令和2年3月17日
私が長年お世話になり、親しくご厚誼をいただいたアルミ管工業会社の社長さんが他界しました。その社長さんは一代でその会社を立ち上げ、驚くほど広い工場を持つまでに発展させました。
大変に気さくな人柄でしたが、一方では学ぶことにも熱心でした。読書量も多く、経営セミナーへの参加も怠りませんでした。また、私の法話集なども真剣に読んでいただき、毎年の新春大護摩には、必ず会社名でお申込みをいただいて来ました。
私は何度も会社を訪ね、経営指針や人生観など、お話を伺ったものです。注目したことはその社長さんが私と外出する時、そして外出から戻った時は、事務所内の社員20人近くが全員で起立し、見送りと出迎えをしたことです。また工場内を案内していただいた折には、作業中でも社員が社長さんに一礼し、社長さんもねぎらいの言葉をかけていたものでした。社内の雰囲気が大変に明るく、社員の皆様が楽しんで仕事をしているようにさえ感じました。
いったい家も会社も何によって栄え、何によって衰えるのでしょうか。お大師さまは「豊かになることも衰えることも、人によるのである。人がいかに道に叶っているかによるのである」とおっしゃいました。道に叶っているとは仁に叶い、礼に叶い、志に叶っているということ、つまり道徳に叶っているということです。挨拶や清掃ががしっかりとできているということ、思いやりや意欲があるということでしょう。
「競争社会に何が道徳だ」と言う方がいますが、では、その方は十分に栄えているでしょうか。人に嫌われれば、結局はうまくいきません。一時的には栄えても、いずれは必ず衰え、いずれは滅びるのです。私は最近、ジョージタウン大学准教授、クリスティーン・ポラス女史の『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(東洋経済新報社)を大変に興味深く読みました。彼女は「礼節の科学」によるビジネス講演をアメリカ各地で開催し、大変な人気です。つまり礼節のある人がなぜ栄えるのかを、さまざまな角度から力説しています。競争社会も、結局は人なのです。礼節なのです。