情けは人のためならず

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先祖供養

令和5年7月2日

 

あさか大師では昨日と今日、早くも盂蘭盆うらぼん(先祖供養)を挙行しました。たくさんのお盆塔婆とうばが並び、たくさんのお供えが並び、僧侶とご信徒がいっしょに読経を唱和しました。そして法要の後、今度はお施餓鬼せがきの作法を全員で実修し、餓鬼界がきかいの霊を救済しました(写真)。

私はよく、現代人の多くは餓鬼界に堕ちるのではないかとさえ思っています。それは死後においてばかりではありません。生前において、すでに餓鬼界の亡者であるからです。餓鬼界の亡者とは、いくら手に入れても足りることを知らない貪欲どんよくな人たちです。現代の生活は何かとお金がかかります。お金がなくても幸せになれるとは言いがたい仕組みの中で生きています。だから、お金の亡者が増え、まさに餓鬼界の様相を呈するのです。

ところが、お金は人が喜ぶこと、人が便利に想うこと、人が得することを与えねば手に入りません。つまり、ほどこしをしなければ手には入りません。だから、お金を手に入れるには餓鬼界の亡者とは反対の生き方をする必要があるのです。必要があるのに、多くの人はこの道理がわかっていません。

私は20代で仏門に入りましたが、師僧からきびしくいましめられたことは、「毎日お施餓鬼をしなさい」ということでした。施しを続ければ、何とかしてお寺をやっていける、食べていけるということでした。私はこの戒めが忘れられず、毎日の夕飯時や深夜にお施餓鬼をすることを日課にしています。

このことは僧侶としての戒めにとどまらず、施すことの功徳を考える大きなヒントでもありましょう。「情けは人のためならず」といいます。人のために情けをかけて施しをすれば、他人のためではなく、めぐり巡って自分のためになるという意味です。餓鬼界の様相を呈する現代生活において、これほど大事な教訓はありません。

しかし、自己啓発をして「施しをしよう」と思っても、現代の仕組みの中ではなかなか実行できません。だからお寺での法要やお施餓鬼が役立つのです。いっしょに参加していれば、おのずから施しができるようになります。言葉を超えた力が、ここにあるからです。

あさか大師に檀家だんか制度はありません。つまり、お檀家さんはいません。宗派も問いません。皆様それぞれに、「古き相伝と新しき正統」を求めて集まっています。先祖供養をしたくても相談するお寺がない方、費用が心配な方、ホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。ちなみに、あさか大師の先祖供養は一ケ月2千円で続けられます。

山路天酬密教私塾

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