2022/03の記事

桜満開

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あさか大師

令和4年3月31日

 

あさか大師の桜が、本日満開となりました。新緑に映えて、まぶしいばかりです(写真)。今朝からたくさんの方々が花見に訪れ、カメラマンの姿も絶えません。

美しく咲き、短くも散る桜の潔さは、まさに日本人の魂です。いや、よけいな講釈はやめておきましょう。明後日の〈桜まつり〉まで、この満開が保ちますよう。お大師さまも、お喜びくださいますよう。皆様も、ぜひお越しくださいますよう。

桜開花

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自然

令和4年3月25日

 

しばらく、寒い日が続きましたが、あさか大師の桜が今日、開花しました。先日のつぼみと同じところをご披露します(写真)。ただ、まだ寒い日が続くそうで、桜がかわいいそうです。咲いていいやらいけないやら、迷っているように見えてなりません。晴れの日が続いてほしいものです。

今日は午前中にめずらしく葬儀が入り、その後に伝授をしました。私は受者がわかりやすいようプリントを配ったり、現前で絵を描いたり、メモを渡したりしますので、それだけ時間ががかかります。そして、わかりやすさに加え、楽しさが加わるよう努めています。楽しくなければ理解できませんし、長く続けることもできません。そして、楽しくなければホンモノではないとさえ思っています。これは、大事なことです。

まずは、しばらく、桜をながめて息を抜きましょう。そして、楽しみましょう。満開の予測が立ちませんが、4月2日が〈桜まつり〉です。お越しください。

正御影供と春彼岸会

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あさか大師

令和4年3月20日

 

今日は午前9時半より毘沙門天法の伝授、午前11時半にお大師さまの正御影供しょうみえく(お姿の仏画を供養する法要)と金運護摩供、午後1時からは春彼岸会、午後2時半からは得度式と、実に多忙な一日でした。

写真をご披露しましょう。まずは正御影供のお飾りです。お大師さまの御影に描かれているお持物(水瓶すいびょう木履ぼくり(木製のクツ)・琥珀こはく念珠)を私が復元したもので、あさか大師にしかありません。そのほかいろいろな仙薬と、広島から届いた加茂鶴かもづる酒造の銘酒『弘法大師』もお供えしました(写真)。

金運護摩はいつもどおり、力強い炎が舞い上がりました(写真)。皆様が真剣で、きびしい世相を乗り越えようとする気迫に満ちた読経でした(写真)。

続いて春彼岸会です。僧侶の方々の声明しょうみょう(音曲)に続き、参詣の皆様もいっしょに読経をしました(写真)。

法要の後は、光明真言の祈りを一年間続けた「お土砂」を配りました(写真)。お土砂の一粒一粒が如意宝珠です。

そして、最後は得度式とくどしきです。本日は三名の方が受戒じゅかいされました(写真)。ういういしい法衣姿がお似合いでした。

得度をなさった皆様、おめでとうございます。またご参列をいただきました先輩僧侶の皆様、お手伝いの皆様、ありがとうございました。私はさすがに疲れはて、得度をなさった鍼灸しんきゅうの先生にハリを打っていただいたほどです。今日は早くに休みます。

木蓮の花

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自然

令和4年3月19日

 

今月は18日から春彼岸に入り、木蓮もくれんの花が咲き誇っています。木蓮には紫木蓮しもくれん白木蓮はくもくれんがありますが、今日は行きつけのコンビニの前でみごとな白木蓮を見つけました(写真)。

日本は遠い先祖を神棚に、近い先祖を仏壇にまつり、神さまと仏さまが共存する国です。そして、神さまを父となし、仏さまを母となして2681年の世界一古い国家(ギネス認定)として存続して来ました。

私が特に、日本は仏さまに守られた国だと思う理由の一つは、春秋の彼岸にも、お盆にもそれぞれに特有の花が咲くことです。春彼岸には木蓮が、夏のお盆には蓮の花が、そして秋彼岸には曼珠沙華(まんじゅしゃげ彼岸花)と、その度に仏さまを讃える花が美しく咲くではありませんか。

これらの花につつまれて、日本人は先祖を尊び、墓参をします。しかも、誰に頼まれずとも、これらの花がおのずから咲くのです。私はこのことを思うだけでも、日本は何とすばらしい国なのかと感動すら覚えます。皆様も町かどで木蓮を見たならば、「仏さまの花」と讃えてください。

ついでながら、あさか大師の桜も、いよいよ開花を迎えるばかりとなりました。つぼみはふっくらとふくらみ、明日にも開花の様相です(写真)。明日は午前11時半よりお大師さまの正御影供しょうみえく(金運護摩合修)、午後1時からは春彼岸会(お土砂どしゃ授与)を奉修します。お大師様にもご先祖にも、木蓮と共にお供えになりましょう。

また、4月2日(土)に〈桜まつり〉を予定していますが、散らずに残ってくれることを祈っています。皆様、お楽しみに。そして、ぜひお越しになってください。

匂ひ起こせよ梅の花

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自然

令和4年3月13日

 

暖かい風を感じるようになりました。まさに、柔らかい〈東風こち〉のおもむきです。そして、道真みちざね公(天神様)の歌がしのばれ、梅が満開となりました。すなわち、

東風(こち)吹かば 匂(にお)ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

都(京都)から大宰府に流される折の作とされています。「東風が吹いたら大宰府まで匂いを届けておくれ、あるじ(私)がいないからといって、春を忘れてはなりませんよ」という意味です。

道真公は梅が好きだったので、天神社には必ず植えられています。特に紅梅をでて、自分の住居を〈紅梅殿こうばいでん〉まで称しました。現代は花見といえば桜ですが、平安時代までは梅だったのです。清少納言せいしょうなごんの『枕草子まくらのそうし』にも、「木の花は濃きも薄きも紅梅」とあるのはそのためかも知れません。

あさか大師の近辺でも、今が梅の満開です。今朝ほどの散策で、農家のみごとな紅梅を見つけました(写真)。まさに、匂いおこせよの真っただ中です。

もちろん、白梅もまた違った趣きがあります。こちらもまた見事というほかはありません(写真)。ともども、心地よい匂いにつつまれ、一日が豊かになりました。

あさか大師には隣りに桜並木がありますが、いずれは私も梅を植えたいと思っています。紅梅、白梅、いずれも、私がいなくなっても匂いをおこしてくれますように。

草取り作務

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あさか大師

令和4年3月11日

 

今日の日中は草取り作務さむに費やしました。あさか大師の桜開花を前に、樹下をきれいにしようと思いつつ、なかなかできませんでした。除草剤は努めて使わない方針です。本日はお弟子さんとご信徒の二名がやって来て、ようやく「やりましょう」ということになりました(写真)。

「雑草」という名の植物はありませんが、いやはや雑草の強さは半端はんぱではありません。その根の深いこと、深いこと。鎌を入れても、力を入れても、なかなか取れません。なるほど「草の根を分けてでも」とは、よく言ったものです。かなり疲れましたが、まずまず片づきました。

作務の間、いろいろな方が桜の様子を見に、足を運んでいました。年々開花が早くなっていますが、今年は4月2日(土)に〈桜まつり〉を挙行します。早くれば彼岸中にも開きましょうが、少しでも残っていることを念じています。

本日は3.11。被災者の皆様には慎んで哀悼の意を表し、重ねてお見舞いを申し上げます。合掌

月始めの総回向

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あさか大師

令和4年3月6日

 

昨日と今日は、月始めの総回向(光明真言こうみょうしんごん法要)を奉修しました。コロナ禍でお参りを遠慮している方もいらっしゃいますが、それでも久しぶりに遠方からの方もお越しになりました(写真)。

今月20日には春彼岸法要も奉修されます。そして、光明真言を一年間お唱えした〈お土砂どしゃ〉が授与されます。私が先祖供養として光明真言法要を選んでいる理由は、ご信徒の皆様にも唱えやすく、わかりやすい和讃もあり、このお土砂の授与が喜ばれるからです。お土砂は墓参の折にまいてもよいし、気になる場所にまいてもよいのです。また、交通事故で死亡した場所にまくと、供養にもなります。

あさか大師では僧侶はもちろんですが、参詣者全員が太鼓に合わせて読経をします。この響きが本堂に遍満し、力強い法力となることは間違いありません。そのことは、一度お参りをいただければわかります。ぜひ、お越しになってください。

続々・姓名判断

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占術

令和4年3月3日

 

さらにお話をしましょう。姓名判断において、良い名前をいただいた方が最も自戒すべきこととお心得ください。

それは、どんなによい名前をいただいたからといって、何の苦労も災難もない人生などあり得ないということです。これは姓名判断にかぎらず、占い全般にいえることで、よくよく注意せねばなりません。運のよくなる名前をいただいたからといっても、努力なくしては、その運も手にすることはできないという意味です。

占いの好きな方が、「名前を変えたのに、ちっとも運が向いてこない」とか、「いい年まわりに入ったのに、良いことがない」といった愚痴ぐちをこぼすことがありますが、これなどは典型的な落し穴といえましょう。占いというものは、努力に向ってその背中を押すものだと知ることです。

そもそも人生というものは、うまくいかないことの方が多いのです。また、成功というものは、失敗という経験から知恵を学んでの努力の結果であるともいえるのです。これは占いそのものにも責任があります。吉数の説明に「円満成功の大吉数」とか、「順風じゅんぷう満帆まんぱんの幸運人生」などと書かれているますが、とんでもないことです。もし、順風満帆の幸運人生などというものがあったとしても、それはロクな人生ではありません。

吉数の名前の一例として、よく〈徳川家康〉があげられますが、あの晩年までの苦難と波乱なくして、どうして天下人となり得たでしょうか。歴史上の偉人はみな、立ち上がれぬほどの挫折ざせつを味わい、生死をさまよう大病をわずらい、投獄とうごくき目にあって、そこからい上がっていったのです。名前を変えたぐらいで、大きなことをいってはいけません。運を引き寄せることは大切ですが、運だけに頼るのは愚かなことなのです。

閑話休題。今日は〈ひな祭り〉です。本堂の片隅に江戸時代のひな人形を飾りました(写真)。現代は結婚式にならって、多くはおひな様を向かって右に飾りますが、それは西洋式です。今でも奈良や京都では、このように左に飾りますし、時代劇を見ればわかりますように、昔の婚礼では向かって左に花嫁が座りました。

ひな人形も、本来はこのように素朴そぼくなものでした。かたいお話をしましたので、息をぬきましょう。すてきでしょう、皆様。

続・姓名判断

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占術

令和4年3月2日

 

姓名判断について、皆様にお話したいことは他にもあります。

たとえば、人の名前というものは、ケチをつけようと思えば、いくらでもできるということです。一つの流派では良いとしても、別の流派で見れば、たいていは弱点が見つかります。また、陰陽の配置、五行の生尅しょうこく  、天地の順逆、音の霊導、同数衝突、凶意文字、破壊数など、言い出したらキリがありません。

なぜこんなお話するのかといいますと、よく人の名前にケチをつけては改名を迫ったり、高額な印鑑を強要したり、開運のグッズを売りつける業者がいるからです。これは一種のおどしであって、人を開運に導く業務ではありません。

姓名判断には多くの統計があり、また、よく当たることも事実です。しかし、名前だけで人生のすべてがが決定するわけではありません。自分の名前のことで悩んだ時には、一度ご相談いただきたいと思っています。

著名な方でも、名前の画数が悪い方はたくさんいます。失礼ではありますが、たとえば稲盛和夫・小泉純一郎・長嶋茂雄・鈴木一朗(イチロー)といった方々は、私が見ても決して良い画数とはいえません。つまり、こうした方々は、名前の画数に関わらず、それ以上に血の出るような努力をなし、人に希望や喜びを与えた徳があるということなのです。

反対に、たとえば俳優女優や歌手の多くは、姓名判断による立派な名前で仕事をしています。しかし、その中から生まれるスターはごくわずかに過ぎません。これは、どんな立派な名前を持っていても、それにふさわしい努力と徳がなければ夢は叶わないという証明です。

私はよくお話をするのですが、仮に宝くじで一億円が当たったとしても、それを受け取るだけの何かを世の中に提供しなければ、必ず不幸になることを知らねばなりません。つまり、一億円の収入を得る人は、それだけの努力をなし、それを受け取るだけの徳を持っているという意味なのです。姓名判断による吉数の名前も、また同じであると心得ましょう。

姓名判断

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占術

令和4年3月1日

 

最近はあさか大師での得度とくど(仏門に入る儀式)を希望する方が多くなりました。得度にあたっては法名ほうみょう(仏門における名前)を授けなばなりませんが、これには毎回、私が苦労するところなのです。

なぜかといいますと、普通は師僧の法名一文字を上にして、下に別の文字(たとえば俗名の一文字)を付ければそれで決まるのですが、私の場合はそうはいかないからです。私は選名(赤ちゃんの名付け)を依頼されることが多く、当然ながら字画の配置を考えねばなりません。これが意外に大変です。

今の若い夫婦は、姓名判断のこともよく知っています。また、得度を受ける方の中には、プロの占い師もおります。当然、私がどんな字画で配置したかを調べますから、うかつには付けられません。

そこで姓名判断ですが、いろいろな流派があり、複雑なルールもあります。このルールに合わせることが大変で、深夜までかかることも度々たびたびです。ただ、この姓名判断のルールについても、私の考え方が少し変わりました。

その特別なルールとして、字画の数え方があります。代表的なものにサンズイは〈水〉、リッシンベンは〈心〉なので4画といった源字を取り入れる考え方です。昔はこのとおり表記した場合もありました。たとえば、恐れ多いことですが、お大師さまはご自分の法名「空海」の〈海〉を〈毎〉の字の下に〈水〉と署名されました(写真)。

漢字には本来、このような源字の意味があるのですが、現代人(特に若い方は)はこのような意識をほとんど持っていまません。現在使われている常用漢字(当用漢字)でよいという考え方も、当然ながら派生します。〈高橋〉と〈髙橋〉、〈山崎〉と〈山﨑〉なども、普段使っている方を用いるべきでしょう。

このようなルールを述べるとキリがありませんが、姓名判断もそろそろ変革期に入ったのではと思ってます。それにしても、自分の名前となると、誰でも気になるものです。法名においても、私の苦労はこれからも続きそうです。

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