二つの生き方
令和2年5月18日
私は人の悩みを聞く仕事を、40年以上も続けています。そして、少しでもお役に立てるよう毎日のお護摩のご祈願にも、また先祖の回向にも努力を重ねています。
たくさんの方々に出会って来たわけですが、中には思いのほか早く解決する方があります。お寺に来ただけで、また私とお会いしただけで、心がやすらぐと言ってくださる方もいます。しかし中には、ご祈願に励んでも回向を重ねても、望むようにいかない方がいることも事実です。この違いは何なのだろうと、私はずいぶん悩みました。
ある時わかったことは、望むようにいかないという方は、それをすべて世の中や他人のせいにするということでした。口にすることは世の中や他人への不平不満ばかりなのです。これに間違いはないと、今でも確信しています。こういう方は、自分がうまくいかないのは社会が悪いのだと考えています。それなりの学歴もあり、外見もよく健康でもありながら、それを職場のせい、上司のせい、同僚のせいだと言い立てるのです。
そもそも私たちは社会でも職場でも、多種多様な人に接しなければなりません。上司が寛容で大らかな人ならいいものの、小さなミス一つにでもガミガミと怒鳴る人もます。隣りの席にすわった人が、親切でやさしい人ならいいものの、とんでもなく冷たい人という場合もあります。つまり、世の中はいろいろな人間がいっしょに集まり、人間それぞれの性格によってそれぞれに動いているということなのです。この単純な事実が、思いのほか理解されていません。
つまり、大人になっても、学校を出ても、知識はあっても、人間を理解していないということなのです。また、このことは家庭でも学校でも、一般には教えません。皆様は驚くでしょうが、難関を通って一流大学を卒業し、さらに人もうらやむ一流企業に勤めながら、意外にこういう人が多いのです。自分が今日ある幸運や恩恵が誰によってかなど、考えもしません。何をされた、かにをされたと、そればかりなのです。別のいい方をすれば、感謝ができない人です。
人はもちろん、何をもって幸福であるか不幸であるかなど、一概に決めることはできません。しかし、どんな人でも、どんな状況でも、人が幸福になれるのは感謝をする時です。まわりの人を見てください。誰によらず「ありがとう」と言える人は、まず大丈夫です。悩みごとも願いごとも、何とかなるのです。逆に世の中や他人の悪口を重ねる人は、自分も悪口を言われ、望むことも叶いません。
皆様はこの二つの生き方の、どちらを選びますか。私のブログを読んでくださる方なら、もうわかりますよね。大丈夫ですよね。私からも申し上げましょう。「皆様、ありがとう」と。
ここで気を許すな!
令和2年5月16日
新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が、まず三十九県で解除されました。
宣言期間中は、国民の多くが強いストレスや危機感を感じたことと思います。外にも出られず、学校にも行けない子供たちは勉強も遅れ、友達とも遊べぬ不満が重なったはずです。また、ご主人もお子さんもいる狭い家の中で、炊事も家事も休めぬ主婦は言葉も乱暴になったかも知れません。家族や夫婦間のDVが増え、「コロナ離婚」なる冗談(もしや本音!)まで耳にする始末でした。一方、お店も工場も未曾有の危機に立たされています。すでに倒産した会社も、数知れません。補助金や借入れで乗り切れるかどうか、まさに瀬戸際の様相です。
また、マスクや消毒液すら、なかなか手に入らない状況は今も続いています。一時はティッシュやトイレットペーパーまで不足する有様でしたが、こちらはほとんど復旧しました。食品も、納豆ばかりは「一家に一パック」などと表示されていますが、さほどのことではありません。私は戦後の生まれですから大きなことは言えませんが、終戦を経験した方ならどうということもないはずです。サツマイモのツルを食べて飢えをしのいだお話をうかがえば、まだまだ楽な時代だと思います。
物に不自由する生活を、初めて経験した国民も多かったことでしょう。つまり、〝平和ボケ〟した私たちは喝を入れられたのです。また人類の愚行に対して、地球そのものがリセットを強いられたのです。このブログでも何度かお話をしましたが、この世は無常なのです。いつ何が起きるかわからない、変わらないものなど何ひとつないということなのです。平和で安心して暮らせる社会など、この世にはないのです。それだけに、私たちは危機感に対してもっと敏感にならねばなりません。地震や台風だって、いつやって来るかはわかりません。誠実でまじめに生きていても、どんな凶悪が迫っているかはわかりません。私も昨年は台風被害を経験しましたので、早くも備えを固めています。
コロナウイルスの件にもどりますが、ここで気を許してはなりません。もし二次感染が増え、再び非常事態宣言が発令されることになどなったら、今度こそ最悪です。人は「もう大丈夫だろう」という時が、一番あぶないのです。九割かた終ったと思って安心すると、最後にミスをします。これで勝ったと思って油断すると、最後に逆転されます。おそらく、一年ほどは警戒を続けねばなりません。専門家の意見にも耳を傾けましょう。
多くの人々が外出を始め、仕事を始め、お店にも入り始めています。もう一度申し上げますが、「もう大丈夫だろう」という時が一番あぶないのです。「ここで気を許すな!」と、おまじないのように何度でも唱えることです。声に出すと、人は実行するものです。そうなのですよ。
はじめに教えを説いた第一の仏
令和2年5月15日
『徒然草』の逸話を、もう一つご紹介しましょう。これは最終段(第二四三段)からの引用です。
兼好法師(作者)が八歳になった時、父親にたずねました。「仏とはどのようなものでしょうか」と。父親は「仏には人がなったのじゃよ」と答えました。幼い兼好はまた、「人はどのようにして仏になったのですか」と問いました。父親は「それは仏の教えによってなったのじゃ」と答えました。兼好はさらに、「その教えを説いた仏は何によって仏になったのですか」と問いました。父親は「そのまた先の仏の教えによって仏になったのじゃ」と答えました。兼好はなおも食い下がり、「そのはじめに教えを説いた第一の仏は、どういう仏だったのですか」と問いました。父親はとうとう、「そうじゃなあ、空から降ったのか、土の中から湧いたのじゃろうよ」と笑ってしまいました。そして、「息子に問い詰められて、どうにも答えられんかったよ」と大勢に語っておもしろがったのでした。
八歳の子供がこんなことを父親に質問するのですから、さすがに兼好法師は秀才(もしくは天才!)です。私が八歳の頃はとてもとても、泥だらけになって遊んでいたぐらいの記憶しかありません。こんな質問など浮かぶ道理もありません。皆様はいかがですか。
さて、これもおもしろいお話です。歴史的にはお釈迦さまがはじめて仏になったわけですから、「人がなった」ということになります。そして、それはお釈迦さまが作り出した教えによってではなく、もともと存在していた真理を悟ったということですから、父親はそれを「仏の教えによって」と答えています。ところが私が注目するのは、最後の「はじめに教えを説いた第一の仏」なのです。強いて申し上げるなら、それが真言密教の大日如来ということになりましょう。歴史的には存在しない大日如来について説明する場合の、よいお手本になるからです。
兼好法師も出家者(僧侶)ですから、この最終段は仏教のことで締めくくりたかったのでしょう。また、八歳の息子がこんなことを聞いてきたのですから、父親としてはよほどうれしかったのでしょう。事実、大勢に語って喜んでいます。いささか自慢の気持があったかも知れません。そこに親子のおもしろさと深い味わいがあります。『論語』のような強い道徳性とは異なり、『徒然草』の魅力はここにあるのです。受験のための強制的な勉強としてではなく、社会人になってからこそ愛読してほしいのです。男の生きざまを教える人生の名著ですよ。無人島に一冊の本を持って行くとしたら、私はたぶん『徒然草』を選ぶでしょうね。
明恵上人の逸話
令和2年5月14日
『徒然草』(第一四四段)に、栂尾(京都)の明恵上人の逸話が紹介されています。
上人が道を歩いていたら、ある男が川で馬を洗っていました。そして、その馬の足を洗うため、男は「足!足!」と声を出しました。それを聞いた上人は、「ああ、ありがたや。前世の功徳が実を結んで、『阿字(足)阿字(足)』と唱えておる。どういうお方の馬であるか。あまりにも尊いことじゃ」とたずねました。
男は「これは府生殿の馬です」と答えました。すると上人は「何と何と、これはめでたいことじゃ。阿字は本不生という意味で、まさに『府生(不生)』ではないか。うれしいご縁をいただいたものじゃ」と涙をぬぐったそうです。
ちょっと解説をしましょう。〈阿字〉というのは真言密教の梵字で、大日如来という最高の仏さまを示します。真言宗のお位牌やお塔婆には必ず書かれている梵字で、この梵字がなければ真言宗そのものが成り立ちません。それくらい大事な梵字なのです。そして、その〈阿字〉には〈本不生〉という深義があるのです。本不生とは「本来不生不滅」を略した言葉で、私たちはもともと、生ずることも滅することもない永遠の生命であるということを教えているのです。阿字と本不生と、明恵上人はこの二つの言葉に同時に出会えたご縁に感激したのでした。なかなか〝おもしろい〟お話です。
皆様はどう思うでしょうか。「何だ、ただのこじつけじゃないか」と、そう思うでしょうか。もちろん、〈足〉と〈阿字〉はまったく別のものです。また、〈本不生〉という深義と〈府生〉という人物の間に、何のかかわりもありません。
でも、どうでしょうか。私たちもお護摩の炎を写真に撮ったらお不動さまの姿が出ていたとか、ロウソクが蛇腹に垂れて龍神さまが現れたとか言うことがあります。また、壁のシミが観音さまの姿に見えるということから、お賽銭を上げたりするものです。これも自然な心理であって、単なる〝こじつけ〟では済まされません。
明恵上人の逸話も、何か特別な意図があったのでしょう。弟子が同行していたのなら、修行の心得を教えたとも受け取れます。山の形や川の流れに、風の音や人の声に、もっと五感をはたらかせなさいという意味ではなかったかと思うのです。自然界はすべて仏さまの文字であり、仏さまの説法であるというのが、お大師さまの教えなのですから。
天空の仏教音楽
令和2年5月12日
「讃祷歌」という仏教音楽があります。東京代々木の智韻寺初代住職・新堀智朝尼(故人)が、その創始者です。
仏教音楽というと声明やご詠歌・和讃は知られていますが、讃祷歌は童謡ありクラシックありで、この分野ではきわめて特異な存在です。キリスト教の教会では聖歌隊はもちろん、信徒も共に讃美歌を歌って祈りのボルテージを上げますが、仏教寺院はもっぱら読経が中心です。仏さまやお大師さまを讃える歌が、もっと採用されるべきだと私は思います。
智朝尼は「讃祷歌詠唱団」を組織し、全国の寺院やステージに立ちました。また海外公演も数知れず、特にカーネギーホールや国連ホール、バチカン特別謁見でも詠唱しました。私も東京芸術劇場大ホールでの公演では、修験道(山伏)の衣帯で法螺師を務めた経験があります。圧巻のオーケストラ演奏の中、自分がお護摩を修しているイメージで法螺貝を吹奏しました。目の前に作曲家の黛敏郎さんが座っていたので、かなり緊張したことを覚えています。
私は智朝尼とは若い頃、京都東山の総本山智積院で出会ってより、大変に親しいおつき合いをしました。彼女とは親子ほど歳は離れていましたが、互いに意気投合して時を忘れるほどでした。思い出すこともたくさんあります。当時はまだ携帯電話もありませんでしたが、いっしょに街を歩いていると、「ちょっと待って」と言って公衆電話に飛び込むのです。何だろうか思ってと見ていると、何やら受話器を持って口ずさんでいます。あとで聞いてみると、突然に浮かんだ詩曲を自宅の留守電に入れていたというのです。もちろん、忘れないためです。
音楽の神さまは、思いがけない時に啓示を垂れるのでしょう。彼女はその「天空の仏教音楽」を、自分の身でキャッチしたのです。その時は〈わらべ歌〉でした。
「いとけなき子らに よみじを照らしつつ みてには乳び たれさせたもう 南無観世音 今日は父 明日は母よと叫ぶ子に 慈悲の雨ふる 晴れをまたなん」
私の車に同乗していても、急に「止めてください」と言うのです。キャッチした詩曲がエンジンの音で聞き取れなかったのでしょう。彼女の日常はすべて音楽と共にありました。旋律が降臨し、歌詞が浮上するや、天空のその詩曲を地上へと届けていたのです。聡明で一途な人柄を、私は忘れることはありません。あの世でまた出会うのが楽しみです。
続・アラヤ識のこと
令和2年5月11日
昨日は「無意識の選択」が、悪い結果として現れる例をお話しました。そして、仏教ではこの無意識を「アラヤ識」と呼ぶこともお話しました。
もちろん、無意識の選択はよい結果を生むこともあります。最近は日本でも、若い娘さんが父親母親を問わず、手をつないだり腕を組んで歩いている姿をよく見かけます。大変に好ましいことで、無意識の選択がうまくいっている証明です。
また私が知っているある女性は、嫁ぎ先の義母、つまり姑さんととても仲がよかったので、「いつも腕を組んで歩いたものです」と語っていました。嫁ぎ先の義母は、もちろんアカの他人です。それでも、まれには「お義母さん大好き!」などと言うお嫁さんがいるものです。しかも、こういう場合の姑さんとお嫁さんは、その顔までも似てくるから不思議なのです。「そんなバカな」と皆様は思うでしょうが、世間にはよくある事実です。二人の顔の印象から、たぶん「親子ですか」などと問われることがあったはずです。
では、こうしたよい結果はどこから生まれるのでしょうか。
答えは決まっています。母親の息子に対する教育がよかったということです。つまり、一方的な甘やかしでもなく、一方的な教育ママでもないバランスがあったからです。やさしい愛情を受け、きびしい躾も受け、正直で思いやりがあり、努力も怠らぬ息子として成長したからです。だから、女性に対する見方にも偏見がありません。女性からも好かれます。アラヤ識がいいお嫁さんを選ぶのも当然なのです。
また父親と娘の関係にも、バランスがとれていたからです。父親は母親のようにいつも家にいることは少なく、また娘の教育に口出しすることも少ないと思います。でも、娘が嫌悪するようなことはしません。帰って来て家族と挨拶もせず、娘と会話をすることもなく、ビールを飲んで無言で夕飯を食べ、大いびきで寝込むようなことはしなかったはずです。そして、休日には娘が喜ぶ何かをしてきたはずです。家族を支え、仕事に励み、趣味も楽しんでいた父親の背中を、娘は頼もしく見ていたのです。アラヤ識がいい夫を選ぶのも当然なのです。
こうして考えると、人生を救うものは〝教養〟だと、私はますます確信します。教養はもちろん、学歴でも知識でもありません。〝智恵〟といってもよいでしょう。つまり、教養に根ざした智恵が大切だということです。その教養がやさしさを生み、きびしさを育てるのです。そして謙虚に生きることを学び、信仰の大切さも知るのです。その教養は親から子へ、子から孫へと遺伝するのです。これがアラヤ識です。
アラヤ識のこと
令和2年5月11日
以前、九星気学では男性にとって母親と妻は同じもの、また女性にとって父親と夫は同じものだとお話をしました。もちろん、普通に考えただけでは納得できません。性格も考え方も、そして生き方も似ているとは思えません。しかし人の心理には、表面を見た程度ではわからない「無意識の選択」がはたらいているのです。
母親と息子の関係を考えてみましょう。息子にとって、母親は人生で最初に出会った女性ですから、影響を受けるのは当然です。たとえば、母親には甘やかすタイプがいます。とにかく息子が可愛くてしかたがありません。身のまわりのことは、母親が一切を取り仕切ることになります。学校で問題でもおこせば、それは学校が悪いと一方的に決めつけるでしょう。このような育ち方をした息子は、たいていの女性に興味を示しません。そして母親と同じ愛情を注いでくれる女性を、無意識に求めるのです。
また一方、きびしい教育ママのタイプがいます。息子を一番にするためなら、どんなことでもします。塾に通わせ、ピアノも習わせます。そして、自分の夫に対する不満を、息子への期待で転化させようとします。このような育ち方をした息子は、女性にかなりのレベルで理想を求めます。いずれも極端な例ですが、男性の女性観はこのように母親を通じて形成されるのです。そして、いよいよ妻を選ぶとなると、運命の糸は母親と共通する女性を引き寄せるから不思議です。
では、父親と娘の関係はどうでしょう。当然、娘にとって父親は人生で最初に出会った男性です。私が若い女性に「オトコ運は父親で決まるのですよ」と言うと、父親が大好きな女性は納得しますが、たいていは「イヤだー!」と嫌悪します。これは父親から十分な愛情を注がれなかったという不満が、父親とは反対の男性を求めるからです。ところが、その不満は恋人を探しているつもりでいても、無意識の内に父親の匂いを求めようと転化します。父親の愛情に飢えた願望が、そのようにはたらくからです。そして、運命の糸は父親と共通する男性を引き寄せるから皮肉なものです。
結婚してもうまくいっていなかったり、離婚した男女のお話を聞くと、いろいろなことがわかってきます。たいていは母親と妻の関係が悪化したり、妻に母親以上の愛情を求めたり、夫の中に嫌悪する父親像を見い出したりするからです。ただ、本人たちは「どうしてなのか」と疑問に思うでしょう。「こんなはずではなかった」と戸惑うことでしょう。その根底には母親と息子、父親と娘の間にこんな隠れた問題がおこっていたのです。これが無意識の選択です。仏教ではこの無意識のことを「アラヤ識」と呼んでいます。
人生を楽しむ才能
令和2年5月10日
二十年ほど前、九十七歳で他界しましたが、河盛好蔵さんというフランス文学者がおりました。モラリストの翻訳や自分の著作もたくさん残しましたが、何と九十五歳で文学博士の学位を得るという大器晩成の学者でした。晩年は脳梗塞で倒れ、車イスの生活を送りましたが、それでも向上心を失わずに研究を続け、ついに学位を得たのでした。
私は河盛さんのエッセイをかなり読みましたが、特に「人生を楽しむ才能」という言葉には共鳴しました。人生を楽しむには、まさに才能が必要だと思っていたからです。皆様はどのように思うでしょうか。お金さえあれば人生を楽しめるではないかと、そのように思うでしょうか。でも、お金があっても苦しみの多い人はたくさんいます。いや、むしろそういう人のほうが多いかも知れません。お金があれば、かえってそのお金が苦しみになるからです。また、健康であっても人の悩みは尽きません。グルメであっても、ファッションのセンスがよくても、それだけで人生を楽しめるわけではありません。
河盛さんは人生の最後に、こんなことを言っています。
「救急車で運ばれ、それ以来ずっと療養しているのですが、左手と左足が麻痺して動かなくなってしまい、不自由しております。それでも幸いなことに、右手は動きますので、書くには不自由はありません。まだ恵まれております」
「私の今の最大の望みは、フランス語をもっと上手になりたいということです。私はフランス語を読み、翻訳することが仕事でしたが、フランス語に磨きをかけて、もっと自由に書けるようになりたいのです。日本の作家のものをフランス語に訳して、フランスの人たちにもっと知ってもらいたいというのが私の願いです」
「時々、車イスを押してもらって、近所を散歩するのも楽しみです。書きものをする時に、この書斎から見える風情をながめるのも好きです。マロニエがよく見えますが、気分がいいですね。何といってもマロニエはパリの街路樹ですから、私の思い入れも深いのです」
右手が動くことに感謝し、勉学への希望を捨てず、ささやかな風情に感動する、この教養と品格が河盛さんの才能となって輝いたのです。そして、その才能が人生を最後まで支え、人生をまっとうさせたのです。何が幸福であるかを考える時、とても参考になります。ヒントにもなります。感謝と希望と感動と、これが人生を楽しむ才能なのです。
法の鉤と法の縄
令和2年5月9日
私たちは自分の意志によって生きているように思いますが、自分の意志とは異なる別の力によって生きているように思うこともあります。また、努力はもちろん大切ですが、努力だけで何ごともなし得るわけではありません。〈運〉もあれば〈運命〉もあるのです。また、そこには〈縁〉という不思議な力がはたらくことも事実です。
お大師さまは三十一歳のおり、留学僧として肥前田浦(現在の長崎県平戸市田の浦)より出航した四隻の遣唐使船の内、第一船にて唐に向いました。また、第二船には天台宗祖師の最澄さま(伝教大師)が乗船していました。当時は羅針盤などなく、無事に到着することすらわからない、まさに命がけの渡航でした。渡航中は暴風雨に遭遇し、三十四日間の漂流の後、現在の福建省赤岸鎮に漂着しました。出航した四隻の内、唐にたどり着いたのはお大師さまの第一船と、最澄さまの第二船だけで、ほかの二隻はついに消息を絶ちました。これを単なる偶然とするには、いささか思慮が浅いように私は思います。運命はまさに、歴史の偉人として二人の留学僧を選んだのです。
また、赤岸鎮から唐の都・長安(現在の西安)までの道のりも難行を極めました。ほぼ、日本列島を縦断するほどの距離です。そして、お大師さまは無事に長安に到着し、やがて生涯の師となる青龍寺の恵果和尚に出会いました。恵果和尚は三千人ものお弟子の中でただ一人、お大師さまを正嫡(正当な後継者)として選び、真言密教のすべてを授けました。そして、お大師さまとの出会いを待っていたかのごとく、やがて息を引き取りました。
唐は詩文も書道も盛んな文化国ですが、恵果和尚の碑文は正嫡であるお大師さまが揮毫したのでした。その文章は『性霊集』(詩文集)に残されています。
「故郷を顧みれば東の海のはるか東、たどり着いた道を思えば難が中の難で、命すら危ういものであった。航路は大波が満々と続き、陸路は雲も山も数え切れぬほどであった。そして、この広い大唐で師に出会い、密教の法を継ぐことができたことは私の力でなしたことではない。また、日本に無事に帰れることも私の意志の及ぶところではない。師は私を法の鉤をもって引き寄せ、私を帰すのも法の縄をもって日本に引いてくださるのである。この不思議な縁を、何と感謝すべきであろうか」
私は運と運命について、また縁という不思議な力について考える時、いつもこの「法の鉤と法の縄」という言葉を思い出すのです。この運とこの運命が日本の歴史を変えたのです。そしてこの縁が日本の仏教を変えたのです。
加持祈祷の極意
令和2年5月7日
人は病気になるから健康を守れる、とお話をしました。このような逆発想をしていきますと、人生の多くのことがわかってきます。
たとえば、私たちは不幸と思うことがあるから幸福を願えるのです。幸福とは何かというなら、それは幸福を願わずにいられることです。また、失敗をするから謙虚になれるのです。うまくいっている時は、反省することも危険だと思うこともありません。また、くやしい思いをするから向上心が湧くのです。しかられたり、恥をかいたりしなければ、さらに努力しようとも思いません。だから、それを意識するしないにかかわらず、望む望まないにかかわらず、私たちは大きな〝ご加護〟の中で生きているのです。これが生命という尊いはたらきです。
ところで、私は毎日お護摩を修していますが、病気平癒のご祈願が必ず寄せられます。特に重症の方は、写真をおあずかりして護符に封じてもいます。その時、どういう気持でご祈願をしているかというと、生命の尊いはたらきを信じるという一点に尽きるのです。病気は医師が治すわけではありません。ましてや、私が治せるはずもありません。回復を助けるためのサポートはしますが、病気を治すのは病気そのものなのです。生命の尊いはたらき、つまり本人の自然治癒力なのです。
真言密教には〈病者加持法〉という、いわゆる病気平癒の祈願法があります。その極意は、お大師さまのご加護と本人の自然治癒力を信じることなのです。念力や超能力で病根を断つのではありません。病根は健康を守ろうとする尊いはたらきなのです。これを断っては治るものも治りません。私には念力も超能力もありませんので、ひたすらその尊いはたらきをお大師さまにお願いしています。その無心な気持ちがなければ病気平癒のご祈願などできません。そして、私が無心になればなるほど霊験が顕現します。
このことは病気のご祈願にかかわらず、あらゆる加持祈祷の極意でもあるのです。念力や超能力は極度の集中力を要しますので、かなりの疲労を覚えるはずです。私の加持祈祷はお大師さまにお願いし、お大師さまのお力をいただくのですから、自分もまた元気になります。とてもありがたいことで、ご祈願が楽しくなります。
そして、人の体こそは宇宙の縮図、仏さまの器であることをますます確信しています。頭が丸いのは天空に等しく、足を組んで坐禅をすれば大地に等しいのです。自然界のあらゆる姿が、人の体にあるのです。私たちは信じる信じないにかかわらず、大きなご加護の中で生きているのです。生かされているのです。