厄よけの五節句

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令和2年6月23日

 

そろそろ〈七夕〉の準備をしている保育園や幼稚園も多いことでしょう。七夕は〈五節句ごせっく〉の一つで、暦のうえでの重要な意味があるのです。

なまけ者の節句せっくはたらき」ということわざがあります。普段なまけている者にかぎって、節句の時など世間の人が休む時に、忙しいふりをするという意味です。あるいは逆に、普段怠けていると、世間の人が休む時に休めなくなるという戒めにも受け取れます。つまり節句は本来、季節の節目として仕事を休む日であったのです。なぜなら、この日は奇数(陽数)どうしが重なり、陰に転ずるために〈厄よけ〉をする必要があったからです。

数にはもちろん奇数と偶数があります。十進法(0から9までに位をつける数の表記)での奇数が〈陽〉で、偶数が〈陰〉です。ですから単数で月日を示せば、一月七日(七日正月・七草ななくさ)・三月三日(桃の節句・ひな祭り)・五月五日(端午たんごの節句・子供の日)・七月七日(七夕・星祭り)・九月九日(菊の節句・重陽ちょうよう)となり、これが五節句です。一月一日は元旦なので、一月七日を〈七日正月〉と定めました。これらの日はすべて奇数(陽)が重なり、陰に転じて災いをまねくと恐れられたのです。したがって、現在では国民的なお祝いの意味で過しますが、本来は厄よけをして災いをはらう日だったのです。

一月七日の〈七草ななくさがゆ〉は平安時代、病気にならぬよう嵯峨天皇に薬膳やくぜんを献上したことから始まりました。三月三日の〈桃の節句〉は桃の木に魔よけの意味があるからです。〈ひな人形〉も、本来は紙で作った人形に名前を書いて川に流しました。つまり、みそぎだったのです。五月五日の端午は〈五月病〉への厄よけです。季節の変わり目で病気になりやすいため、清めの菖蒲しょうぶ湯に入り、菖蒲酒を飲み、菖蒲枕で眠りました。また、男の子の髪には菖蒲をまいて成長を祈りました。七月七日の七夕は織姫おりひめ彦星ひこぼしの伝説から、二人が会ってと疫病が流行はやらぬよう祈願をしたのです。これが転じて、天の川に願いごとをするようになりました。九月九日の重陽は、最大の陽数である九が重なるため、菊の花で邪気を祓ったのです。菊の花が香る中、月をながめながら菊酒を飲む〈菊花の宴〉は天武天皇の飛鳥時代から行われていました。

ただし、これらの五節句は、正しくは旧暦(約一ヶ月遅れ)でのお話です。現代(つまり新暦)の三月三日に桃の花は咲きません。花屋さんで売っている桃の花は温室で栽培されたものです。また現代の七月七日ではまだ梅雨も明けず、天の川など見えません。しかし、こうした千古の伝統が受け継がれることは、この国の文化です。新しい祝日を増やすなら、どうして伝統ある五節句を加えないのでしょうか。私は以前から、このことが大変に不満でした。

山路天酬密教私塾

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