令和3年4月30日
今日は長崎から僧侶の方がお見えになりました。せっかくなので、私が昼食にチャーハンを作り、いっしょにいただきました(写真)。私は外食はめったにしないので、ほとんど自炊して生活しています。
チャーハンは私がこだわる料理の一つです。簡単でありながら、なかなかにむずかしい料理だとも思っています。簡単でむずかしいといえば、和食ならおにぎり、イタリアンならペペロンチーノ、そして中華ならチャーハンでしょう。最高のご飯を炊き上げることがむずかしいように、誰にでも作れますが、決してたどり着けない料理がチャーハンなのです。
よく「パラパラチャーハンの作り方」などと言いますが、パラパラのチャーハンが本当においしいでしょうか。私はパラパラの中にも〝しっとり〟感がなければダメだといつも思っています。つまり、私にとっては「パラパラしっとりチャーハン」こそ、「夢のチャーハン」なのです。
そもそも物ごとを極めるということは、相反する二つの条件を兼ね、そのいずれにも属しながらいずれにも属さぬ境地を目ざさねばなりません。強からず弱からず、硬からず柔らかからず、甘からず辛からず、いずれでもありなからいずれでもない境地を目ざさねばなりません。仏教ではこれを「中道」などと言いますが、説明することは困難です。
また「パラパラチャーハンの作り方」として、炒める先にご飯と卵を混ぜ合わせておく方法がありますが、あれは「卵ピラフ」ではあっても、チャーハンではありません。チャーハンはやはり、卵を入れて瞬時の後に熱いご飯を入れ、その絶妙のバランスにこそ秘訣があるのです。また「家庭の火力ではうまくいかない」などと言う主婦の方もいますが、家庭で中華料理店のような炎を上げたら、どうなるでしょうか。家庭には必ず家庭での作り方があることも、知らねばなりません。
かなり以前でしたが、周富徳さんがテレビで「卵とネギだけが周家のチャーハンです」と語っていました。めったにテレビを見ないのに、偶然に視聴するのも因縁なのでしょうか。私はこのシンプルなチャーハンがすっかり気に入ってしまいました。しかし、お客様がいる場合は、さらにキノコなどを加えるようにしています。また、色を鮮やかにするために京都の九条ネギ(青ネギ)を用いるとよいのですが、関東で売られているそれは、どうも硬くてあやしい気がします。
講釈が過ぎました。しかし、今日のお話は、実は仏教の哲理を語っていることがおわかりでしょうか。