令和5年4月3日
一昨日は、第三回目の〈桜まつり〉を開催しました。いつもの〈八丈太鼓まごめ会〉の皆様、イングランドポニーの〈はなちゃん〉のほか、当山僧侶からもシチリキ演奏が加わり、大いに盛り上がりました(写真)。
もちろん、今年は桜の開花がことのほか早く、満開を過ぎていたことは否めません。しかし、風が吹くたびに桜吹雪となり、その様相は格別のものがありました。「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るかな」とは、『徒然草』の名言です。桜は満開の時、満月は曇りのない時ばかりがいいのだろうかという意味です。つまり、散りかけた桜や、雲のかかった名月もいいではないかと、発想を逆転させました。これは不完全をさえ美しいと見ることのできる、日本人の英知です。
完璧であることは、もちろんいいことです。しかし、少し足りないくらいが、また親しみがあるの事実です。人もまた完璧であったなら、どれほど息苦しいかわかりません。しかし、欠けたところもまた、魅力の一つとなりましょう。何もかもそろっているより、アレがあったらいいと思うくらいが、ちょうどよいのかも知れません。そのために労を惜しまず、そのために働く時こそが、人は生きがいを感じるのではないでしょうか。
一昨日の桜は、その不完全の美そのものでした。雨が続いたのに花が残っていただけでも、よしとせねばなりません。「去年は満開でしたね」「来年が楽しみですね」などとお話ができたのも、不完全がゆえのことです。それがまた、楽しいひと時となりました。
人生は思うようにはなりません。しかし、何ごともいいように受け止める人ほど、実は思うようになるのです。つまり、いい時はいいなりによく、悪い時は悪いなりによくと思える人こそが人生の達人です。思うようにならない時、皆様は愚痴をいって嘆きますか。このくらいでよかったと、考えを改めますか。人生の達人は、ご自身の中にもいるのです。