令和4年3月2日
姓名判断について、皆様にお話したいことは他にもあります。
たとえば、人の名前というものは、ケチをつけようと思えば、いくらでもできるということです。一つの流派では良いとしても、別の流派で見れば、たいていは弱点が見つかります。また、陰陽の配置、五行の生尅 、天地の順逆、音の霊導、同数衝突、凶意文字、破壊数など、言い出したらキリがありません。
なぜこんなお話するのかといいますと、よく人の名前にケチをつけては改名を迫ったり、高額な印鑑を強要したり、開運のグッズを売りつける業者がいるからです。これは一種の脅しであって、人を開運に導く業務ではありません。
姓名判断には多くの統計があり、また、よく当たることも事実です。しかし、名前だけで人生のすべてがが決定するわけではありません。自分の名前のことで悩んだ時には、一度ご相談いただきたいと思っています。
著名な方でも、名前の画数が悪い方はたくさんいます。失礼ではありますが、たとえば稲盛和夫・小泉純一郎・長嶋茂雄・鈴木一朗(イチロー)といった方々は、私が見ても決して良い画数とはいえません。つまり、こうした方々は、名前の画数に関わらず、それ以上に血の出るような努力をなし、人に希望や喜びを与えた徳があるということなのです。
反対に、たとえば俳優女優や歌手の多くは、姓名判断による立派な名前で仕事をしています。しかし、その中から生まれるスターはごくわずかに過ぎません。これは、どんな立派な名前を持っていても、それにふさわしい努力と徳がなければ夢は叶わないという証明です。
私はよくお話をするのですが、仮に宝くじで一億円が当たったとしても、それを受け取るだけの何かを世の中に提供しなければ、必ず不幸になることを知らねばなりません。つまり、一億円の収入を得る人は、それだけの努力をなし、それを受け取るだけの徳を持っているという意味なのです。姓名判断による吉数の名前も、また同じであると心得ましょう。