令和元年10月27日
何ごとでも三年は続けないと、モノになりません。「石の上にも三年」「茨の道も三年」というと、どうも求道的でしんどい気がしますが、それでも三年という意味の大切さをよく伝えています。それから、千日行とか千日回峰といった修行がありますが、これも三年に近い日数です。
要するに、三年という日数には人間心理の根底をついた何かがあるのでしょう。お稽古ごとをして、お免状をいただけるのも三年くらいです。一方で、「そろそろやめようかな」と思うのも三年です。偉そうに見えても、ボロが出るのも三年です。男女の出会いも、三年が山です。
逆に、この三年を乗り越えれば、次の段階ということになります。たとえば、お稽古ごとのお免状を三年でいただいて、さらに十年続ければ、まずは〝先生〟として教えることができましょう。だから、三年たってやめたいと思った時が勝負です。人生の財産にしたいと思うなら、そこを頑張ることです。十年続ければ、やめなくてよかったと思うはずです。
そして最後に、これを人生の宝物にしたいと思うなら、さらに三十年続けることです。三十年続けられれば、まず相当な域に達するはずです。私は仕事でも趣味でも、三十年続けた人のお話なら、真剣に聞きます。教科書やマニュアルでは学べない、極意のようなものを感じさせるからです。
現代はあまりにも情報過多で、次々に気移りをするものです。その情報の渦で、必要なものと不必要なものを選択するだけでも大変です。本当に必要なもの、自分にふさわしいものを、じっくりと考えねばなりません。
そして、努力をするにも、〝楽しい努力〟を目ざすことです。人生、楽しくなければ続きません。「重荷を負うて遠き道を行く」だけでは、身が持ちません。馬でも荷車でも、乗用車でも新幹線でも上手に使うことです。