山路天酬法話ブログ
仏様との感応
令和8年6月7日
あさか大師では先祖供養の行事として、月に3回の総回向法要を勤修しています。昨日と本日、大勢の皆様が集まり、法要に参加しました(写真)。また遠方の皆様には、同時祈念していただくことをおすすめしています。

前回お話をしましたが、先祖供養はプロのお導師と共に修することが大切です。特に真言密教のお導師は、仏様を勧請して直接に回向をする秘法を心得ています。人が祈るのではなく、仏様が人のために祈ってくださるという観念に立たなくては、本当の先祖供養はできません。
もう一つ大切なことは、母方の供養を忘れてはならないことです。ほとんどの方々が、父方には熱心なのですが、母方を重んじません。これはすぐれた文化を持つ日本にしては、とても残念な風習です。特に男性は母方の血を引く方が多いので、私は「母系供養」として大切にしています。自然の道理から見ても、男女陰陽の関係は、遺伝的にも納得するのではないでしょうか。
あさか大師ではお導師の修法と共に、ご信徒の皆様もいっしょに読経し、真言をお唱えします。その波動が一致した時、お灯明がゆらぎ、お塔婆からは後光が射します。お近くの方は、ぜひ見学にお越しください。仏様との感応を、ご自身で実感するはずです。「人生を変える先祖供養」を共に歩みましょう。
*この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。供養料は父母両家を合わせて、1ケ月2000円です。勧誘はいたしません。遠方の皆様には郵送します。全国からたくさんの皆様が参加しています。ご連絡をお待ちしています。
続・先祖供養の落とし穴
令和8年6月5日
よく、「先祖にはいつも感謝しています」という方がおりますが、気持ちだけでは先祖供養になりません。具体的な行為がなければ、感謝にはならないからです。進んで先祖供養を目ざすなら、気持ちだけであってはならいないことを肝に銘じましょう。
また、苦しみや悩みを重ねると、よく霊能者(?)のもとを訪ねる人がいます。すると「先祖が祟っている」といわれ、高額な供養料を請求されるはずです。私のところにも、何百万円も支払ったという方がいらっしゃいました。欲心は必ず顔や姿に現れます。こういう方に先祖供養をお願いすると、その欲心が反映して、かえって苦しみや悩みが増えていきます。お導師とは闇を照らす光でなければなりません。光でない者が、あの世の闇を照らすことができるでしょうか。
また、人生の不幸はすべて、先祖の霊が悪いからだと主張する人もいます。自分の生き方を問うこともなく、何もかも霊的な原因で考えるから困るのです。先祖が子孫に影響を与えるのは事実ですが、自分の生き方がまた先祖に影響することも忘れてはなりません。子供が悪いことをすれば、親も悩むでしょう。追善があれば、「追悪」もあるのです。そして、先祖供養にはこうした落とし穴があるのです
先祖供養はまず、正統なお導師を選び、そのお導師と共に修することです。正統なお導師は、よく仏に仕え、人のために生きることを喜び、生活が清楚で、決して法外な供養料を要求することがありません。こうしたお導師は、向かいあっただけで心が安らぐはずです。そして、清浄で強い霊気が漂っているはずです。
あさか大師が提唱する先祖供養は皆様に供養紙(写真のお札)を渡し、お大師様(弘法大師)の光明真言法を勤修してその功徳を回向する様式です。いわば、私が放送局で、皆様が受信のテレビです。これを毎日続けています。そして、月ごとにその功徳を供えることで、「人生を変える先祖供養」となるのです。
また、全国の弟子僧がネットワークを組んで、光明真言の百万遍念誦も融合させています。ここまで先祖供養に配慮しているお寺はありません。皆様は簡単な祈りだけでよいのです。ただ、お大師様を信じていただければ、それだけでよいのです。それだけで、不思議なことがおこります。

*あさか大師の先祖供養をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。勧誘はしません。供養料は父母両家を合わせて、1ヶ月2000円です。遠方の皆様には郵送します。全国からたくさんの皆様がこの先祖供養に参加しています。
先祖供養の落とし穴
令和8年6月4日
生きるとは、一日一日が死に向かうことです。人生の目的をあえて申し上げるなら、それは「どのような死を迎えるか」に尽きるのです。ところが、ほとんどの人が終活はしても、死について考えることがありません。そして、何ひとつ教えられることがありません。親からも学校からも、寺の住職からも教えられることがありません。これであの世に旅立つのですから、〝迷う〟のは当たり前です。
亡くなって四十九日間を、仏教では「中陰」といいます。この世とあの世の中間で、「幽界」ともいいます。あの世の「霊界」に向かう待合所です。この間は、肉体から脱した幽体として生活します。「のどが渇いた」「お腹がすいた」と言っても、生前のように飲むことや食べることから別次元の生活に慣れねばなりません。いわゆる「香りを食とする」と仏典『俱舎論』(写真)には説かれています。〈香り〉とは食事の香りでもありますが、遺族の想いが香りとなります。だから、お線香をお供えするのです。

皆様はいかがでしょうか。香りで満足する生活を、四十九日間で達成できますでしょうか。さらに重要なのは、生前の業(カルマ)が深いと、その重さから霊界には往生できないということです。悪事を重ねたり、強欲に生きた人ほど、重い業を背負っています。しかし、ここで救いとなるのが、遺族が善事をなして「追善」をすることです。死者に変わって、遺族が善を追うのです。
これによって、死者の業は軽くなり、その功徳によって霊界に往生することができるのです。死者が往生しないと、幽体のままこの地上にとどまります。これが幽霊です。今の日本には、お葬式もされず、追善もされない幽霊がいかに増えているかがわかりますでしょうか。
この世はあの世の映しです。だから、「現世」といいます。あの世の生活は必ず子孫に映し出されます。この世でうまくいかないことは、あの世でうまくいかない映しです。だから、先祖供養が大切なのです。ただし、先祖供養は自己流ではいけません。とんだ、落とし穴があるからです。次回、さらにお話をいたします。
*筆者の先祖供養に関心のある方は、ホームページのブログから検索してください。毎日、真言密教の「光明真言法」を修して皆様の先祖供養に励んでいます。
生きた仏になるためには
令和8年6月3日
あさか大師の境内に「六地蔵」があり、参詣の皆様が手を合わせ、祈りを捧げています(写真)。特に隣接の老人ホームの皆様には、「安らぎのお地蔵さま」として親しまれています。
この六地蔵は以前、近くの道路わきに放置され、とても怖い顔をしていました。その後、縁あってあさか大師の境内に移し、お祀りして開眼法要をなし、皆様に拝まれるようになってから、このように柔和でやさしい顔に変わりました。

皆様は「仏だから拝む」と、当たり前のように思っているはずです。そうではありません。実は、「拝むから仏になる」のです。なぜなら、木像であれ石像であれ、それ自体は単なる物質です。それを開眼し、読経し、真言を唱え、多くの方々に拝まれることによって、はじめて魂が入り、生きた仏になるのです。つまり、仏は拝まれることによって、生き生きとした仏らしい仏に変わるということです。
逆に言えば、拝まれない仏は生気が乏しく、迫るものがありません。だから、お寺の本堂に入ると、住職がどのくらい拝んでいるかスグにわかります。心を清める本堂であるのに、何か重々しい暗い空気に包まれることがあるはずです。以前のこの六地蔵も拝まれることがなく、川でおぼれたり、交通事故で亡くなった霊に頼られていたのです。
よく拝まれている仏は、毎日の表情に微妙な変化があることがわかってきます。お供えがあったり、大勢のお参りがあると嬉しそうな顔をしますが、地震や災害のニュースががあると、悲しそうな顔をします。丸顔に見える日もあれば、面長に見える日もあります。もちろん、物質的な変化があるわけではありません。しかし、拝む人の立場に立つと、そのように見えるから不思議です。信仰とは物質現象を超えて、このような精神的、あるいは霊的な広がりをもたらすものです。この六地蔵が、その証明です。
6月の伝道法語
令和8年6月1日
6月の伝道標語です(写真)。境内の伝道掲示板にはって、皆様に読んでいただいています。

人は誰でも自分が認められることを望んでいます。だから、自分の話を対等に聞いてくれること、自分の能力や業績を正当に評価してくれることを望んでいます。そして、そのように接してくれる人に好意を持ちます。でも、そのような人にはなかなか出会えません。思うように認められることも少ないはずです。
そんな時、多くの人は愚痴を言って自分をなぐさめます。しかし、それによって自分への評価が上がるわけではありませんし、解決することは何もありません。むしろ、これを鏡として自分の心を写すなら、自分を向上させるチャンスとなるのではないでしょうか。相手に対しても、感謝が生まれるかも知れません。
「立ち向かう人の心は鏡なり おのが姿を写してや見ん」という道歌があります。愚痴で受けるか、感謝で受けるか、そこに生き方の分かれ目があります。
6月の強運者
令和8年5月29日
6月6日~7月6日までが、暦法での6月となります。四緑木星が中宮するので、西北が五黄殺、東南が暗剣殺、北が月破となり、注意する方位です(写真・北が下となり、一般の地図とは逆になります)。

6月の強運者は一位が五黄土星、二位が三碧木星、三位が八白土星です。
五黄の人は乾宮(金星)にあって自分(土星)が生じられるため、強運な月となります。目上運となりますので、上司や先輩への気配りが重要なポイントになりましょう。もちろん、部下の協力も欠かせません。謙虚に接して、信頼を得ることが大切です。
三碧の人は巽宮(木星)にあって、自分(木星)とは比和(兄弟)の関係になります。良好な運勢ですが、暗剣殺(凶神)が付くため、何ごとも慎重に進みましょう。特に口論・暴言は自戒が大切です。人の意見には耳を傾けねばなりません。
八白の人は離宮(火星)にあって自分(土星)が生じられるため、強いご加護があるでしょう。協力者が現われれば、心強いかぎりです。ただ、「分かれる」「離れる」といった分離作用を伴います。仲間割れをしないよう、調和を保ちましょう。
そのほかの人は、ホームページの「今月の運勢(6月1日更新)」をご覧ください。衰運の月は開運への根回しを心がけましょう。根回しの良し悪しが、その成否を決します。私はいつも、「衰運こそ開運へのチャンスです!」とお話をしています。
「苦悩する力」の大切さ
令和8年5月27日
昨夜は寝床で、脳科学者・中野信子さんの『悩みと上手につきあう脳科学の言葉』(プレジデント社・写真)という本をめくりつつ、眠りにつきました。数年前にコンビニで見つけ、何となく買ったまま忘れていた本です。
私は寝つきがいいので、ほんの数ページを読んだだけなのですが、「悩みとは学習のためのフィードバックである」という言葉だけは記憶に残っています。つまり、悩みは人間を学習させるための仕組みだということなのでしょう。「うまいことを言うな」と思いつつ、もう夢の世界でした。

中野さんの主張は脳科学の立場からですが、同じことが仏教からも言えると思います。つまり、人生の苦悩は私たちの宿業(カルマ)を修正させようとする働きであるからです。人生とは原因と結果のくり返しです。善因善果・悪因悪果であり、自業自得です。どんな苦悩にも、その原因は自分にあります。しかし、同時にそれは、その原因を修正させようとする生命の善導なのだと私は思います。この相反する矛盾が同時進行するところに、人生の真実があります。何もかも自業自得で終っては、救われようがありません。
わかりやすくお話をするなら、病気は人生の大きな苦悩です。病気にはもちろん原因がありましょう。生活習慣から、ストレスから、ひょっとしたら前世からの宿業からかも知れませんし、先祖の霊障かも知れません。しかし、病気とは何でしょう。痛みも熱も、それは健康を維持しようとする、生命の尊い働きです。病気になれば、あわてて病院へ行くでしょう。だから、何とか健康を維持できるのです。痛みも熱もなければ、何も気づきません。それで終りです。私たちは病気をするから、健康を維持できるのです。
苦悩はつらいものです。何で自分だけが、と思うはずです。だから、人生は修行なのでしょう。つらいことですが、この「苦悩する力」こそ、生命の救済です。そして、その先に人生の喜びがあるはずです。
クヨクヨする人の妙薬
令和8年5月25日
中医学(漢方)では、クヨクヨする人は「血虚」の症状と診断します。いわゆる血液が不足し、脳や神経に十分な栄養が届かなくなって自律神経が乱れ、クヨクヨとした思い悩みが増えるという意味です。
そのような方に、私は妙薬としてナツメをおすすめいたします。ナツメは「大棗」と呼ばれる生薬ですが、いわゆる食品として簡単に買うことができます。日本料理にはあまり使われませんが、韓国のサムゲタンや中国のフォゴー(火鍋)、またお粥にもよく使われます。ミネラルが豊富で、滋養強壮や精神安定、鎮痛や利尿への効能があり、クヨクヨする人には最良の妙薬としか言いようがありません。
また、真言密教では「星祭り」の仙果として、必ず供えます(写真)。星の神様が喜ぶ゛〝仙人のお菓子〟ですから、その効能は充分に納得されましょう。もちろん、お大師様にもお供えしています。

ただし、よく洗ってください。私は洗って乾かした後、ビンに詰めて身近に置き、おやつとしていただいています。中国には「一日にナツメを3個食べると不老長寿を得る」との伝承があり、私は熱心な信者になりました。一説には、花粉症の妙薬とも。ぜひ、お試しあれ。
最高の声出し健康法
令和8年5月23日
声の大きい人は健康で元気です。まわりの人を見てください。まず、間違いありません。反対に声の小さい人は、何か気弱で元気がありません。これも間違いありません。
そもそも、人は生まれたその瞬間から、声を出すことで自分の存在を主張するのです。だから、泣き声の大きい赤ちゃんほど、その元気を証明しています。赤ちゃんの「泣き相撲」も、「なるほど!」と思いませんか。
そこで、進んで声を出すのが「声出し健康法」で、一番人気はカラオケです。お医者さんもすすめますが、肺の悪い人や元気のない人は、若いころの曲を思いっきり歌ってみるとよいでしょう。初期の肺がんが消えた実例があるくらいです。コーラスや詩吟などもおすすめです。野球やサッカーで歓声をあげる人はハツラツとしており、長寿者がプロレス番組に気勢を上げるのも、これみな声が関与しています。
しかし、私が最もおすすめする声出し健康法は、何といっても「読経」です。なぜなら、読経は健康法に加えて〝功徳〟になるからです。自分のためにとどまらず、親のため、先祖のため、国のためになるからです。これほどの健康法がほかにあるはずがありません。
当山では『あさか大師勤行式』(写真)を刊行し、お護摩や総回向法要の折には全員で、大きな声で読経しています。それこそ、老いも若きも、子供までもです。覚えようとする必要はありません。初めはむずかしいと思っても、繰り返しているうちに自然に覚えます。

ちなみに、生まれる前からお腹の中で読経を聞いて育った子は、特に元気で聡明です。これはもちろん読経の功徳をいただいたからで、両親のDNAに仏様の智慧が加わるからです。また太鼓やホラ貝の響きが、勇気を与えます。私は妊娠中の女性には、進んでお参りするようお話をしています。
読経は最高の声出し健康法です。これで先祖供養をなし、願いごとが叶い、お香で心を癒し、四季の花を愛で、法話が聞けるのですから、お寺ほどよいところはありません。さらに温泉があればこの世の極楽ですが、いかがでしょうか。
*『あさか大師勤行式』(2000円)をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。振込用紙を同封して郵送いたします。
摩利支天の団扇
令和8年5月21日
孔雀明王に続いて、摩利支天(写真は大正蔵図像の一図。このほかイノシシに乗る猪突猛進の姿もあります)の伝授をいたしました。摩利支天は陽炎の神格とされ、その実体がなく、姿を見られず、傷つけられぬことから「隠形の神」や「戦場の守護神」とされています。
したがって、戦国時代から江戸時代にかけては楠木正成や徳川家康など、名だたる武将から絶大な信仰を集めたことは言うまでもありません。経典にも、髷や兜に摩利支天像を入れると強いご守護を得ることが明記され、実行していた武将もおります。

この摩利支天が持っている団扇には卍と日輪が描かれ、仏(大日如来)の化身として勝敗の判定をします。相撲の行司が持っている軍配も同じ意味です。いわゆる制限時間いっぱいになると「軍配を返して」勝負を判定するということです。摩利支天が相撲の中に息づいている事実は、いかに根強い信仰があったかの証明でしょう。
ちなみに、私は子供の頃から、相撲の行司が観客に向かって何を言っているのか、とても気になっていました。「かたや」は「片方は」、「こなた」は「こちらは」です。「はっけようい」は「発気揚々」または「発気用意」です。「気合を入れて全力で勝負せよ」という意味でありましょう。
ところが、結びの一番の立行司の口上が、長い間わかりませんでした。2001年に刊行された齋藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』(草思社)を手にして、初めて知ったのです。すなわち、「番数も取り進みましたるところ、かたや〇〇の山、〇〇の山。こなた△△の海、△△の海。この相撲一番にて、本日の打ち止め~」となり、15日目の結びの一番のみ「千秋楽にございます」と、丹田からしぼり出すように唱えるのです。行司もまた、全身全霊で発気します。
相撲は日本の国技であり、これを放送するNHKはこうした伝統ある日本語を、わかりやすく国民に伝える義務があります。このほか行司の修練や呼び出しの日常、番付を書く勘亭流書体の筆技など、番組の間に紹介すれば、視聴率はさらに上がりましょう。明らかな怠慢です。皆様はどのように思われましょうか。
摩利支天のお話が、あらぬ脱線をしてしまいました。お許しを。

