寄進をする時は

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仏教

令和2年10月27日

 

一休さんといえば、とんちで有名ですが、そのほかにもエピソードがたくさんあります。

ある日、村人とお寺の縁側えんがわ将棋しょうぎを指していました。そこへ裕福な商人が、山門修復のために多額の寄進を持ってやって来ました。しかし、一休さんはお礼も言わず、そのまま将棋を続けていました。そこへ使いに出ていた小僧さんが帰って来たので、一休さんは「遠くまでご苦労だったね。どうもありがとう」と、ていねいにお礼を言いました。

さあ、それを聞いていた商人は、カッとなって「使いに出た小僧にはお礼を言って、寄進をしたわしにはなぜお礼を言わんのだ」と怒鳴どなりました。すると一休さんは、「あんたは寄進をして徳を積むことが出来たではないか。何でわしがお礼を言うんじゃ。あんたの方こそ、徳を積ませていただいてありがとうございますとお礼を言うべきじゃないのかね。そんな気持ちで寄進をするなら、その金子きんすは持って帰りなさい。そうでないと徳を積むどころか、悪業を積むことになるんじゃぞ」と答えました。その商人は自分の非礼をわび、感謝のお礼を言って帰りました。

現在でもタイやスリランカでは、僧侶が托鉢たくはつに出ると、ひざをついて合掌するのは布施をした信者の方です。僧侶は大威張おおいばりで、お礼の一つも言いません。寄進者に対しても同じです。もちろん、徳を積ませてあげているのですから、一休さんが言うとおりで、確かに一理があります。

ところが日本ではご存知のとおり、寄進者に対して、僧侶は頭を下げてお礼を言うのが通例です。これは必ずしもへつらっているわけではありません。寄進をして徳を積ませてあげていると同時に、徳を積んだ相手をたたえるという意味もあるのです。つまり、どちらにもそれぞれに意味があるということです。

皆様はどちらでしょう。徳を積ませていただくという気持ちですか、僧侶に頭を下げてもらいたいですか。

山路天酬密教私塾

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