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信仰
令和2年11月6日
先日、六地蔵のお話をしました。
あさか大師でその六地蔵をお祀りすることとなったわけですが、気になるのはその並べ方です。近辺のお寺や墓地を調べましたが、まったく統一されてはいません。ちょうど法友の一人が、自坊の六地蔵を並べ変えるにあたって、その詳細を調べたそうなのです。その資料も送っていただきました。
しかし、確たる結論には至らなかったらしく、あちこちにありながら、まったく奇妙としか言いようがありません。もちろん、いろいろな経典にそれぞれの名称や持ち物が説かれています。たとえば『覚禅鈔』という経典を開きますと、「大定智悲地蔵・大徳清浄地蔵・大光明地蔵・清浄無垢地蔵・大清浄地蔵・大堅固地蔵」という立派な名前がついています。ところが、その持ち物の記載が、一般に普及している六地蔵のそれには一致しません。たとえば、両手で合掌していたり念珠を持っているお姿がありますが、経典にそのような記載がないのです。
私はさらに探求し、民俗学や歴史学の視点からも調べてみましたが、結果は同じでした。六地蔵のことを論じた書籍がないかを古書店にも問い合わせましたが、ないことが不思議であるかのような返答でした。つまり、あまりにも身近な民間信仰であるためか、真剣に研究した方が少なかったということなのでしょう。
すでにお祀りする場所も定め、年内にも安置したいと思いつつ、法友と同じ疑問に悩む結果となりました。それでも、可能な限りは調べましたので、それにしたがって並べるつもりです。完成しましたら、写真も含めてこの「法話ブログ」に公開いたします。もうしばらくお待ちを。