山路天酬法話ブログ

「湿邪」を乗り越える

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健康

令和8年6月14日

 

梅雨どきは体のだるさや足腰の不調、食欲不振に悩む方が多いはずです。中医学(漢方)では梅雨の湿気を「湿邪しつじゃ」と呼び、(胃腸)の働きが弱ると教えています。また、湿気の多さは水分の代謝が衰え、いわゆる「水毒」の症状も招きやすい時節です。

水毒は体温を下げるので、これが万病のもととなります。湿邪を乗り越えるには、とにかく水毒にならぬよう、冷たいものをなるべく避け、体を温める発酵食品や根菜類を多くとることです。また、シャワーだけで済ませず、お風呂に入って体温や代謝を上げましょう。

私の健康法は、読経による発声と水平足ふみ、そして熱い粕汁かすじる(写真・2025・8・12ブログ「人生の粕汁」参照)です。

この粕汁はだしをとり、ゴボウ・ニンジン・ダイコン・シイタケ・コンニャク・油揚げ・豆腐の七種類を炒めて煮込み、味噌と酒粕と秘伝の〇〇〇で仕上げます。日本の発酵食品を代表する味噌は、海外でも高い評価を受けていますが、まだまだ酒粕の素晴らしさが普及せず、とても残念です。秋田大学の研究により、その効能が発表されていますので検索してみてください。

この粕汁に特製の七味唐がらしをかけ、雑穀ご飯に黒ゴマかければ、惣菜はそれほどいりません。もちろん精進料理でもありますので、先祖供養のお供えやお施餓鬼せがきにも用いています。寺に住んでよかったと思うことはたくさんありますが、粕汁に出会えたこともその一つです。アミノ酸が豊富で、健康のためにはもちろん、美容にも最適です。洗顔の後で酒粕パックをすると、スベスベになります。酒粕の化粧品が醸造元からたくさん出ていますので、これも検索してみてください。私がいつもイキイキと、ツヤツヤとしている理由がお分かりいただけるはずです。

湿邪のお話が、また脱線してしまいました。粕汁のこととなると、いつもこうです。お許しを。

もののふるなり

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自然

令和8年6月12日

 

梅雨の時節、紫陽花あじさいほど似合う花はありません。うっとうしい気分も、この色彩には癒されます。立ち姿もかがんだ姿も、野山でも庭内でも、共にいいものです。

昭和の詩人・三好達治の代表作に「乳母車」があり、私は高校生の頃によく声に出して読んでいました。

 

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花いろのもののふるなり

はてしなき並樹なみきのかげを

そうそうと風のふくなり

 

「もののふるなり」とは、淡くて切ない慕情が雨のようにしとしとと降りそそぐという意味です。ただ、このような言葉の解釈だけではすまされない、語感の深奥が感じられてなりません。淡い色彩が刻一刻と微妙に変ずる姿は、あやしいほどに迫るからです。

紫陽花の「陽」は光であり、おりおりの輝きです。「ふる」は降るであり、美の降臨です。光の中で花の精が色となり、音となってこの地上に化現したのです。さらさらと発するその刹那せつな、人は歩み止めて目をうばわれましょう。

一枝を古器に移し、本堂に飾りました。悲しみが昇華し、諸仏が歓喜し、比丘比丘尼びくびくにが讃え、善男善女みな微笑むばかりです。「もののふるなり」と。

続・仏様との感応

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令和8年6月10日

 

真言密教ではお導師が修法を始めるにあたって、お不動様(写真)の真言を唱えつつ「弁供べんぐ」という作法をします。これは法具がきちんと配置されているかを確認する作法なのですが、もちろん前もって準備をしているのですから、確認するまでもありません。しかし、だれが準備をしたにしても、お不動様がお導師に代わって準備をしてくださったという観念に立つことが大事なのです。お不動様は常に、奴僕ぬぼくとなって働いてくださるご誓願せいがんをお持ちなので、すべてはお不動様のおかげで準備が整ったのだという感謝の気持ちがなければなりません。

このことは祈願をするにも、回向をするにも、きわめて大切な心がけです。この心がけがないかぎり、仏様との感応は成就しません。祈願をするにも、回向をするにも、それは仏様の導きによってなされるということを忘れてはならないからです。読経をするのも、私たちが仏様の声をお借りするからできるのです。

先祖供養も同じです。私たちが先祖供養に関心を持つのは、仏様が先祖の姿を通じて導いてくださるからです。このことを忘れては、どんな知識も、どんな作法も、信仰の本質とは何の関係もありません。私たちが祈ることができるのは、実は仏様が祈ってくださるからです。この真実を得心した時、仏様との感応が成就するからです。

 

*筆者の提唱する先祖供養に関心のある方は、前回・前々回のブログをご覧のうえ、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。

仏様との感応

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先祖供養

令和8年6月7日

 

あさか大師では先祖供養の行事として、月に3回の総回向法要を勤修しています。昨日と本日、大勢の皆様が集まり、法要に参加しました(写真)。また遠方の皆様には、同時祈念していただくことをおすすめしています。

前回お話をしましたが、先祖供養はプロのお導師と共に修することが大切です。特に真言密教のお導師は、仏様を勧請かんじょうして直接に回向をする秘法を心得ています。人が祈るのではなく、仏様が人のために祈ってくださるという観念に立たなくては、本当の先祖供養はできません。

もう一つ大切なことは、母方の供養を忘れてはならないことです。ほとんどの方々が、父方には熱心なのですが、母方を重んじません。これはすぐれた文化を持つ日本にしては、とても残念な風習です。特に男性は母方の血を引く方が多いので、私は「母系供養」として大切にしています。自然の道理から見ても、男女陰陽の関係は、遺伝的にも納得するのではないでしょうか。

あさか大師ではお導師の修法と共に、ご信徒の皆様もいっしょに読経し、真言をお唱えします。その波動が一致した時、お灯明がゆらぎ、お塔婆からは後光が射します。お近くの方は、ぜひ見学にお越しください。仏様との感応を、ご自身で実感するはずです。「人生を変える先祖供養」を共に歩みましょう。

*この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。供養料は父母両家を合わせて、1ケ月2000円です。勧誘はいたしません。遠方の皆様には郵送します。全国からたくさんの皆様が参加しています。ご連絡をお待ちしています。

続・先祖供養の落とし穴

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未分類

令和8年6月5日

 

よく、「先祖にはいつも感謝しています」という方がおりますが、気持ちだけでは先祖供養になりません。具体的な行為がなければ、感謝にはならないからです。進んで先祖供養を目ざすなら、気持ちだけであってはならいないことをきもに銘じましょう。

また、苦しみや悩みを重ねると、よく霊能者(?)のもとを訪ねる人がいます。すると「先祖がたたっている」といわれ、高額な供養料を請求されるはずです。私のところにも、何百万円も支払ったという方がいらっしゃいました。欲心は必ず顔や姿に現れます。こういう方に先祖供養をお願いすると、その欲心が反映して、かえって苦しみや悩みが増えていきます。お導師とは闇を照らす光でなければなりません。光でない者が、あの世の闇を照らすことができるでしょうか。

また、人生の不幸はすべて、先祖の霊が悪いからだと主張する人もいます。自分の生き方を問うこともなく、何もかも霊的な原因で考えるから困るのです。先祖が子孫に影響を与えるのは事実ですが、自分の生き方がまた先祖に影響することも忘れてはなりません。子供が悪いことをすれば、親も悩むでしょう。追善があれば、「追悪ついあく」もあるのです。そして、先祖供養にはこうした落とし穴があるのです

先祖供養はまず、正統なお導師を選び、そのお導師と共に修することです。正統なお導師は、よく仏に仕え、人のために生きることを喜び、生活が清楚で、決して法外な供養料を要求することがありません。こうしたお導師は、向かいあっただけで心が安らぐはずです。そして、清浄で強い霊気が漂っているはずです。

あさか大師が提唱する先祖供養は皆様に供養紙(写真のお札)を渡し、お大師様(弘法大師)の光明真言法を勤修してその功徳を回向する様式です。いわば、私が放送局で、皆様が受信のテレビです。これを毎日続けています。そして、月ごとにその功徳を供えることで、「人生を変える先祖供養」となるのです。

また、全国の弟子僧がネットワークを組んで、光明真言の百万遍念誦ねんじゅも融合させています。ここまで先祖供養に配慮しているお寺はありません。皆様は簡単な祈りだけでよいのです。ただ、お大師様を信じていただければ、それだけでよいのです。それだけで、不思議なことがおこります。

*あさか大師の先祖供養をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。勧誘はしません。供養料は父母両家を合わせて、1ヶ月2000円です。遠方の皆様には郵送します。全国からたくさんの皆様がこの先祖供養に参加しています。

先祖供養の落とし穴

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先祖供養

令和8年6月4日

 

生きるとは、一日一日が死に向かうことです。人生の目的をあえて申し上げるなら、それは「どのような死を迎えるか」に尽きるのです。ところが、ほとんどの人が終活はしても、死について考えることがありません。そして、何ひとつ教えられることがありません。親からも学校からも、寺の住職からも教えられることがありません。これであの世に旅立つのですから、〝迷う〟のは当たり前です。

亡くなって四十九日間を、仏教では「中陰ちゅういん」といいます。この世とあの世の中間で、「幽界ゆうかい」ともいいます。あの世の「霊界れいかい」に向かう待合所です。この間は、肉体から脱した幽体として生活します。「のどが渇いた」「お腹がすいた」と言っても、生前のように飲むことや食べることから別次元の生活に慣れねばなりません。いわゆる「香りを食とする」と仏典『俱舎論くしゃろん』(写真)には説かれています。〈香り〉とは食事の香りでもありますが、遺族の想いが香りとなります。だから、お線香をお供えするのです。

皆様はいかがでしょうか。香りで満足する生活を、四十九日間で達成できますでしょうか。さらに重要なのは、生前のごう(カルマ)が深いと、その重さから霊界には往生おうじょうできないということです。悪事を重ねたり、強欲に生きた人ほど、重い業を背負っています。しかし、ここで救いとなるのが、遺族が善事をなして「追善ついぜん」をすることです。死者に変わって、遺族が善を追うのです。

これによって、死者の業は軽くなり、その功徳によって霊界に往生することができるのです。死者が往生しないと、幽体のままこの地上にとどまります。これが幽霊です。今の日本には、お葬式もされず、追善もされない幽霊がいかに増えているかがわかりますでしょうか。

この世はあの世の映しです。だから、「現世うつつよ」といいます。あの世の生活は必ず子孫に映し出されます。この世でうまくいかないことは、あの世でうまくいかない映しです。だから、先祖供養が大切なのです。ただし、先祖供養は自己流ではいけません。とんだ、落とし穴があるからです。次回、さらにお話をいたします。

*筆者の先祖供養に関心のある方は、ホームページのブログから検索してください。毎日、真言密教の「光明真言法」を修して皆様の先祖供養に励んでいます。

生きた仏になるためには

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信仰

令和8年6月3日

 

あさか大師の境内に「六地蔵」があり、参詣の皆様が手を合わせ、祈りを捧げています(写真)。特に隣接の老人ホームの皆様には、「安らぎのお地蔵さま」として親しまれています。

この六地蔵は以前、近くの道路わきに放置され、とても怖い顔をしていました。その後、縁あってあさか大師の境内に移し、お祀りして開眼法要をなし、皆様に拝まれるようになってから、このように柔和でやさしい顔に変わりました。

皆様は「仏だから拝む」と、当たり前のように思っているはずです。そうではありません。実は、「拝むから仏になる」のです。なぜなら、木像であれ石像であれ、それ自体は単なる物質です。それを開眼し、読経し、真言を唱え、多くの方々に拝まれることによって、はじめて魂が入り、生きた仏になるのです。つまり、仏は拝まれることによって、生き生きとした仏らしい仏に変わるということです。

逆に言えば、拝まれない仏は生気が乏しく、迫るものがありません。だから、お寺の本堂に入ると、住職がどのくらい拝んでいるかスグにわかります。心を清める本堂であるのに、何か重々しい暗い空気に包まれることがあるはずです。以前のこの六地蔵も拝まれることがなく、川でおぼれたり、交通事故で亡くなった霊に頼られていたのです。

よく拝まれている仏は、毎日の表情に微妙な変化があることがわかってきます。お供えがあったり、大勢のお参りがあると嬉しそうな顔をしますが、地震や災害のニュースががあると、悲しそうな顔をします。丸顔に見える日もあれば、面長に見える日もあります。もちろん、物質的な変化があるわけではありません。しかし、拝む人の立場に立つと、そのように見えるから不思議です。信仰とは物質現象を超えて、このような精神的、あるいは霊的な広がりをもたらすものです。この六地蔵が、その証明です。

6月の伝道法語

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人生

令和8年6月1日

 

6月の伝道標語です(写真)。境内の伝道掲示板にはって、皆様に読んでいただいています。

人は誰でも自分が認められることを望んでいます。だから、自分の話を対等に聞いてくれること、自分の能力や業績を正当に評価してくれることを望んでいます。そして、そのように接してくれる人に好意を持ちます。でも、そのような人にはなかなか出会えません。思うように認められることも少ないはずです。

そんな時、多くの人は愚痴を言って自分をなぐさめます。しかし、それによって自分への評価が上がるわけではありませんし、解決することは何もありません。むしろ、これを鏡として自分の心を写すなら、自分を向上させるチャンスとなるのではないでしょうか。相手に対しても、感謝が生まれるかも知れません。

「立ち向かう人の心は鏡なり おのが姿を写してや見ん」という道歌があります。愚痴で受けるか、感謝で受けるか、そこに生き方の分かれ目があります。

6月の強運者

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九星気学

令和8年5月29日

 

6月6日~7月6日までが、暦法での6月となります。四緑木星が中宮するので、西北が五黄殺、東南が暗剣殺、北が月破となり、注意する方位です(写真・北が下となり、一般の地図とは逆になります)。

6月の強運者は一位が五黄土星、二位が三碧木星、三位が八白土星です。

五黄の人は乾宮(金星)にあって自分(土星)が生じられるため、強運な月となります。目上運となりますので、上司や先輩への気配りが重要なポイントになりましょう。もちろん、部下の協力も欠かせません。謙虚に接して、信頼を得ることが大切です。

三碧の人は巽宮(木星)にあって、自分(木星)とは比和(兄弟)の関係になります。良好な運勢ですが、暗剣殺(凶神)が付くため、何ごとも慎重に進みましょう。特に口論・暴言は自戒が大切です。人の意見には耳を傾けねばなりません。

八白の人は離宮(火星)にあって自分(土星)が生じられるため、強いご加護があるでしょう。協力者が現われれば、心強いかぎりです。ただ、「分かれる」「離れる」といった分離作用を伴います。仲間割れをしないよう、調和を保ちましょう。

そのほかの人は、ホームページの「今月の運勢(6月1日更新)」をご覧ください。衰運の月は開運への根回しを心がけましょう。根回しの良し悪しが、その成否を決します。私はいつも、「衰運こそ開運へのチャンスです!」とお話をしています。

「苦悩する力」の大切さ

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人生

令和8年5月27日

 

昨夜は寝床で、脳科学者・中野信子さんの『悩みと上手につきあう脳科学の言葉』(プレジデント社・写真)という本をめくりつつ、眠りにつきました。数年前にコンビニで見つけ、何となく買ったまま忘れていた本です。

私は寝つきがいいので、ほんの数ページを読んだだけなのですが、「悩みとは学習のためのフィードバックである」という言葉だけは記憶に残っています。つまり、悩みは人間を学習させるための仕組みだということなのでしょう。「うまいことを言うな」と思いつつ、もう夢の世界でした。

中野さんの主張は脳科学の立場からですが、同じことが仏教からも言えると思います。つまり、人生の苦悩は私たちの宿業しゅくごう(カルマ)を修正させようとする働きであるからです。人生とは原因と結果のくり返しです。善因善果・悪因悪果であり、自業自得です。どんな苦悩にも、その原因は自分にあります。しかし、同時にそれは、その原因を修正させようとする生命の善導なのだと私は思います。この相反する矛盾が同時進行するところに、人生の真実があります。何もかも自業自得で終っては、救われようがありません。

わかりやすくお話をするなら、病気は人生の大きな苦悩です。病気にはもちろん原因がありましょう。生活習慣から、ストレスから、ひょっとしたら前世からの宿業からかも知れませんし、先祖の霊障かも知れません。しかし、病気とは何でしょう。痛みも熱も、それは健康を維持しようとする、生命の尊い働きです。病気になれば、あわてて病院へ行くでしょう。だから、何とか健康を維持できるのです。痛みも熱もなければ、何も気づきません。それで終りです。私たちは病気をするから、健康を維持できるのです。

苦悩はつらいものです。何で自分だけが、と思うはずです。だから、人生は修行なのでしょう。つらいことですが、この「苦悩する力」こそ、生命の救済です。そして、その先に人生の喜びがあるはずです。

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