福を招く「福助」

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人生

令和2年3月24日

 

僧侶は法要のおり、白足袋しろたびを着用します。私がよく購入するのは、皆様もよくご存知の「福助足袋ふくすけたび」で、使いやすいストレッチタイプのものを愛用しています。この福助(株)について、私が知っていることをお話しましょう。

創業者の辻本福松つじもとふくまつは幕末の文久ぶんきゅう元年、幕府御用達ごようたし・綿糸商の家に生れました。明治15年、大阪の堺市に自分の名前から一字をとった「丸福まるふく足袋装束たびしょうぞく問屋」を開きました。ところが明治32年、この商標につき和歌山の「丸福足袋坂口茂兵衛さかぐちもへえ」から、「丸福の商標は自分の方が先に使用している」として訴訟されました。裁判は福松の完敗で、大変な裁判費用を支払わねばなりませんでした。一転して、家業の存続すらむずかしい状況におちいります。

その翌年、福松の長男・豊三郎に子供が生まれました。豊三郎は祝いの伊勢神宮参拝に向かいましたが、その帰途、ある古道具店で福助人形が目に止まりました。福助人形は福を招き、願いを叶える縁起の良い人形として、江戸時代中期から庶民に親しまれていたものです。しかし豊三郎は、その「福助」の名と姿に天啓がひらめいたのでした。これこそ家業の商標にふさわしいとしてすぐに買い求め、急いで帰宅しました。

福松もこの福助人形をお伊勢さまのご加護として喜び、自ら筆をとってその姿を描き、商標登録を果たしました。これが「福助足袋」に印刷されている、あの絵の始まりなのです。以来、「福助足袋」は順調に業績を伸ばし、日本一の足袋メーカーとなりました。女性の皆様は、ストッキングでもおなじみだと思います。

福を招く「福助」は、新しい白足袋を着用するたびに目に入ります。この小さな絵が、創業者二代の危急を救ったのです。白足袋をんでも、「福助」は踏みません。

山路天酬密教私塾

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