誰のおかげ、何のおかげ

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人生

令和2年3月30日

 

人の一生がどれだけ幸せであるかに口をはさむとすれば、私はどれだけ感謝ができるか、という一点に尽きると考えています。なぜなら、感謝ができる人ほどよく笑い、親切を心がけ、人にも好かれ、何かのおりには助けられ、要するに幸せな一生だといえるのではないでしょうか。また、このように断言するのは、逆のこと考えればわかるからです。

あまり幸せではないと思われる人は、まず感謝という気持がなく、それを言葉に出すこともありません。そして、自分の不運を必ず身辺の人や世の中のせいにします。自分がこの程度と思っても、それが誰のおかげ、何のおかげだということがまったくわかっていません。その不満こそ、不運の理由なのだと私は考えています。

もちろん、私も若い時からこのように考えていたわけではありません。幸運は自分の能力や努力の結果だと考えていたわけで、人生を正しく見ていたとは思えないからです。しかし、そんな気負いがあったからこそ、今になって感謝の大切さ、奥深さを感じるのかも知れません。

私は感謝すべきことが何ひとつない人など、この世に生きているとは思えません。誰のおかげ、何のおかげでここまで生きてきたかを思えば、必ず感謝の気持ちがくはずです。大胆に申し上げれば、感謝こそは最後まで残る心の真実、魂の躍動やくどうだと思うのです。

さらに申し上げれば、私ほどの年齢になれば、その人生が顔や姿に現れます。その年齢を超えて美しいと思える人は、その与えられた人生に対して感謝ができる人なのです。それは健康であるか病弱であるか、富裕であるか貧困であるか、学歴があるかないか、才能があるかないかとも無縁のことです。それはただ、その人の心にどれだけの感謝があるかで決まるのです。

感謝は人として、心の最高の姿です。感謝を心がけ、誰のおかげ、何のおかげと思える人にはお香のようなかおりが漂います。もしや、三千世界の仏さまのようです。

山路天酬密教私塾

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