山路天酬法話ブログ

続・盂蘭盆会法要の前行

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先祖供養

令和8年6月29日

 

私は毎朝、光明真言による先祖供養を勤修しています(写真)。これは単なる読経ではなく、お大師さまより相承した真言密教の行法を修するということです。特に今は、盂蘭盆法要の前行として、特別供養の塔婆を浄書し、開眼してご回向を重ねています。

 

真言密教の導師は仏様をお迎えして結界し、供養をなし、その功徳を先祖に回向します。ただし、あさか大師ではご自分のルーツである父母両家にアプローチしますので、「人生を変える先祖供養」と呼ばれるようになりました。しかも、全国の弟子僧がネットワークを組んで、光明真言の念誦に勤めています。その数はすでに300万遍を超えています。

また、盂蘭盆会法要は施餓鬼法せがきほうも合わせて修します。その真言を列席者と共にお唱えし、餓鬼界の人々を救います。現代人は貪欲な人が多く、生きているうちからほどこすことの大切さを学ばねばなりません。私は毎晩、施餓鬼法を修していますが、僧侶は布施を受ける身でありますから、特に自戒を込めています。施すことは修行でもありますが、施すこと自体に喜びを感じることはさらに大切です。得ることは喜びですが、施すことはさらに喜びであると仏教は教えています。

 

*あさか大師での先祖供養をご希望の方は、筆者のこれまでのブログをご覧いただき、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。

 

盂蘭盆会法要の前行

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先祖供養

令和8年6月27日

 

あさか大師では7月4日(土)・5日(日)午後1時から盂蘭盆会うらぼんえ法要を勤修するため、私はいまその前行に入っています。この盂蘭盆会法要では毎月の先祖供養に加えて、多くの皆様が特別供養の塔婆をお申込みになります(写真)。私は形式的な法要に留まることなく、光明真言の功徳が遍満するよう努力を重ねておりますので、その姿を見て納得なさるのだと思います。

私たちが先祖供養に関心を持ち、また先祖供養のことが気になるのは、仏様がご先祖を通じて導いてくださるからです。特に霊的な感応がなくとも、「何かをしなければ」と思うのはその証明です。親や祖父母が短命であるとか、変死者がいるとか、重病者が多いといった姿を通じて、「何かをしなければ」と思うからです。

ただ、気軽に相談ができるお寺は、そうたくさんはありません。なんとなく敷居しきいが高いのも事実でしょう。かといって霊能者(?)のもとを訪ねれば、かえって恐怖をあおられ、高い祈祷料を要求されることもあります。よく「因縁が悪い!」といいますが、どんな人もタテには先祖から、ヨコには前世からの因縁があります。つまり、宿業しゅくごう(カルマ)であり、苦しみの原因です。

仏様はむしろ、この苦しみを生かしなさいと教えているのです。苦しみがあるから、「何とかしなければ」と思うよう導いてくださるのです。因縁があるなら、因縁によって救われなさいと教えてくださっているのです。どんな人も等しく救われなければ、この世に生れた意味がありません。因縁で恐怖をあおるのなど、言語道断です。決して正しい仏教ではありません。

先祖供養は因縁を超える重要な手立てです。盂蘭盆会を迎えるにあたっては、よりよいお寺にご縁をいただき、実りある法要をなさってください。

 

*あさか大師では7月に盂蘭盆会法要をなし、8月は帰省や墓参のためにと考えています。盂蘭盆会法要の後には、施餓鬼作法も合わせて実修しています。

*盂蘭盆会法要の特別供養をご希望の方は、ホームページも「お問合わせ」からご連絡ください。直系の「〇〇家先祖代々」のほか、叔父叔母といった傍系をも含む「〇〇家先亡」のいずれかでお申込みください。お塔婆一体5000円です。納入につきましては郵便振替用紙をご送付いたします。

*このほか、毎月の「人生を変える先祖供養」(一ヶ月2000円)もございます。お問合わせください。

 

 

仏教の極意とは

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仏教

令和8年6月24日

 

私は毎日の深夜10時頃、外に出て施餓鬼法せがきほうを修しています。これは20代で真言宗僧侶になった折、師僧からきびしく訓示されたためです。夕食のご飯(雑穀米)を別の器に取り置き、時間になったら味噌汁(粕汁)をかけ、外に出てお作法をしています(写真)。

私が師僧から訓示されたことは、真言宗僧侶は毎日この施餓鬼法を心がけることと、施餓鬼法においては何の利益りやくも求めないことの二点でありました。この「何も求めない」という訓示が大切です。求めないことで、かえって大きな功徳を生むからです。

私が知るかぎり、この施餓鬼法を修している僧侶は、生活していけるだけの衣食が、必ず与えられます。檀信徒が少なくとも、お寺を維持していくことができています。それは、餓鬼界の亡者が必要な衣食を届けてくれるからです。求めることは大切ですが、それに固執すると我欲ばかり先行して、世間からも人からも嫌われます。

金運宝珠護摩でもよくお話をするのですが、お金を儲けようとしてお金を追いかける人には、実はお金が入りません。むしろ、どうしたら人が喜んでくれるかを考える人は、自分も人から喜ばれ、いつの間にかお金が入ります。世間の人に喜ばれるのも、餓鬼界の亡者に喜ばれるのも同じことです。

与えねば与えられませんが、与えることに固執していては、決して与えられません。ただ、与えることそのものに喜びを感じる時、人はすべてが与えられるのです。これが仏教の極意です。

続・「所得」とは「所徳」なのです

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金運

令和8年6月21日

 

あさか大師では本日午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修しました。梅雨多湿の中、大勢の皆様が参列し(写真)、遠方の皆様は同時祈念に臨みました。

お護摩に先立ち、このブログと同じ「所徳」についてお話をしました。どのような職業であれ、主婦であれ、高齢者であれ、子供であれ、好かれることほど役立つ才能はありません。そして、好かれるとは、徳があるということです。徳とは人として誠実であること、親切であること、やさしいこと、ウソをつかぬこと、約束を守ることです。人とは結局、ここに行き着くのです。そして、開運も金運も、すべてはここに行き着くのです。

私は経営能力が高いわけでも、もちろん富豪でもありません。それでも、金運宝珠護摩を続ける理由は、真理とは一つであるという自信があるからです。この真理を知るものは、必ず報われます。そして、生きてきてよかったと思うものです。皆様の金運増大が叶いますように。

「所得」とは「所徳」なのです

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金運

令和8年6月19日

 

あさか大師では6月21日(日)午前11時半より、「金運宝珠護摩」を奉修します。お参りの皆様は如意宝珠のパワーを直接いただき、金運銭(写真)を持ち帰って成就を目ざしましょう。遠方の皆様は同時祈念によって、お護摩との感応道交をはかりましょう。

私は「所得」とは、「所徳」であると思っています。なぜなら、所得が増えるためには、より多くのものを世の中に与えねばなりません。自分の持つ能力の何かを与えねば、所得にはならないからです。しかし、どんなに能力があっても、その能力が認められねば所得にはなりません。世の中には立派な能力を持ちながら、それを生かせず、不運な人がたくさんいます。

その理由は何かといいますと、人に認められる〈徳〉が足りないからです。能力は認めさせる力ですが、徳は認められる力です。この能力と徳とがかみ合ったとき、人は所得を増やすことができるのです。だから、所得とは実は「所徳」なのです。

徳とは認められる力ですが、それは〝好かれる力〟ともいえましょう。好かれることは、人生において最も役立つ才能です。家族にも、友人にも、お客にも、動物にも、植物にも、そしてあの世の人にも好かれることです。ここまで好かれれば、所得は望まずとも増えていきます。所得が増えるためには、「所徳」を増やすことです。「所徳」こそは金運の秘訣なのです。

観音様の化現

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信仰

令和8年6月16日

 

あさか大師の本堂には、お護摩の写真が一枚だけ飾られています。数年前にたまたま撮影したお護摩の浄炎が、観音様の姿となって化現したからです(下写真)。私はお護摩の中にお不動様や龍神様の姿が現れた写真をたくさん見てきましたが、これほどリアルに撮影されたことは初めてでした。

もちろん、これは「偶然」の産物です。しかし、偶然でもこれほどハッキリと観音様が現れることは、まずあり得ません。つまり、偶然の中に必然的な仏縁があったということです。意図的に撮影しようと思っても、叶うことはありません。むしろ、そのような意図をもってカメラを向けると、まったく逆の結果になることは経験上わかっています。

私はこのような写真が撮影された場合、素直に感謝して大切にすべきだと思っています。なぜなら、偶然でもありがたいからです。信仰とはそのようなものではないでしょうか。理屈よりも、現実に撮影された事実を憶念することです。

この写真をお参りしたい方は、ぜひお越しください。毎日のお護摩によって、輝きがさらに強まったように思います。ただし、撮影はお断りしますので、ご了承ください。

「湿邪」を乗り越える

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健康

令和8年6月14日

 

梅雨どきは体のだるさや足腰の不調、食欲不振に悩む方が多いはずです。中医学(漢方)では梅雨の湿気を「湿邪しつじゃ」と呼び、(胃腸)の働きが弱ると教えています。また、湿気の多さは水分の代謝が衰え、いわゆる「水毒」の症状も招きやすい時節です。

水毒は体温を下げるので、これが万病のもととなります。湿邪を乗り越えるには、とにかく水毒にならぬよう、冷たいものをなるべく避け、体を温める発酵食品や根菜類を多くとることです。また、シャワーだけで済ませず、お風呂に入って体温や代謝を上げましょう。

私の健康法は、読経による発声と水平足ふみ、そして熱い粕汁かすじる(写真・2025・8・12ブログ「人生の粕汁」参照)です。

この粕汁はだしをとり、ゴボウ・ニンジン・ダイコン・シイタケ・コンニャク・油揚げ・豆腐の七種類を炒めて煮込み、味噌と酒粕と秘伝の〇〇〇で仕上げます。日本の発酵食品を代表する味噌は、海外でも高い評価を受けていますが、まだまだ酒粕の素晴らしさが普及せず、とても残念です。秋田大学の研究により、その効能が発表されていますので検索してみてください。

この粕汁に特製の七味唐がらしをかけ、雑穀ご飯に黒ゴマかければ、惣菜はそれほどいりません。もちろん精進料理でもありますので、先祖供養のお供えやお施餓鬼せがきにも用いています。寺に住んでよかったと思うことはたくさんありますが、粕汁に出会えたこともその一つです。アミノ酸が豊富で、健康のためにはもちろん、美容にも最適です。洗顔の後で酒粕パックをすると、スベスベになります。酒粕の化粧品が醸造元からたくさん出ていますので、これも検索してみてください。私がいつもイキイキと、ツヤツヤとしている理由がお分かりいただけるはずです。

湿邪のお話が、また脱線してしまいました。粕汁のこととなると、いつもこうです。お許しを。

もののふるなり

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自然

令和8年6月12日

 

梅雨の時節、紫陽花あじさいほど似合う花はありません。うっとうしい気分も、この色彩には癒されます。立ち姿もかがんだ姿も、野山でも庭内でも、共にいいものです。

昭和の詩人・三好達治の代表作に「乳母車」があり、私は高校生の頃によく声に出して読んでいました。

 

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花いろのもののふるなり

はてしなき並樹なみきのかげを

そうそうと風のふくなり

 

「もののふるなり」とは、淡くて切ない慕情が雨のようにしとしとと降りそそぐという意味です。ただ、このような言葉の解釈だけではすまされない、語感の深奥が感じられてなりません。淡い色彩が刻一刻と微妙に変ずる姿は、あやしいほどに迫るからです。

紫陽花の「陽」は光であり、おりおりの輝きです。「ふる」は降るであり、美の降臨です。光の中で花の精が色となり、音となってこの地上に化現したのです。さらさらと発するその刹那せつな、人は歩み止めて目をうばわれましょう。

一枝を古器に移し、本堂に飾りました。悲しみが昇華し、諸仏が歓喜し、比丘比丘尼びくびくにが讃え、善男善女みな微笑むばかりです。「もののふるなり」と。

続・仏様との感応

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未分類

令和8年6月10日

 

真言密教ではお導師が修法を始めるにあたって、お不動様(写真)の真言を唱えつつ「弁供べんぐ」という作法をします。これは法具がきちんと配置されているかを確認する作法なのですが、もちろん前もって準備をしているのですから、確認するまでもありません。しかし、だれが準備をしたにしても、お不動様がお導師に代わって準備をしてくださったという観念に立つことが大事なのです。お不動様は常に、奴僕ぬぼくとなって働いてくださるご誓願せいがんをお持ちなので、すべてはお不動様のおかげで準備が整ったのだという感謝の気持ちがなければなりません。

このことは祈願をするにも、回向をするにも、きわめて大切な心がけです。この心がけがないかぎり、仏様との感応は成就しません。祈願をするにも、回向をするにも、それは仏様の導きによってなされるということを忘れてはならないからです。読経をするのも、私たちが仏様の声をお借りするからできるのです。

先祖供養も同じです。私たちが先祖供養に関心を持つのは、仏様が先祖の姿を通じて導いてくださるからです。このことを忘れては、どんな知識も、どんな作法も、信仰の本質とは何の関係もありません。私たちが祈ることができるのは、実は仏様が祈ってくださるからです。この真実を得心した時、仏様との感応が成就するからです。

 

*筆者の提唱する先祖供養に関心のある方は、前回・前々回のブログをご覧のうえ、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。

仏様との感応

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先祖供養

令和8年6月7日

 

あさか大師では先祖供養の行事として、月に3回の総回向法要を勤修しています。昨日と本日、大勢の皆様が集まり、法要に参加しました(写真)。また遠方の皆様には、同時祈念していただくことをおすすめしています。

前回お話をしましたが、先祖供養はプロのお導師と共に修することが大切です。特に真言密教のお導師は、仏様を勧請かんじょうして直接に回向をする秘法を心得ています。人が祈るのではなく、仏様が人のために祈ってくださるという観念に立たなくては、本当の先祖供養はできません。

もう一つ大切なことは、母方の供養を忘れてはならないことです。ほとんどの方々が、父方には熱心なのですが、母方を重んじません。これはすぐれた文化を持つ日本にしては、とても残念な風習です。特に男性は母方の血を引く方が多いので、私は「母系供養」として大切にしています。自然の道理から見ても、男女陰陽の関係は、遺伝的にも納得するのではないでしょうか。

あさか大師ではお導師の修法と共に、ご信徒の皆様もいっしょに読経し、真言をお唱えします。その波動が一致した時、お灯明がゆらぎ、お塔婆からは後光が射します。お近くの方は、ぜひ見学にお越しください。仏様との感応を、ご自身で実感するはずです。「人生を変える先祖供養」を共に歩みましょう。

*この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。供養料は父母両家を合わせて、1ケ月2000円です。勧誘はいたしません。遠方の皆様には郵送します。全国からたくさんの皆様が参加しています。ご連絡をお待ちしています。

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