八丈島の郷土芸能)の伝承者・只道和尚が昨年7月に他界し、昨日はその一周忌法要をいたしました。只道和尚は若くして曹洞宗の僧侶となりましたが、志すところあって在俗生活をなしつつ、八丈太鼓の修練と弟子の養成に人生を捧げました。
他界する少し前、私は和尚から三つの依頼を受けました。一つには自分の葬儀導師を引き受けてほしいこと。二つには自分の遺骨をあさか大師に納骨してほしいこと。三つには自分の本尊・不動明王像をあさか大師に安置してほしいことでした。すでに一と三の依頼は果たしましたが、二に関しては、もうしばらくの時間がほしいと生前にお話をしました。
さて、今日の一周忌法要はまず私がお導師を勤め、一般の法事と同様に挙行しました。ところが、せっかくの一周忌法要であるから「偲ぶ会」として、霊前に弟子の八丈太鼓を披露しようということになりました。そこで直弟子はもちろんのこと、和尚が指導した和太鼓奏者や舞踊家、シンガーの方々などが集まり、にぎやかで楽しい「偲ぶ会」となりました。また、和尚は障害者施設でも和太鼓の効能を提唱して指導したため、たくさんの皆様がマイクロバスで参集くださいました(写真)。
和太鼓ほど魂をゆさぶり、心の抑圧を開放する楽器はありません。八丈太鼓はたった一台で下拍子に合わせて上拍子をアドリブで奏します。また独特の島唄が加わり、迫力と共に深い郷愁に誘われます。あさか大師では法楽太鼓や法螺貝の音色が遍満しますが、今日ばかりは堂内に八丈太鼓が響き渡り、異色の一周忌法要に一同が随喜しました。このような時、人は自他の区分を離れ、感動の中で心を融合させるものです。長年にわたって葬儀や法事に関わりましたが、このような事例はありませんでした。とんでもない友人を持ったものです。もう一つの約束を果たさねば、私もあの世で顔向けが立ちません。
それにしても、和太鼓が世界中で人気を集めるのも、大いに納得しました。子供たちにも、高齢者にも、自信をもって奨励したいと思います。
人気の金運宝珠護摩
令和5年7月17日
あさか大師では昨日の午前11時半より、〈金運宝珠護摩〉を奉修しました(写真)。最近は人気が高まり、かなりの遠方からもお参りにお越しになっています。また、今月からは〈金運銭〉を皆様に配り、金運増大をさらになし遂げるようパワーアップを図りました。
お大師さまのお護摩は、一般には〈弥勒護摩〉を奉修します。それは、お大師さまが弥勒浄土にご入定されているからでありますが、あさか大師では〈如意宝珠護摩〉を奉修しています。それはお大師さまが如意宝珠こそ真言密教の至宝として示され、ご自身の法体を如意宝珠そのものとして御影(お姿)に描かれているからです。
御影に描かれたお大師さまのお顔をご覧ください。まるで如意宝珠そのもののごとく、脳天が尖っています(写真)。これは長年にわたって真言の念誦をしていると、脳天のサハスラーラチャクラが発達するためで、まさに仏頂であり、仏智であるのです。
あさか大師では平日はこの如意宝珠護摩でありますが、毎月第三日曜日のみ、特に宝珠によって金運を高める〈金運宝珠護摩〉を奉修しています。現代はお金と人生の幸せを、まったく無関係に過ごすことはできません。なぜなら、お金がなくても幸せになれるとは言いがたい社会の中で生きているからです。社会の仕組みがそのようにできているからです。だから、お金に対する正しい認識と、金運を高める努力はきわめて重要な課題といえるのです。
この金運宝珠護摩はどなたでもお参りすることができます。護摩木(添え護摩)は一本200円で、何本でもお申込みができます。どうぞ皆様、金運が高まる迫力あるお護摩にお参りください。
続続・祈願と回向の両輪
令和5年7月14日
祈願と回向について、さらにお話をいたします。
祈願といい、回向といいますが、最も大切な心がけは何でしょうか。それはズバリ、真言密教の聖教(お次第)の中に書いてあるのです。ところが阿闍梨さまも僧侶の方も、この最も大切な心がけについて、ほとんど注目しません。私はこのことを、とても残念に思っています。
その最も大切な心がけとは、「滅罪生善」という言葉で表記されています。祈願をするにも、回向をするにも、どのお次第にも、「そもそも三密修行の処、滅罪生善の砌なれば」と、ハッキリ表記されていることを知らねばなりません(写真)。
つまり、祈願であれ、回向であれ、この三密(印を結び、真言を唱え、仏を観想する)の修行をすることは、滅罪生善の時にあるのだということなのです。まさに、一刀両断です。滅罪生善こそ好機であり、覚悟であり、極意でもあるからでしょう。奥義秘伝はこんなにも身近にあったのです。
では滅罪生善とは何でしょう。文字どおり解釈すれば、「罪を滅し、善を生じる」ことです。さらに熟慮しますと、罪を滅して、その後に善を生じるという手順になります。罪を懺悔しなければ、善事をなすことはできません。悪いものを取り除いて、その後によいものを取り入れる手順はものごとの鉄則です。仏教が「懺悔文」を重んじる理由もここにあります。
私は行法の中で滅罪生善の一語を唱えるたび、愚かなこの自分が重苦しくのしかかります。しかし、新しい人生を開くためには、過去を悔い改めねばなりません。善とは〝つぐない〟であるからです。つぐないの気持ちがなければ、人を喜ばせ、社会に奉仕することはできません。滅罪生善です。新しい人生もここから開かれるのです。
皆様はいかがでありましょうか。過去の失敗を思い出してみてください。愚かな過ちをくり返した自分が見えてくるはずです。悔いのない人生など、あるはずがありません。その過去を反省し、懺悔し、悔い改めることが修行の始まりです。そして、皆様の新しい人生の始まりです。この自覚がなければ、祈願も回向も成就しません。
最後に、過去とは何と、「過ちが去る」ことだとお伝えして、このお話を終わりにいたします。
続・祈願と回向の両輪
令和5年7月9日
私は祈願と回向の両輪を主張し、毎日のお護摩と先祖供養(回向)の光明真言法に励んでいます。毎日お護摩や回向の行法を修するお寺は少ないと思いますが、私はこれを日課としてお大師さまにお仕えしております(写真)。
最近、特に体験することは、私と面会したり、電話でお話をしただけで、もう不思議な霊験をいただくことがあるという現象です。それは皆様の方から語り出し、あるいはご連絡があるからお話をするのでありまして、私が勝手に公表しているわけではありません。
たとえば病気の方がご相談に見えて、あさか大師の本堂に一歩入っただけで、気分が落ち着き、体が軽くなるという方が多いのです。たしかに、血色がよくなり、表情も明るくなっています。もちろん、私が念力を送ったわけでも、お九字を切ったわけでもありません。このことは、地方の方と連絡を取った場合でも同様です。
つまり、私の眼や耳に皆様の姿や声が入ると、それがそのままお大師さまに直結するということなのでしょう。もちろん、こうした霊験は私が毎日お大師さまにお仕えし、お大師さまと直結しているから顕現するわけで、私に特別の才能や超能力があるわけではありません。ただ、お大師さまと直結するためには、それに値する修行を毎日続ける必要があるという、ただそれだけなのです。
修行というと、断食をして滝行や荒行に挑むイメージがあります。それも修行には違いないのですが、最も大切なことは、お大師さまから伝わった行法を毎日続けることなのです。毎日続けることで、常に「お大師さまと共にいる」という不動の信念が生まれるからです。ものごとは、なるべくしてなるのです。祈願も回向もまったく同じです。
このブログをお読みになった方からの「お問い合せ」が増えてまいりました。ぜひ、ご連絡ください。
祈願と回向の両輪
令和5年7月5日
あさか大師では毎日のお護摩はもちろんですが、先祖供養の回向にも力を注いでいます。
私の日課はまず、お供えを済ませてお大師さまへの念誦法を修し、次に先祖供養の光明真言法を修します。そして、11時半より祈願のお護摩を修します。(写真上)。私が葬儀・講演・お祓い等で留守をする場合は早朝に繰り上げますが、これを休むことなく、毎日続けています。そして、毎月第1土曜・日曜と第3日曜の午後1時からは、僧侶とご信徒が合同で先祖供養の法要をします(写真下)。
つまり、願いごとを成就するためには、そして人生を変えるためには、お護摩の祈願と先祖供養の回向と共に必要だということです。車の両輪、鳥の両翼です。どちらが欠けてもいけません。私はこのことを、一本の樹木に譬えています。つまり、太陽の光を浴び、枝の選定をして風を通し、消毒をして虫よけをしても、肝心の根に力がなければ、樹木は育ちません。花を咲かせ、実を結ぶことができません。この根の養いこそ、実は先祖供養なのです(ホームページの「先祖供養」参照)。
樹木の地表がこの世、根があの世です。地表がこの世の私たちで、根があの世の先祖です。どちらも大切ですが、あの世があってのこの世であることを忘れてはなりません。あの世がどこにあるのかといえば、実はここ(!)にあるからです。この世を現世(うつつ世)というではありませんか。あの世のうつし(現れ)がこの世です。あの世に苦しみがあれば、この世の苦しみとなって現れます。あの世に即して、この世があるからです。
だから、この世の願いを叶えたかったら、先祖供養に励みましょう。祈願と回向は車の両輪、鳥の両翼です。さらに詳しくお聞きになりたい方は、お気軽にお問い合せください。
情けは人のためならず
令和5年7月2日
あさか大師では昨日と今日、早くも盂蘭盆会(先祖供養)を挙行しました。たくさんのお盆塔婆が並び、たくさんのお供えが並び、僧侶とご信徒がいっしょに読経を唱和しました。そして法要の後、今度はお施餓鬼の作法を全員で実修し、餓鬼界の霊を救済しました(写真)。
私はよく、現代人の多くは餓鬼界に堕ちるのではないかとさえ思っています。それは死後においてばかりではありません。生前において、すでに餓鬼界の亡者であるからです。餓鬼界の亡者とは、いくら手に入れても足りることを知らない貪欲な人たちです。現代の生活は何かとお金がかかります。お金がなくても幸せになれるとは言いがたい仕組みの中で生きています。だから、お金の亡者が増え、まさに餓鬼界の様相を呈するのです。
ところが、お金は人が喜ぶこと、人が便利に想うこと、人が得することを与えねば手に入りません。つまり、施しをしなければ手には入りません。だから、お金を手に入れるには餓鬼界の亡者とは反対の生き方をする必要があるのです。必要があるのに、多くの人はこの道理がわかっていません。
私は20代で仏門に入りましたが、師僧からきびしく戒められたことは、「毎日お施餓鬼をしなさい」ということでした。施しを続ければ、何とかしてお寺をやっていける、食べていけるということでした。私はこの戒めが忘れられず、毎日の夕飯時や深夜にお施餓鬼をすることを日課にしています。
このことは僧侶としての戒めにとどまらず、施すことの功徳を考える大きなヒントでもありましょう。「情けは人のためならず」といいます。人のために情けをかけて施しをすれば、他人のためではなく、めぐり巡って自分のためになるという意味です。餓鬼界の様相を呈する現代生活において、これほど大事な教訓はありません。
しかし、自己啓発をして「施しをしよう」と思っても、現代の仕組みの中ではなかなか実行できません。だからお寺での法要やお施餓鬼が役立つのです。いっしょに参加していれば、おのずから施しができるようになります。言葉を超えた力が、ここにあるからです。
あさか大師に檀家制度はありません。つまり、お檀家さんはいません。宗派も問いません。皆様それぞれに、「古き相伝と新しき正統」を求めて集まっています。先祖供養をしたくても相談するお寺がない方、費用が心配な方、ホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。ちなみに、あさか大師の先祖供養は一ケ月2千円で続けられます。
続・遠い先祖は神棚に、近い先祖は仏壇に
令和5年6月28日
皆様は世界で最も古い国家がどこなのか、ご存じでしょうか。エジプトでしょうか、ギリシャでしょうか、それとも中国でしょうか?
答えは何と、わが日本なのです。なぜなら神武天皇の建国以来、今年で2680年、皇室が一度として滅んだことがないからです。これはギネスにも載っていることで、こんな国家はほかにありません。エジプトもギリシャも中国も、それぞれに古い歴史はありますが、次々に王朝の興亡をくり返し、日本の天皇家のように続いたわけではありません。次に古いのはデンマークですが、それでも建国1087年、次がイギリスで建国957年です。日本とは比較になりません。日本は特別な国家なのだと言わざるを得ないのです。
では、日本の天皇家だけがどうしてこれほどに続いているのでしょうか。私はその理由を、「遠い先祖は神棚に、近い先祖は仏壇に」の教えを守っているからだと思っています。大は国家において、小は家庭において、神棚と仏壇を共に大切にしてきたからだと思っています。
また真言密教の僧侶はその修法において、インド伝来の神々(三界所有の天王天衆)はもちろんですが、日本の神社の神々(天照大神など)をはじめ、当所鎮守(稲荷明神など)、星祭りの神々(北斗妙見など)、あの世の神々(閻魔法王など)、疫病の神々に至るまで、ことごとく大切にします。また、お大師さまをはじめとする歴代の祖師、過去精霊のすべてを大切にして、これを読み上げています。(写真)。
あさか大師で得度式(仏門に入る儀式)を挙げる時、私はこのことを入門の方に簡単にお話をしています。私たちは陛下の恩賜を受け、父母の恩愛を受け、鎮守の恩恵を受けてこの日本に生れました。この恩を忘れてはならないとお大師さまはおっしゃっています。私もその通りだと思っています。そして、この教えこそがこの国を支え、2700年近くもこの国を育ててきたのです。これは日本の英知であり、日本の宝です。皆様もこの英知を、この宝を大切に守り、次の世代に伝えていただきたいと思います。
まもなく7月を迎えます。お盆が近づいてまいりました。「遠い先祖は神棚に、近い先祖は仏壇に」の教えを実修する時です。毎年の当たり前が明日の日本となり、明日の自分となるのです。
遠い先祖は神棚に、近い先祖は仏壇に
令和5年6月26日
日本人の英知は、遠い先祖は神棚に、近い先祖は仏壇に祀り、共に大切にしてきたことです。
遠い先祖とは神話に登場する神(天照皇大神など)、学問の神(天神さまこと菅原道真など)、乱世の英雄(東照大権現こと徳川家康など)をいいます。そして、近い先祖とは皆様の父母・祖父母・祖々父母といった直接の先祖をいいます。日本人はこうして、遠い時代の神さまを神社や神棚に祀り、直接の身近な先祖を仏壇に祀り、共に大切にしてきました。
また、神棚や仏壇を大切にして、これに礼拝する姿を子供や孫に見せて来ました。これによって言葉では教えずとも、親や先祖を敬うことの大切さを伝えて来たのです。一年の初めには新しいしめ飾りに変えて新年を迎え、ご飯をいただくにも、まずはこれを仏壇に供えました。その当たり前のように繰り返された日常の〝儀式〟が、この国の柱となって、どれほどこの国を支えてきたことでしょうか。特にこの儀式が、この国の道徳力を育て、底力となってきたのです。
つまり、人は儀式を通じて物ごとを自覚するということです。言葉で語るよりも、入学式があり、成人式があり、入社式があり、結婚式があるからその自覚が生まれるということです。私たちは家庭内のささやかなこの儀式を大切にせねばなりません。このささやかな儀式が、私たちの生活を変え、人生を変え、運命をも変えることを知らねばなりません。
あさか大師では来る7月1日(土)・2日(日)の午後1時より、盂蘭盆会法要を挙行いたします。8月は菩提寺やお墓にお参りしていただくため、いち早く準備に入っています(写真)。
ここで老いも若きも、子供さんたちもいっしょに読経をします。そして、お施餓鬼の真言もいっしょにお唱えします。その読経や真言の響きが、何をもたらすかは、ご自分で体験してみてください。どなたでも参加できます。「墓じまい」や「檀家ばなれ」をした方も歓迎します。そして、お大師さまの偉大さにも触れていただきたいと思います。すばらしい、この国の儀式です。
占いは人生を変えるのか?
令和5年6月22日
私は僧侶になるまでに、多くの占いを学びました。四柱推命・宿曜経・九星気学・易学・姓名判断・人相・家相など、いろいろな学校や先生を訪ねて入門しました。お免状もたくさん残っています。ところが、僧侶として皆様のご相談に応じるようなってからは、九星気学を最も重んじるようになりました。
その理由は、応用範囲が広いからです。四柱推命は先天運を、易学は吉凶判断を、宿曜経は対人関係を見るに適しています。しかし、九星気学はそのすべてに活用が可能です。しかも短時間で、立ち話ででも活用できます。それに、他の占いに比べてわかりやすいという利点もあります。
ただ、現代の九星気学はそのほとんどが方位学 で、移転・旅行・お水取りなどに吉方を用いることしか教えてくれません。ほかには、せいぜい運勢を教えてくれる程度です。これでは、九星気学のほんの一部しか活用していないことになり、大変に残念なことです。
そこで私は昨年、『九星気学立命法』(青山社)と題して書籍とDVDを刊行し、新しい視点での九星気学を提唱しました(下写真)。今回の刊行は、その中で先天運(生まれた時点での運命)を見る〈傾斜法〉という技法に〈吉神・凶神〉を加え、二九一六とおりの運命パターンを見る推命の分野です。今後はさらに、吉凶判断としての分野も刊行する予定です。
また、書籍を購入した方から、ぜひ教室を開いてほしいという要望があり、すでに五回ほどの講義もいたしました(下写真)。ご希望の方には今後も、時間が許すかぎり応じるつもりです。
ただ、私はいわゆる占い師ではありません。占いは当たることが大切ですが、当たった結果に対して「では、どうしたらいいのか」の方がもっと大切です。また、占いは人生の吉凶を見ることはできますが、人生そのものを変えることはできません。吉方を用いても、名前や印鑑を変えても、根本的に人生を変えることはできません。仏教が「宿業(カルマ)」を説く理由はここにあります。刊行のタイトルを『立命法』とした理由も同じです。模範的な例として、大谷翔平選手のことも書きました。彼こそは徳を積み、誰からも愛され、世界中の人々に喜びを与える〝立命の人〟です。
それはさておき、占いが人生に役立つことは事実です。特に九星気学は学びやすく、よく当たり、人生の楽しみとなることも事実です。興味のある方はホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。
先祖供養の心得
令和5年6月20日
6月5日~8日までに書いた「運命改善への先祖供養」は大変に反響がありました。「墓じまい」や「檀家離れ」が話題となる中、いかに多くの方々が先祖供養に関心をお持ちなのかがわかります。また、それにお答えするのが、檀家を持たないあさか大師のお役目であるとも思っています。
一昨日の午前11時半より〈金運宝珠護摩〉を奉修しましたが、午後1時より先祖供養の法要がありました(写真)。このように導師(私)と僧侶の方々、そしてご信徒の方々が一体となって読経をします。私は真言密教の行法に従って、仏さまをお迎えします。そして、僧侶の方々が懸命に読経します。しかし、ご信徒の方々も黙って聞いているわけではありません。いっしょに大きな声で読経をします。老いも若きも、子供たちも読経します。独特のリズムが堂内に遍満します。その一体感が大切であることは、何度もお話をしました。
では、あさか大師の先祖供養について、もう一度その心得をまとめてお伝えしましょう。
①導師や僧侶の方々とご信徒の祈りを融合させ、強大なパワーを生み出すこと。
よく「供養料を払いますから拝んでおいてください」とおっしゃる方がいますが、それでは片手落ちです。祈りを融合させなければ、強大なパワーは生まれません。
②お盆やお彼岸、命日の日だけに回向をするのではなく、毎日これを継続させること。
あさか大師の先祖供養は、人生を変える運命改善を目ざします。継続させなければ、それだけのパワーにはなりません。
③先祖供養は必ず、父母の両家(既婚者は夫婦それぞれの両家を合わせて四家)を供養すること。
人は父母の両家の血系と霊系のルーツを引き継ぎます。特に母方をおろそかにしてはなりません。夫婦なら合わせて四家が子供さんに引き継がれます。当然のことです。
この三つの心得をもって、私は毎日、先祖供養を奉修しています。それは、あさか大師の堂内に入ればわかります。僧侶の方が火葬場で悪気を帯びた時、ご信徒の方が体調をくずした時でも、一歩堂内に入れば、ほとんどが好転します。それはもちろん、毎日のお護摩のパワーが融合していることはお話をするまでもありません。
先祖供養は一ケ月2千円をお納めいただいています。関心をお持ちの方は、ぜひホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。