令和元年8月4日
炎天下の中、今日も月初めの総回向・光明真言法要にお集りいただきました。
法要の最後に、〈光明真言和讃〉という、その功徳を称えた歌詞を唱えるのですが、皆様が大変に慣れ、またお上手になりました(写真)。
この法要には、僧侶の方も会員になっていらっしゃいます。私は僧侶の方にこそ、 この光明真言の行法を修していただきたいと、日頃から切に願っています。なぜなら、僧侶の方(特にご住職)は檀家の葬儀・法事には熱心ですが、ご自分の家や奥様ご実家の先祖に対して、あまりにも無頓着であるからです。
もちろん、お寺にも家の仏壇があるでしょうし、先代の回忌法要などはなさるでしょう。また、たいていは奥様が、毎日のお水やお茶のお供えぐらいはなさっています。しかし、それ以上のことには熱心ではありません。
そもそも、人はこの世とあの世を共に生きているという発想がありません。私たちは眼には見えず、耳には聞こえずとも、あの世と共に生きており、あの世そのものが〝ここ〟にあるという視点を持っていただきたいのです。回忌だから法要をするのではなく、いのちの根本に対する日頃からの配慮が必要なのです。
私たちは男性なら母方に、女性なら父方に、必ず似たような性格、似たような体質の方がおります。これは死亡によって終ったのではなく、いのちを継続をしているという事実にほかなりません。
私の寺へお越しになった僧侶の方にこのことをお話し、図(ホームページ先祖供養を参照)でも説明しますと皆様が納得され、熱心な会員になってくださいます。
私自身も最近『光明真言法』を出版し、その普及に励んでいますが、この件はまた明日にでもお話しましょう。夜になっても、なかなか涼しくなりません。水分・塩分・クエン酸の補給、お忘れなく。