令和3年9月11日
服部栄養専門学校長の服部幸應氏が、自分にとっての生涯最高の料理は、比良山荘(滋賀県大津市)の〈月とスッポン鍋〉だと語っています。死ぬ前にもう一度食べたい〝最後の晩餐〟と決めているそうで、「この世のものとも思えない味」とまで豪語しています。あらゆる美食に通じた服部氏のお話なればこそ、さすがにインパクトがありますね。
何でも琵琶湖の天然スッポンのだし汁で、ツキノワグマの肉を煮るという〈熊鍋〉だそうで、まさに贅を尽くした料理であることは間違いなさそうです。私はこのお話に興味をいだきましたが、残念ながら禁食(戒律で禁じられた食品)なのでいただくことができません。私は霊符という特殊な御札を書くので、その行者はスッポン料理とウナギのような長物料理は、亀蛇のご神体(玄武神)として禁じられているからです。
では、私にとって生涯最高と思えるモノは何であろうかと回想してみました。思うに、多くの方のそれは一流料亭やレストランの美食ではなく、遠い記憶や思い出と結びつく何かではないでしょうか。それはたぶん、子供の頃に家族と共に味わった〝おふくろの味〟であるかも知れません。おふくろの味は、時間と共にさらに熟成するからです。終戦後の食べ物のなかった時代なら、なおさらです。飢えた時代には、サツマイモさえ生涯最高になるからです。
私に心あたりがあるとすれば、それは毎年12月30日の正月飾りに食べた餅つきの前の、あの一瞬のうまさだったと思います。農家の庭先に臼と杵をそろえ、竈にマキをくべて蒸かしたもち米が入ると、晴れた冬空に湯気がボオーと舞い上がりました。すぐに杵を入れるのが私の役目でしたが、一分間だけ楽しみがありました。片手でその熱々のもち米をすくい、フウフウ息を吹っかけながらそのまま口にしたその味は、晴れた冬空と絶妙に溶け合い、この世のものとも思えなかったからです。塩も醤油も何もいりません。私の生涯最高のご飯でした。
私はこの世で一番おいしいものはご飯だと、いつも思っています。人にも語り、法話集『一話一会』(第一集)にも書きました。それは一日として飽きることも、忘れることもないからです。そんな食べ物がほかにあるはずはありません。そして、その名を「シャリ(舎利)」とも言うではありませんか。舎利はお釈迦さまのお骨であり、如意宝珠であり、仏さまそのものです。ご飯を食べることは、仏さまの功徳をいただくということです。その功徳によって、幸せをいただくということです。だから、多くの日本人が合掌をしていただくのです。