令和4年8月27日
あさか大師では毎日お護摩を修しますので、皆様からの護摩木祈願が寄せられます。そして、その護摩木祈願にはほとんど「病気平癒」や「〇〇病平癒」といった願目が入っています。なぜなら、人のお願いごとは病気(健康の問題)とお金(生活の問題)と対人(人間関係の問題)が最も多いからです。いろいろなお願いごとがあっても、結局はこの三つに集約されるとしても過言ではありません。
その病気に関する護摩木なのですが、実は私は「病気よありがとう」と念じつつ、これをお大師さまのお護摩の炎に投じています。「そんなバカな!」と思うでしょうが、本当なのです。なぜなら、病気は私たちの健康を守る尊い働きであるからです。このことは、私はいつもお話をしています。
たとえば、人はよくカゼを引きますが、カゼとは新しい免疫をつくり、新しい体質に変わるためのプロセスなのです。だから、カゼを引いたら、まさに〈風〉のように通過させ、新しい自分に生まれ変わるよう心がけることが大切です。こうして考えれば、病気というものの本質、病気の真実が見えて来ます。
熱が出るのは害菌を減らし、汗によって毒素を排泄しようとする働きです。痛みが出るのは血液を集め、病根を壊滅させようとする働きです。吐気も下痢もまったく同じです。このような症状が何ひとつ現れないとするなら、私たちは体の異常を感じ取り、自分を守ることなどできないからです。私たちは病気をしながら健康を守っている、いや、病気をするから健康なのだとさえ言えるのです。皆様、この真実がわかりますでしょうか。
このことは、私たちが恐れる〈がん〉も同じです。人の細胞はいずれはがんを発生させて、最後の防衛を図るのです。家族や社会のため、成功や名誉のため、人は多くの無理を重ねて生きています。その蓄積が体内環境をそこね、細胞を傷つけ、炎症をおこして行きます。そこで、何とか生き延びようとして変身した姿ががん細胞です。これを「ありがとう」と言わずして、何と語りかけるのでしょうか。
私はかつて、札幌がんセミナー理事長・小林博先生の『がんを味方にする生き方』を読み、大変に感動しました。先生は顕微鏡を見ながら、「今日も頑張っているね、立派だよがん細胞君!」と語りかけるそうです。「闘病生活」ではなく「共病生活」です。私が「病気よありがとう」と念じてご祈願をする理由は、この意味です。
そして、病気に立ち向かって闘うのではなく、健康を守ろうとする尊い働きに感謝をする方が、祈りの力が強まることも私は知っています。皆様もぜひ、「病気よありがとう」と念じてください。いいお話でしょう。