山路天酬法話ブログ
12月の伝道法語
令和7年12月3日
12月の伝道法語です(写真)。毎月、境内に掲示して、ご参詣の皆様に読んでいただいています。

誰にでも、逆境といえる時があります。くじけそうになる時があります。そんな時は、悪い方へ悪い方へと考えるものです。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと悩むものです。
人は生きていく価値もないなら、生まれて来ることはありません。生きていく能力もないなら、生まれて来ることはありません。この世に人として生まれて来た以上は、必ず生きていく価値と生きていける能力があるのです。
すべてを失ったと思っても、残ったものが必ずあります。丈夫であることや、がんばり屋であることは、立派な財産です。泣きごとをいわず、笑顔を絶やさないことは、立派な才能です。
それを信じて、前向きに考え、前向きに進みましょう。必ず、誰かが味方になります。それを信じて、進みましょう。
新しい年には「厄除・災難除」を
令和7年12月1日
あさか大師では〈令和8年厄年・災難年早見表〉を境内に掲示しました(写真)。ホームページの「厄よけ・災難よけ」にも掲載されています。

令和8年は六白(衰運に入る)・四緑(表鬼門に入る)・一白(八方ふさがり)・七赤(裏鬼門に入る)の皆様が、「災難除を必要とする人」となります。また、その中で
幼児4才・男女13才・女19才・男25才・女33才・男42才・男女61才の皆様が〈厄年〉となります。あさか大師の力強いお護摩によって、一年の厄災を祓っていただきたいと思います。
いつもお話をしていますが、物ごとの成否は〝段取り〟によって決まります。つまり、いかに準備をするかの根回しが大切だということです。厄よけや災難よけをして計画を練り、しっかりと根回しをすることです。開運期を迎えたからといって、あわてて準備をしても間に合いません。だから、厄年はむしろ、開運へのチャンスでもあるということです。
また、眼に見えないご先祖のご加護も大切です。墓参や先祖供養をして、功徳を積みましょう。こういう影の力が、いざとなった時にモノをいうのです。このことを忘れてはなりません。
世の中はいよいよきびしさを増しています。皆様により多くのご加護がありますことを念じてやみません。初詣にてお会いできますことを願っております。
12月の強運者
令和7年11月29日
12月7日から来年1月4日までが暦法での12月となります。南が五黄殺と月破、北が暗剣殺となります(写真・北が下となり、一般の地図とは逆になります)。南の五黄殺は方位として注意が必要ですが、五黄の人がいつも五黄殺という意味ではありません。ただ、12月は月破が付きますので、いずれにしても注意しましょう。

12月の強運者は一位が九紫火星、二位が二黒土星、三位が八白土星です。
九紫の人はきわめて良好な運気で、天地が味方をします。巽宮(木星)が自分(火星)を生じるので、協力者が得られます。健康運も高まりましょう。誠実と正直を忘れずに進めば、物ごとがまとまり、大きく飛躍します。
二黒の人は努力の成果が現われ、実りを得ます。ただし、自分(土星)が乾宮(金星)を生み出すので、その分の疲労を伴います。目上運なので、上司や先輩への気配りを忘れてはなりません。
八白の人は新しいスタート台に立ちました。目標に向かって、力強く進みましょう。ただし、震宮(木星)が自分(土星)を尅す ので、ストレスを伴います。持ち前の辛抱強さを発揮したいものです。
そのほかの人は、ホームページの「今月の運勢」をご覧ください。また「厄除・災難除」には、来年の一覧表が公開されています。新春大護摩の祈願によってご加護を仰ぎましょう。
得る喜びから与える喜びを
令和7年11月27日
人は誰でも、何かを得るために生きています。しかし、得るためには、何かを与えねばなりません。それは労働力でもあり、商品でもあり、情報でもあり、サービスでもありましょう。これらを与えることにより、人は自分が望むものを得ることができるのであり、人生の喜びを得ることができるのです。
しかし、得る喜びを重ねるうち、人はいつしか与えることそのものに喜びを感じるようになります。つまり、得る喜びから与える喜びを知るようになるのです。仏教ではこれを〈布施〉といいます。
布施とは、お坊さんへの布施にかぎりません。世のため人のために、物でも思いやりでも、何かを与えることのすべてが布施なのです。もちろん、お金もその例外ではありません。
あさか大師では、月に一度、一食分の食代を布施する「一食布施」をおすすめしています(写真)。一食布施はもちろん〝功徳〟にもなりますが、与えることそのものに喜びを感じることを目ざしています。そして、その浄財はユニセフや赤十字社、また被災地へ送金してまいりました。

一食布施の募金箱は、あさか大師の寺務所に設置しています。お参りの皆様にはご自分で入れていただき、遠方の皆様には、ご送金をいただいています。皆様のあたたかいお心を、この与える喜びにお遣いください。
*先日、私の法友である羽田守快師の金翅鳥院(鎌倉市)が、漏電のために全焼しました。今般はその復興支援にしたいと考えています。
パワーが持続する「願いおき護摩木」
令和7年11月25日
あさか大師ではお護摩を、毎日午前11時半に修しています。それは、毎日の継続が絶大な法力を呼ぶからです。もちろん、月に一度でも、大祭の折に修しても、法力は顕現します。断食や荒行によって修しても同じです。しかし、毎日の継続には及びません。
なぜなら、毎日の継続によって、お大師様の法力が本堂に残り、壁にも柱にも遍満するからです。だから、いつ本堂に入っても、その法力を感じるはずです。健康を害していても、顔色が明るくなり、体が軽くなります。
お護摩には、皆様が願いごとを書かれた護摩木が投じられ、炎の勢いが増します。また、護摩木にはパワーが持続する「願いおき護摩木」があり、ご希望の期間を指定することができます(写真)。

ご自分で護摩木を書かれた皆様は、指定期間の棚に入れてください。遠方の皆様はホームページの「お問合わせ」にて、お願いごととお名前、ご希望の期間をお知らせください。係員が護摩木を書き、指定期間の棚に入れます。
毎日修するお護摩が、お願いごとの達成を力強く支えます。お大師様の絶大な法力を信じましょう。そして、願いおき護摩木によって、パワーを持続させましょう。
水子供養はなぜ大切なのか
令和7年11月23日
この世に、水子ほど悲しい〈いのち〉はありません。
どんな人にも、両親から授けられた名前があり、戸籍があります。また、ほとんどの人が両親といっしょに生活し、共に過ごした思い出があります。若くして亡くなっても、お骨があり、戒名があり、位牌があり、お墓があります。
しかし、水子には名前もなく、お骨もなく、戒名もなく、位牌もなく、お墓もなく、闇に葬られたまま何ひとつ残りません。この悲しみが水子の両親や子孫に対して、何の影響もないはずはありません。
あさか大師では、こうした水子へのいのちに特別な思いを込め、水子観音堂にて毎日の回向を続けています(写真)。

また、水子供養は先祖供養の中でも、その回向を続けることができます。この世の中で、最も悲しい水子に対し、皆様の想いを届けていただきたいと思います。
*水子供養と先祖供養に関心のある方はホームページをご覧いただき、「お問合わせ」からご連絡ください。
信仰と供養のイメージ
令和7年11月21日
私は先祖供養の説明をする時、相手の方を一本のリンゴの樹にたとえています。下の図を見てください。これで説明すると、よくわかるはずです。

私たちが人生を変えようとした時、自己啓発やプラス思考を学ぶかも知れません。あるいは信仰によって、ご加護を祈るかも知れません。それは太陽の日を浴びて、エネルギーを受けることにたとえられましょう。
また、占い師のもとを訪ねれば、名前が悪いとか方位が悪いとかいわれるはずです。それを改めることは、風通しをよくするために枝おろしをしたり、害虫がつかないように薬を噴霧することにたとえられましょう。
これらは、この世における自分の努力です。しかし、その自分には、眼に見えない地中にも必ず根があります。いわゆる、あの世の世界、眼に見えずとも、あの世には根としての先祖が確かにいるのです。いわゆる根本(!)です。この根本を忘れてはなりません。
しかも、先祖には父母の両家があります。そして、父母・祖父母・祖々父母と、血の流れがあります。皆様が受け継いだ遺伝子です。この父母両家の先祖を無視して、人生を変えることはできません。
一本の樹のように、この世とあの世は一つにつながっています。そして、根としての父母両家にアプローチしてこそ、「人生を変える先祖供養」となるのです。誰にでもわかる、当然の道理です。
*この「人生を変える先祖供養」に関心のある方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。一ケ月2000円で父母両家の供養を、密教の大阿闍梨が毎日修します。遠方の方には郵送します。むずかしい作法は何もありません。
教えては学び、学んではまた教える
令和7年11月19日
私は「山路天酬密教私塾」を開講し、後進の指導に当たっています。私がこれまでに学んだ真言密教や修験道、霊符や九星気学の普及に努めています。受法には遠く北海道や九州からも来山され、流派を問わず、求道の僧侶が来山しています(写真)。

実は、教えることは学ぶことでもあります。なぜなら、教えることによって、自分の足らないところが見えて来るからです。私は常にわかりやすく、「やさしく」をモットーにお話をしていますが、これがなかなか「むずかしい」から厄介です。
特に密教の教理はむずかしいので、これをわかりやすくお話するためには、よほどに学んでいなければ成し得ません。むずかしいことを、むずかしいままお話するのは〝簡単〟なのですが、これがむずかしい(笑)。いや、お話がややこしくなりました。
つまり、教えることによって学ぶ、教えることは学ぶことであるという意味です。教えては学び、学んではまた教える、人生はこのくり返しではないでしょうか。もちろん、反省も必要です。私などはいつも反省ばかりですが、これからもこの意気で教え、また学んでまいります。
続・ギャンブルで財をなすのか
令和7年11月16日
あさか大師では本日、〈金運宝珠護摩〉を奉修しました。たくさんの皆様が参詣し、遠方の方々は同時祈願にて金運増大を念じました(写真)。

この金運宝珠護摩は、皆様が人によろこばれ、社会に喜ばれる何かを与えられるよう、その背中を押すものです。何も与えずして金運が高まることはありません。与えねば与えられないという道理は、決して変わることがないからです。「与えよ、さらば与えられん」は、古今の名言です。
だから、与えずして得たものは、いずれは必ず失います。ギャンブルで財をなすことは、絶対にありません。人をだまして利益を得ても、いずれは信用を失い、その罪をつぐなうことになります。「悪銭身につかず」とは、このことです。
この信念をもって与える人が、結局は金運を得るのです。その手がかり、足がかりをつかんでいただくのが、この金運宝珠護摩なのです。
ギャンブルで財をなすのか
令和7年11月14日
あさか大師では11月16日(日)午前11時半より、恒例の〈金運宝珠護摩〉を奉修いたします。ご参詣の皆様は直接にお護摩のパワーをいただき、金運銭(写真)をいただいてその威力を持続させましょう。遠方の皆様は同時祈念によって感応道交をはかり、金運増大を目ざしましょう。

金運増大のためには、人に喜ばれる何かを、社会に喜ばれる何かを与えることです。与えねば与えられることはありません。与えずして得たものは、必ず失うことになります。人に損をさせて利益を得ても、信用を失い、やがては自分が損をします。人をだましたり、ウソをついて利益を得ても同じです。
また、与えずして得たものは、いずれは返さねばならず、つぐなわねばなりません。だから、ギャンブルで財をなすことは、絶対にありません。たとえ一時的に財を得ても、それを所有する資格(つまり与えたもの)がありませんから、かえって不幸を呼ぶのです。これは国税庁の調査員が証明しています。高額所得の方々がギャンブルをしないのは、この道理を知っているからです。
この金運宝珠護摩は、皆様が人や社会に何かを与える能力が得られるよう、その背中を押すのです。パワーあふれるお護摩によってお金の神様に好かれ、人にも社会にも好かれ、与えられる人になってください。

