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仕事
令和2年2月9日
私の郷里(栃木県芳賀郡の農村)では二月八日を「事はじめ」といい、奇妙な風習がありました。この日は厄病神が村々を訪ね歩くとされ、家では竹ザオで目籠を屋根上に揚げていました。目籠というのは編み目(まなこ)の荒い竹籠のことで、これを「大まなこ」と呼んでいました。厄病神は「一つ目小僧」であるとされ、それに対抗するためであったようです。
そして、この日の朝食には必ずそばがきを食べました。そばがきの粘着力には呪力があるとされていたからです。父は仕事に行く前に、私は学校へ行く前に、祖母が作ったそばがきを食べたものでした。
また、この日は針供養の日とされ、一切の針仕事を休んだものでした。一年使った針を豆腐にさして川に流したり、神社に納めました。昔の和裁学校ではこの風習があったらしく、これで裁縫の上達を願ったようです。そして、ご馳走を持ちよって会食したとも聞きました。針に対する畏敬の思いがあったのでしょう。
現代人はこんな風習を笑うでしょうか。もちろん、こんな風習は昔の語りぐさで、もの笑いかも知れません。しかし、自然に対し、また道具に対し、謙虚であったという一語につきましょう。そして、生きることは何かの世話になるものであるという、人としての理念があったのです。子供の頃の風習も、いま考えると、なるほどと思うものです。