令和元年12月8日
昭和39年(1964)に「東京オリンピック」が開催された折、私は小学校六年生でした。
田舎の小学校にはまだテレビすらありませんでしたが、このオリンピックのため、少ない予算を捻出して何とか一台を購入しました。まだモノクロの時代でしたが、教員も児童も授業をそっちのけにして競技を観戦しました。みんなが夢中だったのです。今の小学校からは想像もできないほど、大らかで融通のきく時代でした。
もちろん、私は子供で何もわかりませんでしたが、あれから半世紀以上も過ぎ去って驚嘆しました。それは、あのオリンピックが、敗戦からわずか十九年目のことであったという事実です。東京中が焼け野が原となり、食べるものもなく、橋の下やドカンの中で暮らしていた日本人が、わずか十九年であれだけのオリンピックを開催したのです。もちろん、開催する以上は、委員会の審査が通らねばなりません。日本人の底力は、恐るべきものとしかいいようがありません。
私が小学校に入学した前年の昭和33年(1958)、まず東京タワーと国立競技場が竣工しました。東京タワーは、当時としては世界一高いテレビ塔として話題になりました。敗戦から十三年目です。続いて昭和37年(1962)には首都高速が開通し、さらにオリンピックのその年、新幹線が開通しました。当時は「夢の超特急」と呼ばれ、日本人はもちろん、観戦に来日した外国人もあのスピードには目を見はったものです。
このお話を、私は何度も語ってきました。そして、忘れてならないことは、この急速な発展の中で活躍した中核は、かの戦地に出兵した方々であるということです。あるいは九死に一生を得、あるいは捕虜となって強制労働を強いられた方々であるということです。その底力は、日本人としての誇りです。その底力が、今日の日本を築いたのです。仕事の成果は、何があってもくじけぬ底力から生まれるのです。