あの世はあるのでしょうか。
令和4年12月13日
仏教を信じる方のほとんどは、「あの世はある」と思っています。少なくとも、そのように信じています。しかし、世の中には「そんなものがあるはずはない」とか、「死ねば何もかも亡くなるんだ」と思っている方もいます。今日はこれに対する私の意見を述べてみましょう。
世の中には霊能者と呼ばれる方が少なくありません。私自身はそのようなレッテルを貼られたくはありませんが、中には霊能力があるとして、それを誇り、宣伝したり、テレビに出演する方もいます。その真偽のほどはともかく、人類史上最大の霊能者として評価される人物に、エマニュエル・スエーデンボルグ(1688~1772)という方がいました。彼はスウェーデンの貴族として生まれましたが、物理・天文・経済・哲学などの分野でも一流の学者でした。そして肉体をこの世に置いたまま、20年以上にわたって死後の世界に出入りし、これを『霊界著述』と題して出版しました(写真はその日本語抄訳『私は霊界を見て来た』・叢文社刊)。しかも、自分が1972年3月29日のその日に亡くなることを予言し、そのとおりに他界しましたから、まさに驚異的な人物というほかはありません。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
ところで、現代人がこれを読んで、どのように思うのでしょうか。「なるほど」 と納得する方もいるでしょうが、中には「とんでもないホラ吹きだ」と笑い飛ばす方もいるはずです。つまり、あの世のことは論理的な思考を超えて、結局は信じる信じないという次元に行き着くからです。
そこで、私の考えです。私はいつも「あの世はあるものと信じましょう」とお話をしています。もっとも、私がお会いする多くの皆様はお寺にお参りするわけですから、会話のレベルとしてはこれで通ります。しかし、そうはいっても「どうしてですか?」と疑問を投げかける方もいます。そこで私は笑いながら、「これがウソだったら、私を詐欺師だと思ってけっこうですよ」とお話をしています。
なぜなら、あの世があると信じて功徳を積み、先祖供養を怠らない方は、死んだ後にやはりあの世があるなら悔いることがありません。「よかった!」と思うはずです。しかし、これを信じないでいて、意外にもあの世があったとしたら、「しまった!」と思うのではないでしょうか。そういうと、「じゃー、あの世がなかったら和尚さんは詐欺師だ」と笑う声が聞こえそうです。残念でした。私が詐欺師だと呼ばれることは絶対にありません。なぜなら、あの世がないなら、死んだ後はすべてが〈無〉に帰するなら、あの世がないと確認することも、和尚さんは詐欺師だと思うこともできないからです。つまり、何もないなら、結局は何もないのです(笑)。この意味、わかりますよね。だから、どちらかを選ぶなら、あの世はあると信じた方がいいのです、その方がお得(!)なのです。
霊能者が何を言おうが、いずれは誰でも往けるのですから、それを楽しみに待ちましょう。もしかしたらテレビに出演して、見て来たように言っていた〇〇〇〇さんがとんでもない詐欺師だったとわかるかも知れません。それもお楽しみに。
水子供養は重要です
令和4年12月12日
あさか大師では水子供養も積極的におすすめしています。一昨日も遠方から女性の方がお越しになりました(写真)。かなり以前に流産をされたそうで、長い間このことで悩んでおられたようです。気軽に相談できるお寺さんは少ないですし、法外な供養料を請求されることもあるので、その一歩が踏み出せなかったとのことでした。
現代社会において、水子供養はきわめて重要です。母親の病気や子供さんの非行が、その水子さんから影響していることが多いからです。水子さんのことは、心配したり悩んだりするより、できるだけ早く供養してあげることが一番です。
また、水子さんには名前も戒名も、位牌もお墓もありません。できれば、無事に生まれた子供さんと同様に、名前(戒名)をつけて供養してあげるべきだと私は思っています。なぜなら、無事に生まれた自分の〝兄弟〟を恨まずとも、うらやましくは思うからです。
水子さんはこの世の苦悩にさらされていませんから、さほどの怨念は残しません。よく「水子霊のたたり」などと言いますが、水子さんはしっかりと供養をすれば、素直にあの世に往きます。つまり、大人より純粋なのです。だから、悩むよりはまず、しっかりとした供養をすることなのです。
あさか大師で水子供養をした方は、お菓子を持参してお参りしたり、お線香をお供えしたりしています。戒名をつけてお位牌を安置した場合は、私の弟子となってこのお寺で修行することになります。その修行の様子を見に、たまには会いに来てほしいと思います。詳しくお知りになりたい方はお電話でもメールでも、お気軽にお問い合わせください。
*事故によって電話線が切断され、ネットもメールも三日間ほど不通になりました。ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
占いの吉凶と人生の幸不幸
令和4年12月6日
このたび、『九星気学立命法』を(株)青山社より刊行しました(写真)。九星気学の初歩から推命法の奥義秘伝まで、惜しみなく公開しました。九星気学が初めての方はもちろん、占いのプロとして鑑定をなさっている方にも、ぜひ読んでいただきたいと思っています。【(株)青山社 0120(18)0341 定価10450円(税込)】
九星気学はほとんど、方位の活用によって開運を目ざすものです。これに対する私の考えは、本文に書きました。ただし、本書は生まれ年の〈本命〉と生まれ月の〈月命〉によって、その人の先天運を出す推命法です。簡単でありながら、奥深い鑑定ができますので、ぜひご活用ください。
また、本書が最も強調したのは方位の活用ではなく、〈積徳〉による運命改善であり、これを「立命法」としたことにあります。人の運命は何によって決まるのかといいますと、仏教ではこれを「宿業」と定義しています。宿業とは、人の生き方です。生き方が業(カルマ)となって、意識の底に蓄積し、人の運命を決定するのです。だから、宿業を変えれば運命も変わります。そのためには徳を積むことです。人には親切をなし、やさしい言葉をかけ、思いやりを尽くして積徳に励むことです。また、仏天のご加護を祈り、先祖供養を怠らぬことです。
さらにもう一つ、私が力説したのは占いは人生の吉凶は判断できますが、幸不幸は判断できないということです。吉凶とは健康運や結婚運や金運をいいます。しかし、宝くじで一億円が当たったり、一流大学に合格することは吉運には違いありませんがが、それが不幸の始まりになることもあるのです。
占いは大変に役立ちますが、ここに限界があります。方位を活用したからといって、誰もが億万長者になれるはずがありません。名前の画数が悪くても、著名な成功者はたくさんいます。しかし、徳を積んで人に好かれるならば、誰でも幸せになれます。要はその人の生き方、考え方次第であるということです。どのように徳を積むべきかも、具体的に列記しました。
私の講釈はこのへんにして、本書には天台寺門宗・金翅鳥院の羽田守快先生より玉稿の推薦文が掲載されています。また、ご自分のブログでも紹介していただきましたので、ここに掲載しましょう。羽田先生は私が20代からの畏友であり、また尊星王流宿曜道の宗家でもあります。以下は、そのブログの写しです。
山路天酬先生の「九星気学立命法」刊 青山社
青山社から山路天酬先生の「九星気学立命法」が出ました。
これを熟読すれば気学の基礎はもとよりその妙味に至りましょう。
まことに僭越ながら私も推薦文を書かせていただいています。
本書の特徴は九星気学の方位術は措いて、人の生き方としての九星に焦点が当てられていることです。したがってテーマは「立命」本書の名の通りです。
寺院における檀信徒の指導において宗派を問わず縦横に活用されることを希望します。
山路先生の九星は永年の研鑽を得た秘奥の域ですが、さりとて本書は占術のプロのみが理解できるような難しい奥義書などではなく、それでいて実に簡にして要を得た内容であり、逆に無理や無駄をそぎおとした純烈さに触れて、改めて師のこの術の造詣のふかさに驚きを憶えます。
本書籍のご注文は青山社へ
天酬師は祈願に、そして密教指導に余念のない方です。
住職をされている「あさか大師香林寺」では初行から灌頂までの僧侶への道も開かれています。
実際で山路師の指導で阿闍梨にまでなった方の喜びの声も聞いています。
同じ修行者養成にしても私などごときの門下になるよりはるかに本格的で充実していると思います。
修行者の良き門がここに開かれています。
「山路天酬密教私塾」の模様
先祖供養はなぜ大切か
令和4年12月5日
一昨日と昨日、あさか大師では先祖供養の総回向を挙行し、多数の方が参詣しました(写真)。
私が先祖供養の大切さを強調する理由は、あの世の人からもプラスの想い(気)をいただけるからです。
私たちはいろいろな想いを受けて暮らしています。つまり、自分の身辺や世の中の人からプラスの想いを受けている方は、どんどん運がよくなります。逆に恨みや憎しみといったマイナスの想いを受けている方は、どんなに努力をしても、開運は望めません。吉方の方位取りをしても、名前の画数を変えてもダメなのです。一時的によくなることはあっても、必ずそのツケが回ってきます。
では、運がよくなるプラスの想いを受けるのは、どういう方でしょうか。人に親切をなし、やさしい言葉をかけ、思いやりを尽くす方です。それは生きている人はもちろんですが、実はあの世の人に対しても同じです。私たちはこの世(現世)に生きていることは間違いありません。しかし、現世を「うつつよ」といい、「うつしよ」と呼ぶのは、あの世の写しであるからです。つまり、この世とあの世は写し合っているということ、いっしょにあるということです。先祖供養をすると、あの世からもプラスの想いを受ける道理がわかりますでしょうか。
先祖供養はもちろん、あの世の人に対する感謝のためのものです。しかし、現代人には「あの世の人たちからもプラスの想いを受けましょう」と説明した方がよいかも知れません。事実、先祖供養に熱心な方は、まず運がいいはずです。皆様も、この世の人はもちろん、あの世の人にも好かれるよう心がけましょう。
私はいつもお話をしています。「好かれることは生涯最高の財産ですよ」とね。
五色は何を意味するか
令和4年12月2日
あさか大師の境内に、〈五色の吹流し〉が掲揚されました(写真)。お寺の本堂にはよく〈五色の幕〉が張られますが、同じ意味でこの吹き流しも境内の荘厳となります。
五色は〈青・黄・赤・白・黒〉と覚えます。真言密教では五仏(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)を、五大(地・水・火・風・空)を、五方(中央・東・南・西・北)を、五智(仏の五つの智慧)を意味します。自然界には形があり、色があり、音があり、香りがあり、味があります。この五色が融合して、あらゆる色へと変化するのです。つまり、この五色をもって自然界が融合する曼荼羅世界を表示するのです。
お大師さまは若くして大学を中退し、修験者となってきびしい山岳修行に身を投じました。そして、虚空蔵菩薩の求聞持法という難行を通じて、自分というものが自然界の縮図、いや自然界そのものであることを体得したのでした。五色はこの自然界そのものでもあります。
お寺にこの五色があるだけで、空気が変わります。冬空に曼荼羅を描いたような気分です。お正月に向けて、また一つ、準備が整いました。初詣にお越しください。
まずは聞くことからです
令和4年12月1日
私は毎月ごとに、境内の一角で掲示伝道をしています。今日から12月に入りましたので、また書き換えました。今月は、
大事なことは
何度も聞くことです。
初めて聞くつもりで
何度も聞くことです。
と書きました(写真)。いつも書体には苦心します。活字のような楷書では味がありません。かといって、古筆のようにくずして書くと、現代人は読めません。また、三行か四行で字数をまとめるのも大変です。目立つように、いつも朱墨で書いています。
どのお経も常に、「このように私は聞いた」という文句で始まります。つまり、お釈迦さまから、このように私はその説法を聞いたと前置きして始まります。また仏教には〈多聞〉という言葉があります。どれだけ多くを聞いたかが、いかに重要かという意味です。修行の始まりは、まずお話をよく聞くことからという意味がわかりますでしょうか。
このことは、仏教の修行ばかりにかぎりません。何を学ぶにも、まずは先生のお話を聞くことからなのです。それも、大事なことは、初めて聞くつもりで何度も聞くことです。何度も聞くことで、記憶に留まり、意識の底に蓄積され、体で覚え、自分のものとなるからです。〈体得〉というではありませんか。体が得るまで、くり返しなさいということです。
私も若い頃は、大事なことは何度も聞きました。そして、紙に書きました。そして、壁にはりました。私たちは天才ではありませんから、それでも身につくまでには時間がかかります。こうして覚えた言葉は、今になっても忘れません。人生の宝です。宝は簡単には手に入りません。まずは、先生のお話を聞きましょう。何度も何度も聞きましょう。多聞を第一と心がけましょう。