山路天酬法話ブログ

金運宝珠護摩の奉修

カテゴリー
金運

令和8年10月18日

 

本日午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修しました(写真)。気持ちのよい秋晴れの中、たくさんの皆様がお参りして読経を唱和し、遠方の皆様も同時祈念で融合しました。

お金は神様からの預あずかりものです。だから、預かるにふさわしい人しか預かれません。ふさわしい人とは、社会が必要とすることや喜ぶことを与える人です。多くを与える人ほど、多くが与えられます。

これは逆のことを考えれば、誰にでもわかります。社会に迷惑をかけたり、嫌いやがることをすれば、お金の神様から見捨てられます。こういう人は必ず、お金はきたないとか、お金を持っている人は悪いヤツだ、などといいます。そして、お金の神様から、ますます見捨てられます。

金運とは人徳です。人に好かれれば、お金の神様にも好かれます。だから、この世の人にも、あの世の人にも好かれることです。人のために尽くし、先祖への供養を重ねれば、お金の神様が喜び、金運は必ず高まります。この金運宝珠護摩は、感謝と報恩の波動なのです。

金運宝珠護摩

カテゴリー
金運

令和8年10月16日

 

あさか大師では10月18日午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修いたします。近在の皆様は、ぜひお参りにお越しください。金運銭(写真)を差し上げますので、お財布に入れてお護摩のパワーを持続させましょう。遠方の皆様は同時祈念によって、お護摩との感応道交をはかりましょう。

 

 

金運宝珠護摩とは、如意宝珠に祈るお護摩です。お大師様は如意宝珠と一体なので、平常のお護摩とそれほど変わるわけではありません。ただ、お大師様の正面に安置する如意宝珠に、特に祈りを込めます。

一心に祈れば、霊験は必ずあります。ただ、金運護摩だからといって、一万円札が降って来るわけではありません(笑)。霊験は間接的にやって来ることが多いからです。つまり、金運に関する情報が与えられるということです。情報とはヒントです。友人との会話や、何気なく手にした雑誌の中にあるかも知れません。テレビ番組やネットの中にあるかも知れません。このことに、アンテナをはっていることが大切です。

また、お金は人と人の間をめぐることも、忘れてはなりません。人に好かれることは、お金に好かれることに等しいからです。人に対する思いやりがなくて、金運が高まる道理がありません。逆のことを考えれば、誰にでもわかることです。金運とは、行きつくところ人徳だからです。人に好かれ、お金に好かれる人徳を身につけることが、この金運宝珠護摩なのです。

続・人は何のために生きるのか

カテゴリー
先祖供養

令和8年10月12日

 

あさか大師の先祖供養に、新しい様式が加わりました。今までは供養紙(お札)をのり付けしていましたが、今後は光明真言のご本尊様をお迎えして、その中に入れることになりました(写真)。ご本尊様との一体感が増し、見た目にも明るく、お大師様(大日如来)と共に祈るという気持ちがいっそう強くなったようです。

私はいつも、あの世に持ち越せる唯一の財産は〈功徳〉であるとお話をしています。しかし、「功徳を積もう」と決心したからといって、たやすく叶うものではありません。なぜなら、功徳はあの世の協力なくしては、積めないからです。功徳を積むということは、運命を変え、人生を変えるにも等しいことです。そのためにはご先祖の協力を得ねばなりません。

この世とあの世は一体です。そして、あの世は常に〝ここ〟にあります。私たちは自分だけが、この世で一人で生きているのではありません。あの世の多くのご先祖と共に、この自分があるからです。ご先祖と共に功徳を積み、その功徳を分かち合うために、私たちはこの世に生かされているのです

金メダルに輝いたスポーツ選手が、よく「多くの先輩が積み重ねてきた努力が実って今日の栄誉があります」と語るのは、このことなのです。ご先祖が積み重ねた人生なくして、この自分はありません。それに報いる努力こそが、天命をまっとうすることなのです。人は何のために生きるかの答えなのです。

 

*あさか大師では掲載写真の仏様の中に父母両家の供養紙(お札)を入れ、お導師(大阿闍梨だいあじゃり)が真言密教の秘法を毎日修します。これによって、ご先祖と共に功徳を功徳を積み、人生を変える変える祈りを目ざしています。高額な供養料は不要です。勧誘もしません。ご希望の方はホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。

人は何のために生きるのか

カテゴリー
先祖供養

令和8年10月10日

 

あさか大師では10月3日・4日の午後1時、総回向法要そうえこうほうよう(先祖供養)を勤修し、たくさんの皆様が参詣しました(写真)。また遠方の皆様は同時祈念によって、法要に感応道交しました。

「人は何のために生きるのか」と問われるならば、私はあえて「天命をまっとうするため」とお答えしています。天命とは人生に課せられた〈運命〉や〈使命〉といった意味もあり、またこの世で与えら〈寿命〉といった意味も含まれているように思います。

ところが、ほとんどの人はそんなことを深く考える余裕などなく、この世での尊い時間を終えてしまいます。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世法王はその理由を、「人生のすべてを生活のためだけに費やしてしまうため」とし、それによって仏道に精進する時間を失っているのだと述べておられます。

もちろん、私たちは生活費を稼かせぐためには働かねばなりません。自分のためにも家族のためにも、それは当然のことです。しかし、すべての時間を仕事のために費やすべきではありません。人生の後半に、また晩年には、この世に生かされた意味を考え、あの世に向かう準備をすべきではないでしょうか。そして、この世での人生を与えてくださった両親や先祖のために、感謝の功徳を積むべきではないでしょうか。

死は単なる臨終ではありません。あの世での新しい生活と再生への旅立ちなのです。あの世においてはこの世の財産も名誉も、何の役にも立ちません。自分の体も、愛する家族も、共に暮らしたペットも、すべてこの世に置いていかねばなりません。あの世に持ち越せるものはただ一つ、それはこの世で積んだ功徳だけなのです。

天命をまっとうするため、そしてあの世への準備のため、功徳を積みましょう。そのためには自分の心を清め、先祖供養に励みましょう。功徳は先祖と共に積むことが大切です。なぜなら、この世とあの世は一つで同時にあるからです。

 

*あさか大師では比類のない「光明真言ネットワーク」による先祖供養をおすすめしています。人生のルーツである父母両家の供養を、お導師(大阿闍梨だいあじゃり)が全国の弟子僧と共に毎日修します。供養料は一ヶ月2000円です。わずかな費用で、人生における最も大切な投資ができます。遠方の皆様には郵送します。

サッカー部の必勝祈願

カテゴリー
祈祷

令和8年10月7日

 

本日は地元・細田学園高校サッカー部80名がお護摩に参拝し、父母会の役員様と共に必勝成就を祈りました(写真)。また、父母会の皆様は千羽鶴を織り、本堂に飾って熱い想いを託しました(写真右端)。

間もなく今年の県大会が開始されますが、私は「試合に勝つには運うんも必要ですが、その運もまた努力が呼ぶはずです」と挨拶し、お護摩に入りました。全員でお大師様に合掌し、真剣に祈る姿は圧巻です。この部活からの縁が、人生の折にふれて甦よみがえり、やがて強い信仰の芽が育っていくことを願ってやみません。

私は金剛五鈷杵ごこしょ(密教法具)をもって全員にお加持をなし、その体内にパワーを込めました。立派な体格から闘志が伝わります。若さとは何ものにも代えられません。この中から、やがては日の丸を背負う代表選手が生まれることを祈りました。

10月の伝道法語

カテゴリー
人生

令和8年10月6日

 

10月の伝道法語です。掲示板に公示し、ご参詣の皆様に読んでいただいています。

現代人は興味があれば安易な気持ちでこれを始めますが、すぐに放棄ほうきしたり、飽きてしまう傾向があります。物ごとは始めることは易やすくとも、続けることが困難であることを知らねばなりません。

まずは、何ごとも三年です。「石の上にも三年」「茨いばらの道も三年」といい、また「千日回峰かいほう」「千日祈願」などともいいます(千日は約三年)。お稽古なども、三年も学べばお免状がいただけるのではないでしょうか。

ところが三年たつと、「やめようかな」と思うものです。その理由はたいていは人間関係です。先生の性格がイヤだとか、誰々とは会いたくないといったことで迷うのでしょう。これを乗り越えて十年を続けると、今度は人に教えることができます。つまり、自分が「先生」として教える立場になれるのです。

ただ、ここで大きな壁かべに突き当たります。いままで、特に考えもしなかったことに迷い、悩むはずです。しかし、教えては学び、学んではまた教えることをくり返すことで、さらに奥へ進むことができるはずです。そして、これを三十年も続ければ、その道のすべてを知ることができるでしょう。こうなれば、一生の宝です。人生の大事は、三十年にして達成するということです。

「右往左往うおうさおう」といいますが、多くの人は右に往いっては迷い、左に往っては迷い、それで一生を終えます。これでは「往生おうじょう」もできません(笑)。趣味であれ、仕事であれ、また信仰であれ、三十年を目ざしましょう。そして、感謝を学び、善事をなし、功徳を積みましょう。あの世に持ち越せる、唯一の財産です。

10月の強運者

カテゴリー
九星気学

令和8年10月4日

 

10月7日~11月6日が暦法での10月となります。九紫中宮の月で北が五黄殺、南が暗剣殺、東南が月破となり、注意する方位です(写真・北が下となり、一般の地図とは逆になります)

10月の強運者は、一位が七赤金星、二位が八白土星、三位が一白水星です。

七赤の人は震宮にあって、新しいスタート台に立ちました。困難はあっても、持ち前の明るさと社交性を生かせば、困難を突破することができるでしょう。特に信仰に勝縁があり、加持祈祷によっていっそうのパワーを得ることができます。思いを寄せる寺院に参拝して、力強いご加護を仰ぎましょう。

八白の人は巽宮にあって、順調な運勢となります。特に身辺の問題を解決するチャンスとなりましょう。家庭でも職場でも調和を重んじ、意見の衝突を避けることが大切です。月破が付くので、何ごとも慎重に進み、わずかのことでも確認を怠ってはなりません。

一白の人は乾宮にあって、これまでの努力が成果を生みます。運勢が充実し、目標を達成する好機となりましょう。目上や上司の引き立てを得るよう、気配りに勤めることが大切です。何よりも信用を重んじ、目立たぬことにも気を抜かないことです。

その他の人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。長雨による被害が続きましたが、秋らしい景観も楽しめましょう。年末に向かって、早めの準備を心がけたいものです。

続・この世の「事実」とあの世の「真実」

カテゴリー
仏教

令和8年9月30日

 

あの世(霊界)について、もっとも信頼される著作を残したのは、18世紀に活躍したエマニュエル・スェデンボルグです。彼は天才科学者であり、天文学・医学・数学・工学・地学などに、ノーベル賞クラスの業績をたくさん残しました。ところが、50歳過ぎから一転して霊界研究に没頭し、膨大な霊界著述(大英博物館所蔵)を執筆したのです。

あの世の姿は、それを体験する人の宗教や国籍と関連します。彼が東洋人であったなら、仏教の須弥山しゅみせん(写真・円通えんつうの作図)が必ず登場したと私は確信しています。ただ、「霊界は三つの世界に分かれている」という表現は、仏教の「欲界よくかい・色界しきかい・無色界むしきかい」に相当し、天上の大宮殿は真言密教の光明心殿に相当し、それぞれに共通した景観があるようには思われます。

あの世では時間と空間の制約がありません。この世の何十年という一生も、あの世では一瞬に映し出されます。物質世界ではありませんから、壁をぬけることも、空を飛ぶこともできます(もちろん、その人の霊的資質にもよります)。この世の財産も名誉も、あの世では役立ちません。ありのままの自分がさらされ、生前の人徳と遺族の追善によって霊格が決まり、生活する場所が決まります。

昨日、ある弟子僧から、生母様が他界されたメールが入りました。私はあの世に旅立った初七日しょなのかの大切さと、不動真言の重要さを返信しました。生前に霊界のお話を聞けなかった方にとっては、遺族の追善が往生おうじょうの支えとなります。このことは、皆様も記憶していただきたいと思います。

現代は親のお葬式すらしないという人が増えました。死んでしまえば何もないとするのが知性的であるかのように考えているのでしょう。こういう人は、やがて自分が臨終を迎えても迷うばかりです。肉体を離れても、まだ生きていると思ってこの世に留まります。あれもこれも気になって、あの世に向かうことができず、地縛霊じばくれいや浮遊霊ふゆうれいとなって人に迷惑をかけます。

しかし、皆様から先祖供養のご相談をいただくたびに、あの世があることを信じ、先祖と共に生きていることを実感している方が、どれほど多いかに驚きます。この世とあの世は一体であり、また同時にあるのです。私たちの魂は本来、生まれながらにそのことを知っているのです。決して、理屈で考えることではありません。

地球が自転しながら太陽の周りを回っていることは、天文学の「事実」です。しかし、私たちは太陽が東から昇って西に沈むのを見て一日を過ごします。日の長さや季節の移りは生活の目安です。地動説の「事実」と共に、天動説の「真実」が同時にあるのです。そして、あの世の須弥山も天動説です。霊界には須弥山があり、往生した魂はこの世の遺族と共に生きるのです。

 

*あさか大師では「この世とあの世は一体である」を理念に、先祖供養に励んでいます。導師(大阿闍梨だいあじゃり)は一日も欠かさず、皆様の父母両家の供養を修します。高額な供養料は不要です。遠方の皆様には郵送します。ご希望の方はホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。

この世の「事実」とあの世の「真実」

カテゴリー
仏教

令和8年9月27日

 

江戸時代の中期(八代将軍吉宗の頃)、地球は丸く、太陽の周りを回っているという地動説が蘭学らんがく(オランダ)から伝わりました。そして、幕府によって浅草に天文台が設けられ、しだいに洋学に力を入れるようになりました。もちろん、地動説を研究する学者も増えていったわけです。

ところが、これによって仏教は大きな危機を迎えることになりました。なぜなら、仏教には「須弥山しゅみせん世界」という宇宙観があったからです。つまり、この地上は平らでその中央に須弥山という山があり、太陽も月もその上空を回っているという天動説だったのでした。

さあ、大変です。仏教など虚言もはなはだしく、須弥山はとんでもない妄想だという非難がおこりました。この時、仏教を守り、梵暦ぼんれき(仏教天文学)の正しさを主張する僧侶が何人か立ち上がりました。中でも円通えんつう(写真・臨川書店)はその中心となって護法運動に身を捧げ、『仏国暦象編ぶっこくれきしょうへん』という書作を刊行しました。

この地動説か天動説かの論争は幕末までも続き、仏教は今なおどのように主張すべきかに悩んでいるといっても過言ではありません。須弥山を解説した著作はたくさんあっても、これが仏説であるという結論以外、何も進んでいないのです。

誤解を恐れず、思い切ってお話しをするなら、須弥山世界はあの世(霊界)の宇宙観です。つまり、この現実世界の地球と同時に、異次元世界に須弥山があると私は考えています。銀河系が円盤状の形なら、平らな地上があっても不思議ではありません。そして、須弥山の上には天上界や極楽があり、地下には地獄があるのです。

また天文学に関わりなく、私たちは朝には太陽が東から昇り、夕べには西に沈むことで一日を過ごし、日の長さや気温によって季節の移りを感じています。それによって渡り鳥は方位を違えず、産卵の魚は急流を進みます。つまり、この地上世界は天動説で生きていることを認めねばなりません。

地球が太陽の周りを回っているという天文学の常識は、間違いのない「事実」です。しかし、私たちは天動説によって暮らし、異次元世界に須弥山があることもまた「真実」なのです。私は仏教の須弥山世界を信じていますので、あの世へ行くのが今から楽しみです。ただ、霊界での太陽と月、時間と空間、天地と方位、すべてに慣れねばなりません。それもまた楽しみではありますが。

続・秋彼岸会法要

カテゴリー
先祖供養

令和8年9月24日

 

あさか大師では昨日の午後1時、秋彼岸会法要を無事に修しました(写真)。予報に反しての雨天となりましたが、たくさんの皆様が列席し、遠方の皆様は同時祈念にていっしょに回向を捧げました。

私達がこの世にあるのは、あの世のおかげです。尊い命をつないでいただいたおかげです。だから、あの世に対して感謝の礼を尽くすのは、この世にいる私達の勤めです。そのことに目覚めた皆様が、こうして集い、読経して祈りを捧げました。この世とあの世の交流です。

法要の後はオハギとコンニャクのご接待となり、真っ赤な彼岸花を見ながら楽しいひとときを過ごしました。皆様、お疲れさまでした。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ