令和元年9月22日
私たちは一心に祈れば、お願いごとが叶うと思いがちです。しかし、ここにもまた意外な落とし穴がありますので、そのことをお話しましょう。
皆様がお願いごとをする時、たとえばお護摩札には〈病気平癒〉や〈商売繁昌〉と書かれます。しかし、これを念ずる時、「病気の私を早く治してください」とか「貧乏な私をお金持ちにしてください」といった言葉を用いてはなりません。なぜなら、このような言葉には、「私はもともと病気なのです」とか、「私はどうせ貧乏なのです」という意味が含まれているからです。
では、どのような言葉で祈ればいいのかと申しますと、「早く元気になって、世の中に役立たせてください」とか、「世の中に役立つものを与えて、世の中の人が喜ぶように私を使ってください」とすればいいのです。この違いがわかりますでしょうか。
お話をちょっと変えますが、お護摩のお導師が何をしているのかといいますと、ひたすら〝供養〟をしているのです。供養をするとは、つまり神さまや仏さまが喜ぶことをしているのです。神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、お願いごとはおのずから叶うからです。なぜなら、神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、神さまや仏さまはこの世の人や何かの縁を通じて、望むものを与えてくださるからです。だから、お護摩でお願いごとをする時は、このことがわかっているお導師を選ばねばなりません。実は、多くのお導師は作法はしているものの、肝心なこの真理がわかっていないのです。
お願いごとが叶うとは、一万円札が天からパラパラと降って来ることではありません。神さまや仏さまが喜ぶ言葉で祈り、また喜ぶ行いをすれば、この世の人も喜ぶのです。そうすれば、お願いごとは人や何かの縁を通じて必ず叶います。お願いごとをする時は、どうかこの真理を忘れないでください。