山路天酬法話ブログ
続々・あの世への手紙
令和8年7月13日
私は毎日、お大師様より授かった光明真言の秘法を修しています。そのパワーを受け取っていただくために、皆様には供養紙(あの世への手紙となる塔婆)をお祀りしていただいています。つまり、私が放送局で、皆様の供養紙がテレビやラジオのような受信機です。そして、一ヶ月ごとに、その供養紙をお大師様(大日如来・写真)にお供えして、その功徳を回向しています。この繰り返しが功徳を積み重ね、「人生を変える先祖供養」となります。運命を変え、人生を変える力は、「徳(仏教では功徳)」であるからです。

私は九星気学も研究していますが、方位や名前の画数、また家相や墓相も大切だと思っています。しかし、それを活用するだけの徳がなければ、何の役にも立ちません。ここに占いの限界があります。すなわち、この世の人にも、あの世の人にも好かれる力が徳であり、運命を変え、人生を変える力であるからです。先祖供養にはあの世からこの世を変える力があります。そのことを、私は生涯をかけて、お伝えしたいと思っています。
*あさか大師の先祖供養に関心のある方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。お導師はもちろん、全国の弟子僧がネットワークを組んで、毎日の勤修に励んでいます。遠方の方には郵送します。多くの皆様に、あの世に持ち越せる唯一の財産である「功徳」を積んでいただきたいと思います。
続・あの世への手紙
令和8年7月10日
あさか大師の供養紙(塔婆形・前回ブログ参照)は、「先祖代々・先亡・水子」の霊に対し、総合的な供養となるよう配慮しています(写真)。先祖代々は血の流れを受け継いだ直系の霊です。先亡は直系をも含みますが、主に叔父叔母といった傍系の霊を意味します。また、どの家にも水子がおり、現代人の関心度も含めて加えています。叔父叔母は直接に血のつながりはありませんが、お世話になることが多く、あの世に往っても関連が続きます。「あの世への手紙」によって喜ばれ、その幸せが必ずこの世の幸せとなります。

さらに大切なことは、先祖供養といえばほとんどが現在の姓(多くは父方)ばかりを対象としますが、母方の流れを忘れてはなりません。私はこれを「母系供養」と呼んでいます。特に男性は、母方の霊系を受け継ぐ比率が多いので、この母系供養をおすすめしています。
先祖供養への想いを届けるには、この供養紙は最良の手紙となりましょう。これを月ごとに繰り返すことで、大きな功徳を生みます。私はいつも、あの世に持ち越せる唯一の財産は功徳なのだとお話をしています。専門的な行法は私が修するので、むずかしいことは何もありません。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
*あさか大師でも先祖供養をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。父母両家の「先祖代々・先亡・水子」を供養して、一ヶ月2000円です。遠方の方には郵送します。全国から大勢の皆様が参加しています。
あの世への手紙
令和8年7月8日
仏壇の位牌やお墓に、先祖の霊そのものがいるわけではありません。亡くなって四十九日までの中陰(幽界)は、あの世(霊界)への待合わせ所であり、肉体のない生活への訓練所です。だから、あの世の霊界にいる先祖は、位牌やお墓にはいません。ただ、死を自覚しない人やどこへ往ったらいいのかわからない人は、いつまでも幽界に留まるので、これを「幽霊」といいます。お墓などで幽霊を見るのはこのためです。
仏壇の位牌やお墓は、私たちが祈りを送るための媒体です。媒体を通せば、祈りが届きやすいからです。では、塔婆はどうでしょう。塔婆はいわば、「あの世への手紙」です。私たちのメッセージを送るための有力な手段です。そして、手紙を受け取った先祖はとても喜ぶので、塔婆の建つところが浄土となるのです。
あさか大師の先祖供養は、この塔婆形の供養紙を用いています(写真)。すなわち、皆様の想いをこの供養紙に込めることによって、立派な手紙になるからです。メール(!)ではなく、心を込めた手紙となりますので、これを受け取った先祖が喜ばぬはずがありません。

そして、一ヶ月ごとに回収して、皆様の功徳をお大師様に報告し、さらに回向を重ねています。供養紙はこの世のものですが、あの世のからの返信が、功徳となって皆様の人生を変えるのです。あの世が喜ばずして、この世の喜びはありません。あの世からの幸せが、この世の幸せとなります。それは、皆様が実修すればわかることです。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。真言密教のお導師が毎日、光明真言の秘法を修して一ヶ月2000円です。遠方の方には郵送します。勧誘はしません。入退も自由です。わずかな費用で、人生で最も大切な投資となります。
続・あの世からのこの世
令和8年7月5日
あさか大師では、昨日と本日の午後1時に盂蘭盆会法要を勤修し、多くの皆様が参列しました(写真)。また、遠方の皆様は同時祈願をなし、自宅からの回向を捧げました。

特に光明真言の唱和にいたっては清浄な霊気が漂い、灯明がゆらぎ、法悦につつまれました。まさに、あの世からのこの世です。あの世の幸せがなければ、この世の幸せはありません。この世を変えるには、あの世からなのです。
法要後には私が法話をなし、全員で施餓鬼法を実修しました。人は貪りが過ぎれば、死後は餓鬼界に堕ちます。特に現代は強欲な人が多く、餓鬼界に堕ちている人が多いと私は思っています。仏教では地獄・餓鬼・畜生を三悪道として戒めますが、これはエンマ様に裁かれるというより、自らが選ぶのです。つまり、自分で自分を裁くのです。
なぜなら、怒り狂って人を罵倒し、恨み、争いを重ねれば、それが地獄です。すべては心です。自分の心しだいです。盂蘭盆会も施餓鬼法も「布施」の喜びを教えています。布施の喜びを知ることで、貪りの罪が消えます。そして、あの世からのこの世の教えでもあります。
あの世からのこの世
令和8年7月2日
あさか大師では7月4日(土)・5日(日)午後1時より、盂蘭盆会法要を勤修いたします。盂蘭盆会は布施の功徳をもって、あの世の先祖に回向をする行事です。あの世の先祖とこの世の私たちに何の関係があるのかと言う人もいるでしょうが、実はあの世の写しがこの世なのです。この世を「現世」というのもこの意味です。
私たちはこの世からあの世のことは、普通の感覚ではわかりません。この世は肉体があり、物質があり、五感をもとに生きる世界です。その五感によって、内なる心を知る世界です。あの世は心の方が主体でこの世の五感を統合します。だから、あの世からこの世はわかりますが、この世からあの世はわかりません。
それでも、何かの折に霊の存在を感じたり、「守られている」と感じるのは、心の領域が肉体や物質を超えるからです。したがって、瞑想や祈りによって心の領域が広がると、あの世にも思いが通じます。法要では参詣者が『あさか大師勤行式』(写真)を読誦しますが、圧巻は光明真言の唱和でありましょう。

光明真言のリズムが融合し、その響きが頂点に達する時、灯明がゆらぎ、塔婆からは霊気が上昇します。五感を超えた〝法悦〟の瞬間です。この世とあの世が一体になります。初めての方も参列して、この法悦をぜひ体験していただきたいと思います。なお、法要後には施餓鬼作法についての説明があります。ご家庭でも、ぜひ実修してください。
*『あさか大師勤行式』(一冊2000円・送料210円)をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。郵便振替用紙を同封して郵送します。
また、先祖供養をご希望の方も「お問合わせ」からご連絡ください。父母両家を合わせて一ヶ月2000円です。あの世の幸せが先になければ、この世の幸せはありません。あの世から、この世の人生を変えるのです。
続・盂蘭盆会法要の前行
令和8年6月29日
私は毎朝、光明真言による先祖供養を勤修しています(写真)。これは単なる読経ではなく、お大師さまより相承した真言密教の行法を修するということです。特に今は、盂蘭盆法要の前行として、特別供養の塔婆を浄書し、開眼してご回向を重ねています。

真言密教の導師は仏様をお迎えして結界し、供養をなし、その功徳を先祖に回向します。ただし、あさか大師ではご自分のルーツである父母両家にアプローチしますので、「人生を変える先祖供養」と呼ばれるようになりました。しかも、全国の弟子僧がネットワークを組んで、光明真言の念誦に勤めています。その数はすでに300万遍を超えています。
また、盂蘭盆会法要は施餓鬼法も合わせて修します。その真言を列席者と共にお唱えし、餓鬼界の人々を救います。現代人は貪欲な人が多く、生きているうちから施すことの大切さを学ばねばなりません。私は毎晩、施餓鬼法を修していますが、僧侶は布施を受ける身でありますから、特に自戒を込めています。施すことは修行でもありますが、施すこと自体に喜びを感じることはさらに大切です。得ることは喜びですが、施すことはさらに喜びであると仏教は教えています。
*あさか大師での先祖供養をご希望の方は、筆者のこれまでのブログをご覧いただき、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
盂蘭盆会法要の前行
令和8年6月27日
あさか大師では7月4日(土)・5日(日)午後1時から盂蘭盆会法要を勤修するため、私はいまその前行に入っています。この盂蘭盆会法要では毎月の先祖供養に加えて、多くの皆様が特別供養の塔婆をお申込みになります(写真)。私は形式的な法要に留まることなく、光明真言の功徳が遍満するよう努力を重ねておりますので、その姿を見て納得なさるのだと思います。

私たちが先祖供養に関心を持ち、また先祖供養のことが気になるのは、仏様がご先祖を通じて導いてくださるからです。特に霊的な感応がなくとも、「何かをしなければ」と思うのはその証明です。親や祖父母が短命であるとか、変死者がいるとか、重病者が多いといった姿を通じて、「何かをしなければ」と思うからです。
ただ、気軽に相談ができるお寺は、そうたくさんはありません。なんとなく敷居が高いのも事実でしょう。かといって霊能者(?)のもとを訪ねれば、かえって恐怖をあおられ、高い祈祷料を要求されることもあります。よく「因縁が悪い!」といいますが、どんな人もタテには先祖から、ヨコには前世からの因縁があります。つまり、宿業(カルマ)であり、苦しみの原因です。
仏様はむしろ、この苦しみを生かしなさいと教えているのです。苦しみがあるから、「何とかしなければ」と思うよう導いてくださるのです。因縁があるなら、因縁によって救われなさいと教えてくださっているのです。どんな人も等しく救われなければ、この世に生れた意味がありません。因縁で恐怖をあおるのなど、言語道断です。決して正しい仏教ではありません。
先祖供養は因縁を超える重要な手立てです。盂蘭盆会を迎えるにあたっては、よりよいお寺にご縁をいただき、実りある法要をなさってください。
*あさか大師では7月に盂蘭盆会法要をなし、8月は帰省や墓参のためにと考えています。盂蘭盆会法要の後には、施餓鬼作法も合わせて実修しています。
*盂蘭盆会法要の特別供養をご希望の方は、ホームページも「お問合わせ」からご連絡ください。直系の「〇〇家先祖代々」のほか、叔父叔母といった傍系をも含む「〇〇家先亡」のいずれかでお申込みください。お塔婆一体5000円です。納入につきましては郵便振替用紙をご送付いたします。
*このほか、毎月の「人生を変える先祖供養」(一ヶ月2000円)もございます。お問合わせください。
仏教の極意とは
令和8年6月24日
私は毎日の深夜10時頃、外に出て施餓鬼法を修しています。これは20代で真言宗僧侶になった折、師僧からきびしく訓示されたためです。夕食のご飯(雑穀米)を別の器に取り置き、時間になったら味噌汁(粕汁)をかけ、外に出てお作法をしています(写真)。

私が師僧から訓示されたことは、真言宗僧侶は毎日この施餓鬼法を心がけることと、施餓鬼法においては何の利益も求めないことの二点でありました。この「何も求めない」という訓示が大切です。求めないことで、かえって大きな功徳を生むからです。
私が知るかぎり、この施餓鬼法を修している僧侶は、生活していけるだけの衣食が、必ず与えられます。檀信徒が少なくとも、お寺を維持していくことができています。それは、餓鬼界の亡者が必要な衣食を届けてくれるからです。求めることは大切ですが、それに固執すると我欲ばかり先行して、世間からも人からも嫌われます。
金運宝珠護摩でもよくお話をするのですが、お金を儲けようとしてお金を追いかける人には、実はお金が入りません。むしろ、どうしたら人が喜んでくれるかを考える人は、自分も人から喜ばれ、いつの間にかお金が入ります。世間の人に喜ばれるのも、餓鬼界の亡者に喜ばれるのも同じことです。
与えねば与えられませんが、与えることに固執していては、決して与えられません。ただ、与えることそのものに喜びを感じる時、人はすべてが与えられるのです。これが仏教の極意です。
続・「所得」とは「所徳」なのです
令和8年6月21日
あさか大師では本日午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修しました。梅雨多湿の中、大勢の皆様が参列し(写真)、遠方の皆様は同時祈念に臨みました。

お護摩に先立ち、このブログと同じ「所徳」についてお話をしました。どのような職業であれ、主婦であれ、高齢者であれ、子供であれ、好かれることほど役立つ才能はありません。そして、好かれるとは、徳があるということです。徳とは人として誠実であること、親切であること、やさしいこと、ウソをつかぬこと、約束を守ることです。人とは結局、ここに行き着くのです。そして、開運も金運も、すべてはここに行き着くのです。
私は経営能力が高いわけでも、もちろん富豪でもありません。それでも、金運宝珠護摩を続ける理由は、真理とは一つであるという自信があるからです。この真理を知るものは、必ず報われます。そして、生きてきてよかったと思うものです。皆様の金運増大が叶いますように。
「所得」とは「所徳」なのです
令和8年6月19日
あさか大師では6月21日(日)午前11時半より、「金運宝珠護摩」を奉修します。お参りの皆様は如意宝珠のパワーを直接いただき、金運銭(写真)を持ち帰って成就を目ざしましょう。遠方の皆様は同時祈念によって、お護摩との感応道交をはかりましょう。

私は「所得」とは、「所徳」であると思っています。なぜなら、所得が増えるためには、より多くのものを世の中に与えねばなりません。自分の持つ能力の何かを与えねば、所得にはならないからです。しかし、どんなに能力があっても、その能力が認められねば所得にはなりません。世の中には立派な能力を持ちながら、それを生かせず、不運な人がたくさんいます。
その理由は何かといいますと、人に認められる〈徳〉が足りないからです。能力は認めさせる力ですが、徳は認められる力です。この能力と徳とがかみ合ったとき、人は所得を増やすことができるのです。だから、所得とは実は「所徳」なのです。
徳とは認められる力ですが、それは〝好かれる力〟ともいえましょう。好かれることは、人生において最も役立つ才能です。家族にも、友人にも、お客にも、動物にも、植物にも、そしてあの世の人にも好かれることです。ここまで好かれれば、所得は望まずとも増えていきます。所得が増えるためには、「所徳」を増やすことです。「所徳」こそは金運の秘訣なのです。

