続・お金の教訓

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社会

令和2年10月21日

 

ある弁護士さんから、「お金の流れを調べると、事件の真相が見えてきます」というお話をうかがったことがあります。つまり、人はお金のためには犯罪すらも犯すという意味なのでしょう。お金はそれほどに人間の根底、あるいは欲望の根底に関わるものともいえるのです。お金が悪いのではなく、それを扱う人間が善悪を左右するからです。

お金をあの世に持ち越すことはできません。にもかかわらず、人は一生のほとんどをお金のために費やします。お金のために汗を流し、お金のために苦しみに耐え、お金のためにイヤな人ともつき合います。時にはうそをつき、だまし、裏切うらぎります。それでも、お金はあの世では何の役にも立ちません。むさぼりやいかりの傷跡こんせきをかかえ、その心相を持ち越すだけなのです。

遺産争いもまた、悪い痕跡を残します。幼い頃は仲よく遊んでいた兄弟も、親の資産がからむとたちまちに争いとなります。裁判を起こしてでも、少しでも多くを欲しいと主張します。だから、子供のためを思うなら、美田びでんを残してはなりません。資産をあてにするほど子供が、その資産を守れるはずがないからです。

親しい友人どうしも、お金の貸し借りをすれば友情はくずれます。そして、貸したお金はなかなか帰っては来ません。すぐに返せるほどなら、まざわざ借りるはずもないからです。お金を貸すなら、差し上げるほどの気持で渡すことです。

お金の盗難や詐欺さぎにあったら、それは失ったのでなく、「返した」と思うことです。虚空蔵こくうぞうという〝宇宙のくら〟に返したからです。自分が所有しはならない何かの理由があったのです。だから仏教は、「この世で所有するものは何もない」とさとすのです。虚空蔵からあずかっているに過ぎないという意味です。お金は「天下の回りもの」と言うではありませんか。

山路天酬密教私塾

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