功徳を求めない功徳

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真言密教

令和6年8月15日

 

二十代の頃、師僧より「真言宗の僧侶は施餓鬼をしなさい」と厳命されました。もちろん、若い私にはその意味するところを深く理解したわけではありません。しかし、師僧の言葉を真摯しんしに受けとめ、できるだけ施餓鬼を修するようになりました。

今は夕食のご飯に汁物を加えて準備し、深夜に境内で施餓鬼の真言をお唱えしています(写真)。

施餓鬼がなぜ功徳があるのかといいますと、ただ施すことに徹するからでありましょう。餓鬼界の亡者に「病気が治りますように」とか、「お金が入りますように」とは祈りません。その無欲さが、かえって大きな功徳を生むからです。つまり、功徳を求めないことで絶大な功徳を生み出すからです。

施餓鬼を修するお坊さんは長命だといわれます。胃腸を患わないともいわれます。お寺の経営もどうにかなるともいわれます。これは施餓鬼を受けた亡者が、食をいただいた御礼をするからです。

お盆も明けますが、私は時節を問わずに、施餓鬼を修すべきだと思っています。功徳を求めずとも、絶大な功徳を生む施餓鬼はすばらしいものです。餓鬼界は熱中症以上の業苦につつまれます。充分な水分を、忘れずに加えましょう。

山路天酬密教私塾

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