山路天酬法話ブログ
なぜ、人が集まるのか
令和7年5月18日
本日、午前11時半より金運宝珠護摩を奉修し、大勢の皆様が参集しました。初めての方も加わって共に祈り、共に読経し、如意宝珠の法益に浴しました(下写真)。
また、午後1時からは総回向法要(先祖供養)となり、この世とあの世の幸せをいっしょに祈りました(下写真)。
寺離れや檀家離れ、また墓じまいや葬儀をしない方が増える中、どうしてこのように人が集まるのでしょうか。それは、この世もあの世も一体となって向き合い、一日として休まぬ行法を続けるからです。
あの世はこの世のここにあるのです。眼には見えず、耳には聞こえずとも、皆様と共にあるのです。人生も運命も、いっしょに歩んでいます。このことを、皆様の魂は知っているのです。
供養紙や塔婆を開眼すると、その先端からオーラを発します。気が上昇して生きた仏様に変じます。だから、供養した人が夢に現われます。笑顔で姿を見せます。これは間違いのない事実です。
あさか大師の先祖供養に関心を持ちましたら、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。決して勧誘はしません。入退も自由です。一ケ月2000円の費用で、父母の両家(夫婦は四家)に最高の供養を施せます。先祖供養は世界に誇る日本の英知です。
5月の金運宝珠護摩
令和7年5月16日
あさか大師では5月18(日)午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修いたします。また、ご参加の方には全員、金運銭(写真)を差し上げます。どうぞ、ふるってご参詣ください。
お金の使い方に人格が現れます。また社会問題のほとんどが、お金の流れによって明らかになります。つまり、お金は人間そのものであり、お金に対する考え方が人間を決めるといっても過言ではありません。
ところが、お金は「欲しい、欲しい!」と思っている人ほど、手には入りません。なぜなら、自分が損をすると思うことはしませんし、人が損をすれば自分に利益があると思っているからです。
世の中の人を見てください。人が喜ぶこと、人に利益を与える人ほど、人から感謝され、自分もまた喜びと利益を得ています。だから、与えれば与えられるということです。これは不変の真理です。
この金運宝珠護摩は、皆様に与える力をサポートします。家族からも、友人からも、同僚からも、お客さまからも喜ばれ、感謝される人になってください。金運はおのずから増大していきます。
観音さまの瓔珞
令和7年5月15日
あさか大師の花壇に華鬘草(ケマンソウ)が花開き、参詣の皆様が楽しんでいます(写真)。
ケシ科の多年草ですが、花が増えると観音さまの瓔珞(首飾り)のように垂れ下がります。タイツリソウとも呼ばれますが、確かに恵比寿さまがタイを釣ったようにも見えましょう。また、葉の形が牡丹に似ているのでヨウラクボタンの別名もあります。いずれにしても、仏教にご縁のある美しい花です。
お寺にふさわしい花として植えましたが、真夏の猛暑でかなりダメージを受けました。何とか残ってほしいと願っています。
お大師様の原点
令和7年5月11日
あさか大師にお参りする弟子僧やご信徒の皆様は、境内の六地蔵・水子観音と共に、「遍路大師(写真)」に礼拝して本堂に入ります。この遍路大師のお姿こそは、お大師様の原点であり、後に真言密教を打ち立てる根底となるものです。
お大師様は十八歳で奈良の大学に入学し、官吏への道を歩まんとしました。しかし、仏教への求道心が止まることなく、中退して山岳修行に励まれました。まさに身を捨てての苦修練行であったと拝察されます。
特に虚空蔵菩薩の真言を百万遍お唱えする「求聞持法」と呼ばれる修行には渾身のお力で臨んだのでありました。すなわち、この自然界も宇宙も自分自身そのものであり、虚空に遍満する仏と同体であるという悟りに到達したのであります。水の流れ、風の音、野の花、鳥の声、すべてが仏の説法であるという境界は、曼陀羅の教えそのものであります。
お大師様は三十一歳にして唐に渡り、真言密教を相承しましたが、その原点はこの遍路大師の時代にありました。そして、お大師様が歩まれた道が今日、巡礼の遍路となって残されたのであります。遍路大師はお大師様を信仰するすべての方々の原点でもありましょう。
5月の伝道法語
令和7年5月8日
5月の伝道法語は、また努力のお話です。みんなが努力をせずに、楽をしたいと思っています。また努力はしても、続かぬものだと思っています。それでも、努力をせずにうまく行くことはありません。
努力とは〝継続〟ではないでしょうか。決意することは誰でもできます。問題はコツコツと続けること、つまり、継続です。まさに、「継続は力なり」なのです。
何をするにも、まずはわずかな努力からです。わずかな努力を3日続け、10日続け、1ケ月を続ければ習慣となります。その、習慣が継続となります。そして、継続の積み重ねが小差となって現われます。
さらに、その小差を続ければ、やがては必ず大差となって大きな成果を得ます。一生の栄養を一日でとることはできません。努力もまた同じです。わずかな努力を続けることは、人生の極意です。
5月の強運者
令和7年5月6日
5月5日から6月4日までが、暦法で5月です。八白土星が中宮して、西南が五黄殺、東南が暗剣殺、西北が月破となりす(写真・下が北となり、一般の地図とは逆になります)
5月の強運者は一位が七赤金星、二位が六白金星、三位が九紫火星です。
七赤の人は問題解決と実力発揮のチャンスとなります。よく考えて思索し、冷静な判断がカギとなりましょう。また、遠方からの情報や来客に大きなヒントがあります。注意深くアンテナを張っておきましょう。
六白の人は開運に向ってのスタート台に立ちました。好発進をして、飛躍を遂げましょう。短気や口論を慎み、持ち前の冷静さをふまえることが大切です。謙虚で誠実に接すれば、世間が味方になるのです。
九紫の人はこれまでの努力が実って、成果が得られる月です。上司運の月なので、目上への配慮を忘れてはなりません。自分の意見を押し通すのではなく、互いの共通点を探して助け合いましょう。
そのほかの人は、ホームページの「今月の運勢」をご覧ください。暦に使われるのではなく、暦を上手に使うことが大切です。そして、衰運こそは開運への根回しであると心得ましょう。
運不運と幸不幸を決めるもの
令和7年5月4日
あさか大師では3日(土)・4日(日)の午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修しました。ゴールデンウイークにもかかわらず、大勢の皆様が参詣し、僧侶と共に読経しました(写真)。
私たちの運不運と幸不幸は何によって決まるのかといいますと、それは能力の差もありますが、最も大切なことは〈徳〉の力だと私は思っています。
では、徳とは何かといいますと、好かれる力、感謝される力なのです。つまり、この世間からどれだけプラスのエネルギーを注がれているか、そこなのです。これは逆のことを考えれば誰にでもわかることです。たくさんの人から恨みや反感を背負っていては、運も幸せもありません。
多くの人から好かれ、感謝される方は、必ず運を開き、幸せになるのです。そして、そのことは決してこの世の人にかぎりません。あの世の人に好かれ、感謝されることは、この世と同じように大切です。
なぜなら、あの世とこの世は一体であり、あの世の幸せがこの世の幸せであるからです。あさか大師が先祖供養に力を注ぐのはこの意味です。檀家離れや墓じまいが増える中、多くの方々が共鳴し、お仲間に加わっています。
費用を心配することもありません。1ケ月2000円で父母の二家(既婚者は四家)が供養され、新しい自分に出会えます。あの世にも、この世にも真剣に立ち向かう自分になれるのです。
関心のある方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。詳しく説明いたします。
新市長への表敬訪問
令和7年4月30日
今年3月17日、当地朝霞市に初の女性市長が誕生しました。松下昌代氏です。立候補に当たってはあさか大師にわざわざお参りになり、熱心に御守を持ち帰りました。
今日は岡崎和宏市議会議長・奥山正善あさか大師総代と共に、市長室へ表敬訪問をいたし、新市長と親しく歓談してまいりました(写真・中央右が新市長)。
聖徳太子は日本で最初に制定した「十七条憲法」の冒頭で、〈和〉の大切さと〈三宝〉への敬い、つまり仏教への帰依をかかげています。すなわち、政治にこそ仏教が必要であることを強調したのです。
新市長が立候補した折、私はお大師さまのお札に彼女の名前を書いて祈り、選挙事務所に持参しました。お札を大切にしてくださる方と分かっていたからです。若い感性とパワーで、新たな市政をリードしていただきたいと願ってやみません。
飛鳥美人の犠牲者
令和7年4月29日
「移転してから体調が悪いのです」といったご相談を受ける時があります。たいてい、建売住宅なら地鎮祭をせず、中古住宅ならお祓いをしていないのです。
また古戦場の跡だったり、塚跡だったりすることもあります。土地にも建物にも、歴史の中で人の想いが残ります。そのことは知っておかねばなりません。
高松塚古墳より出土した飛鳥美人(写真)や北斗・四神画は世紀の大発見でしたが、その影で犠牲者が続出したことはあまり知られていません。国をあげての大事業ながら、はたしてどの程度の供養やお祓いをしたのでしょう。
まず、明日香村観光課長М氏は、発掘が始まるや毎晩のようにうなされたといいます。そして、間もなく胸の痛みを訴えて倒れ、そのまま亡くなりました。それまで、何の徴候もなかった方です。
続いて、古墳沿いの畑をクワで耕していた村内女性K氏は、誤って石窟を傷つけてしまいました。すると彼女は体調をこわして寝込んでしまった末、二日後に息を引き取りました。
翌年、発掘調査の資金調達に奔走していた自治会長が車にはねられて死亡、また古墳の第一発見者が農薬自殺、さらに壁画の模写をしていた日本画家もまた車にはねられて死亡するなど、まるで呪われたような事件です。偶然にしては、その偶然が重なり過ぎます。
このような権力者の霊は、よほどの供養をせねば鎮まりません。百人の僧侶が必死で祈り、お護摩を焚くほどのことは必要です。今日は怖いお話になってしまいました。文化の影には、こうした犠牲があるものです。
徳川家が現在まで続いた秘密
令和7年4月27日
徳川家康は熱心な浄土教(念仏)の信者でした。彼の旗印である「厭離穢土 欣求浄土」とは、けがれたこの世から離れ、喜んで仏の浄土を求めようという意味です。武田信玄の「風林火山」や上杉謙信の「毘(毘沙門天)」のように、兵の士気を鼓舞するものではありません。当時としては、異例の旗印です。
彼は関ケ原や大坂冬・夏の陣での戦死者を、敵味方の区別なく手あつく葬り、供養をしました。あの時代に、並みの武将にできることではありません。そして、晩年には念仏三昧を日課として、「南無阿弥陀仏」の名号を連書しました(写真)。
徳川家が十五代にもわたって将軍家を存続させ、明治維新を経て現代までも子孫を絶やさぬ秘密は、家康のこの篤い信仰心にあったのです。この信仰心なくして陰徳(世間に知られない本来の功徳)は積めません。
私たちもせめて父母の家だけでも供養に励み、ささやかな功徳を積みたいものです。菩提寺や仏壇がなくとも先祖供養はしたいとお考えの方は、ぜひご相談ください。