令和元年8月26日
私はものを考える時、心がけていることが二つあります。
一つはじっと座って考えるのではなく、とにかく歩くことです。あさか大師はクツのまま入れる床なので、その本堂の中や境内をグルグルと歩くうちに、いい考えが浮かぶのです。歩くことが思索と大きく関わることは、十八世紀のフランスの思想家・ルソーが語ったことです。私はルソーと誕生月日が同じなので、個人的にひいきにしているのかも知れません。だから、歩くことと考えることの関わりについては、今までにも何度かお話をして来ました。
もう一つは、考えながら書くことです。そして書いては考え、考えてはまた書いています。どちらが先ということより、指先と脳のフィードバック機能がはたらき、書いているうちにいい考えにたどり着くのです。だから、私のノートは人に見せられたものではありません。まず細かい字で書くことはありませんし、いわゆる書きなぐりが多いのです。また、毛筆は得意なのですが、鉛筆やボールペンは苦手なのです。出版社や印刷社の方は、私の原稿や校正文字を見て、かなり困惑しているはずです。
ついでにお話しますが、作家の直筆原稿ほどひどいものはありません。担当の編集者にしか読めないのです。これは、美しく書くなどということは眼中になく、ただ、ひたすら考えながら書いているからです。「美しい手紙の書き方」といったペン習字の書籍を見かけますが、まったく異なる分野です。もっとも、最近はパソコン原稿が多いので、この問題は解決しているのかも知れません。
お話が大変にそれましたが、ものを考える時は、何かを動かしている方がよいのです。密教の僧が修法をしながら、両手で印を結び、口で真言を唱えるのもこの意味です。脳と心が動かざる一点に集中するためには、かえって手や口が動いている方がよいことを、私は毎日のお護摩でも充分に知っています。