山路天酬法話ブログ
お塔婆を開眼すると何がおこるか
令和7年9月15日
あさか大師では9月23日(秋分の日)午後1時より「秋彼岸会法要」を勤修いたします。そこで私は、毎朝のご回向で前行に入りました。お塔婆を浄書し、祖霊壇に奉安し、開眼して光明真言の秘法を修しています(写真)。
よくお話をするのですが、お塔婆も開眼しなければ、単なる木材に過ぎません。しかし、これを浄書し、開眼すると、オーラが湧出します。ウソではありません。お塔婆の先端から7~8ミリほどの薄い膜のようなものが見えてきます。これは魂が入った証拠で、お塔婆が生きものになったという意味なのです。
もちろん、毎日くり返し光明真言を唱え、秘法を修さなければ、こんな現象はおこりません。お大師様がおっしゃるように、「真言は不思議なり」なのです。お参りする皆様は、こんなことも楽しみの一つになっています。
なお、あさか大師ではお塔婆による供養を「特別供養」と呼び、一体5000円で受付けています。このブログをご覧になった方で、彼岸供養をご希望の方は「お問合わせ」からご送信ください。父母の先祖代々でも、個人名(俗名)でもけっこうです。後から郵便振替用紙をお送りいたします。全国どこからでもお申し込みください。
続々・「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月11日
私たちは自分の人生は自分で考え、自分で判断し、自分で歩んでいると思っています。しかし、本当にそうでしょうか。
人生には思うようにいかないことがたくさんあります。また、思ってもみないことがたくさんあります。気をつけていても、事故をおこすことがあります。反対に、事故に巻き込まれることもあります。
それは自分の考えや判断を超えた何かがあるからです。それは眼には見えず、耳には聞こえずとも魂が感じるからです。
この世を「現世」といいます。あの世の「うつし」です。なぜなら、この世とあの世は一つだからです。私たちは、この世とあの世を共に生きているのです。そのように感じるのは、この地球上に人間しかいません。だから、「万物の霊長」というのです。霊を感じる自然界の長者という意味です。
あさか大師では先祖代々(直系)・叔父叔母(傍系)・水子を共に供養できる先祖供養をおすすめしています(写真)。
先祖代々は皆様の体に流れる血系です。叔父叔母は血系ではありませんが、あの世に往っても関わります。また、どの家にも水子がいます。「人生を変える先祖供養」にはこの合体が必要です。
供養料は一ケ月2000円です。入退は自由で、遠方の方には郵送します。大切な人生のため、投資をしてください。ホームページ「お問合わせ」からのご連絡をお待ちしております。
続・「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月9日
あさか大師の先祖供養は、お導師と皆様の祈りを融合させることに特徴があります。
私は毎朝、光明真言法という真言密教の秘法を修します。そして、私の祈りが感応するよう、ご自宅に供養紙(お札)をお祀りいただいています。そして、月ごとに皆様の功徳をお大師様にお供えします。こうして、相互の祈りを融合させることにより、絶大なパワーが発揮されるのです。
しかも、それだけではありません。全国の弟子僧もまた光明真言マンダラへの念誦を実修し、強力なネットワークを組んでいます(写真)。その念誦数はすでに200万遍を超え、間もなく300万遍に達しようとしています。
これほどの配慮をして先祖供養を実修しているお寺はありません。だから「人生を変える先祖供養」と呼ばれるのです。しかも供養料は、父母の両家を供養して、月に2000円です。一日にして66円ほどの人生への投資です。
自分の人生を大切にする人は、他人の人生も大切にします。どうか、自分の人生を大切にしてください。霊妙なパワーを得ることができるのは、「万物の霊長」たる私たちだけなのです。むずかしい作法は何もありません。全国から多くの皆様が参加し、遠方の方には郵送します。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月7日
昨日と本日、あさか大師では総回向法要(先祖供養)を勤修しました。
ご参加の皆様はご先祖と融合して、新しい人生を目ざしたいと考えています。なぜなら、自分の人生は単に自分ひとりのものではなく、多くのご先祖と共有するものであることを実感しているからです。堂内では僧侶と共に真剣に読経し、仏の浄土を味わっています(写真)。
人間をして「万物の霊長」といいます。なぜなら、この自然界の中で、人間だけが唯一の霊的存在であるからです。霊を感じ、霊に感謝し、霊を祀り、霊と共に生きる長者という意味だからです。だからこそ、先祖供養は人間の英知であるといえるのです。
今日、墓じまいや檀家離れが進んでいます。では、お寺や先祖供養に関心がないのかといいますと、決してこんなことはありません。奈良や京都や高野山に多くの人々が集まるのは、先祖の魂が霊妙な仏の浄土を求めているからです。類は類を呼ぶからです。そうでなければ、高価な交通費や宿泊代を払って、わざわざ出向くはずがありません。
あさか大師では菩提寺がなくとも、檀家にならずとも、入退が自由な「人生を変える先祖供養」をおすすめしています。一ケ月2000円で毎日、真言密教の秘法を受けることができます。人生へのわずかな投資で、新しい人生を目ざしてください。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
9月の伝道法語
令和7年9月3日
9月の伝道法語です。
若い頃、ある山奥の断食道場にこもりました。そこでは毎朝、全員で『般若心経』を読誦し、この「幸福の三原則」を大きな声で唱えていたのです。あれから40年以上も立ちましたが、この三原則はいまだに忘れ得ません。
多くの師や書物に学ぶことも大切でしょう。しかし、人生で最も大切な教えとは、このように簡素な言葉になるのではないでしょうか。なぜなら、三才の子供に言い得ても、八十の老人にして容易には行い難いからです。これが日常に行い得るならば、私たちの人生は、違ったものになるはずです。
腹を立て、悪口を言うは常のことですが、それによって失うものはあっても、得るものは何もありません。幸福とはただひとつ、それは「感謝」によって生まれるからです。
言い得て行い難いは仏教も同じですが、だからこそ、行い得ようと努力するところに人間らしさがあるのではないでしょうか。人生はいつも修行であるからです。
9月の強運者
令和7年9月2日
9月7日~10月7日までが暦法での9月となります。西北が五黄殺、東南が暗剣殺、東が月破となります(写真・下が北となり、一般の地図とは逆になります)。
9月の強運者は一位が五黄土星、二位が三碧木星、三位が二黒土星です。
五黄の人はこれまでの努力が実を結び、成果を得ることができます。特に目上運の月なので、上司や先輩の援助がカギとなりましょう。自分の意見を押し通すのではなく、あくまで協力を求め、持ち前の実力を発揮してください。
三碧の人は身辺の問題を解決するチャンスとなります。ただし暗剣殺が付きますので、冷静で慎重な判断が大切です。急がば回れ、短気は損気と心得ましょう。特に、暴言や口論は絶対に避けねばなりません。
二黒の人は新しい開運へのスタートを迎えました。強引な判断よりは、身辺を慎重に見すえ、油断なく進みましょう。苦労は後々に報われると考えて、対人関係を築くことです。
そのほかの人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。占いに使われるのではなく、占いを上手に使うことです。衰運の人は開運への準備(根回し)と思いましょう。開運を迎えて準備をしても、間に合いません。むしろ、開運へのチャンスなのです。
密教私塾
令和7年8月30日
あさか大師に多くの皆様がお参りにいらっしゃいますが、そのほか、僧侶の方々が受法(勉強)にもいらっしゃいます。私は「密教私塾」を開いておりますので、各派の皆様がお集りになります。本日は修験道の伝授で、遠くは北海道や九州からもわざわざお越しになりました(写真)。
真言密教は書物だけでは修学できません。お大師様は若き日に修験者となって悟りを得ましたが、さらに行法を求めて長安(中国)へ渡り、青龍寺の恵果和尚よりその伝灯を相承しました。つまり、直接に面授(面会しての受法)をしないかぎり、習得はできないということです。そして、その行法の伝授をする方を阿闍梨といいます。
今日、伝灯の伝授をする阿闍梨が少なくなりました。私は求法の要望に応じ、阿闍梨としてこの密教私塾を続けるつもりです。それがお大師様や歴代祖師に対する報恩謝徳であると考えています。聖教の行法なら、どのような伝授もいたします。熱意ある僧侶の皆様は、ぜひご連絡ください。
スジャータは何を捧げたのか
令和7年8月27日
お釈迦さまは悟りを開くまで、6年間もの苦行を続けました。そして、肉体は骨と皮ばかりの極限に達しました。それを見た村娘のスジャータはこれを哀れみ、持参していた乳粥を捧げました。
お釈迦さまはたちまちに体力を回復し、ネーランジャラー河で沐浴し、菩提樹下に坐して瞑想し、ついに悟りを開きました。したがって、このスジャータの功徳は、はかり知れないものがあるといえましょう。
ところで、このスジャータが捧げた乳粥とは、どんな食べ物だったのでしょうか。これを解説してヨーグルトとしている学者さんもおりますが、これは違います。
インドにはお米に牛乳とハチミツを加え、これを煮つめた「キール」というお粥があり、よくお祝いの食卓に並びます。現代ではさらにナッツ類やレーズンを加え、デザートとしても喜ばれています(写真)。
残念ながら、日本のインド料理店のメニューには入っていませんので、自分で作ってみるとよいでしょう。2500年前、偉大な聖者を生み出した逸品です。
ちなみに、私は何度も断食修行をしましたが、あまりに体力を消耗した折は、ハチミツをスプーン一杯いただきました。また、終了の折はお粥から補食をしますが、たちまちに体力が回復したものです。だから、スジャータの乳粥がいかに栄養に富んでいたかは、充分に理解しています。
また、日本ではご飯を「舎利(仏さまの真骨)」と呼ぶのも、あながち偶然とは思えません。必要な人には、必要なものが縁るからです。
人生70パーセント主義
令和7年8月24日
故・斎藤茂太さんは精神科医として斎藤病院の院長を務めるほか、ユーモアあふれる著作家としても活躍しました。私が特に愛読したのは『人生80%主義』という著書です(写真)。
この著書で斎藤さんが主張していることは、精神的なトラブルのほとんどは完全主義から来るから、これを80パーセントほどに水準を引き下げるべきだということでした。
もちろん、完璧を求めることは重要です。しかし、うつ病などの症状にを抱える人は、みなまじめで責任感が強く、100パーセント成し遂げようとする傾向が強いことは間違いありません。
だから、その目標を80パーセントほどにすれば、精神的なストレスはかなり緩和するはずです。人生もまたハンドルのように、少し〝遊び〟がなければ、心の舵取りはできません。
しかし、私はさらに水準を下げ、70パーセントほどにしたらよいのではないかと考えています。自分が望んだこと、実行したことの70パーセントも達成されれば充分です。私もかつては完全主義の性格がありましたが、そのように考えるようになって、本当に楽になりました。
これはもちろん、妥協ではありません。目標に向かっては全力で当たり、自分の力を出し切ることが大切です。しかし、失敗しても、悔いが残っても、引きずってはなりません。次のチャンスに託して、発想を切り替えましょうということです。
万病に効く「水平足踏み」
令和7年8月21日
私は毎日、大きな声で読経し、法螺貝を吹き、太鼓をたたいてお護摩を修します。したがって、私にとっては、仕事そのものが健康法であるといえましょう。
そのほか、毎朝欠かさず実行している健康法に、故・加藤治秀医師が考案した「水平足踏み」があります。これはくり返す足踏みの太ももを水平に上げるだけの単純なものです。しかし、考案者の著書に「万病に効く」(写真)とあるだけに、その効果は絶大です。また、瀬戸内寂聴尼が実行していたことでも知られています。
ウォーキングもよいのですが、真夏の炎天下や雨天の日には、実行しにくいものです。その点、この水平足踏みは天気に左右されず、器具もいらず、場所も取らず、費用もかからず、わずか3分で終了します(タイマーか砂時計を使用)。
始めての人は、けっこう「キツイな!」と思うかも知れません。しかし、慣れてくれば階段など、楽に昇れる自分に気づくはずです。太ももを水平にまで上げるには、自然と背筋が伸びますし、腕の運動にも、呼吸法にもなります。
ぜひ実行してみてください。何をやっても続かないという人にこそ、むしろお勧めです。