金運宝珠護摩

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あさか大師

令和3年5月17日

 

昨日は第三日曜で、特別に金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍の中でさびしい集まりでしたが、僧侶の方もご信徒の方も、力強い炎に祈りを込めました(写真)。

私は財務のことは何もわからず、ただ寺務所の方にお任せしています。また、僧侶の私がお金についてお話できることは、お金は追いかけるものではなく、後ろからついて来るものだということに尽きると考えています。つまり、どうしたらお金が入るか、どうしたら儲かるかを考えるのではなく、どうしたら人のお役に立ち、人に喜んでいただけるか、そのためには何をすべきか、何を与えるべきかが大切だということです。そうすれば、お金は自然と後ろからついて来るものだと、私はそれだけをいつもお話しています。

だから、皆様のお役に立ち、皆様に喜んでいただけるよう努力していれば、寺の経営はお大師さまが何とかしてくださるだろうと、そう思って毎日を過ごしています。仏教が特に〈布施〉を重んじるのはそのためなのでしょう。布施はもちろん、お寺や僧侶への布施ばかりを意味するわけではありません。人に与えることのすべでが布施なのです。やさしい言葉をかけることも、笑顔で接することも、手助けをすることも布施なのです。つまり、自分の仕事にプラスアルファの何かをあたえること、それが布施という意味なのです。

僧侶にとっては〈施餓鬼せがき〉もその一つです。施餓鬼は何かを求めるために修すわけではありません。何も求めず、無欲でもって修します。ただ、与えること、布施をするためだけの目的で修します。しかし、施餓鬼をよく修する僧侶は、何となく豊かになります。暮らしにも困らず、また長命な方が多いのです。これは功徳というものが後ろからついて来る証明です。

こんなお話が皆様の金運のために役立つなら、大変にうれしく思います。いや、きっと役立つと思いますよ。実は、こんなお話をすることそのものが布施なのです。おわかりですよね。

山路天酬密教私塾

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