陽徳と陰徳
令和7年3月25日
前回、徳を積むことの大切さをお話しました。そして、人生の最後に残るのは与えたものであり、その功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の財産であるとお話しました。
このお話をさらに続けますと、実は、徳には〈陽徳〉と〈陰徳〉があります。陽徳とは社会に知られる徳のことです。多額の寄進をして、名前が知られるなどはその代表でしょう。社会のために寄進をするのですから、もちろんこれは立派な徳になります。
しかし、さらに大きな徳とされるのは、社会に知られず、人知れずに積む徳であって、これを陰徳といいます。物を差し上げたり、親切を尽くしても、人に知れ渡ったり、謝礼を受け取ったりしない徳のことです。
この陰徳を積むことは、その人の人格を高め、運命をも変える力になるとされ、これを記録した書籍が『陰隲録』で、日本では安岡正篤先生により致知出版社から刊行されています(写真)。
ただ、陰徳が積めるようになるには、陽徳から積む方がよいと、私は考えています。私たちは凡人です。高遠な理想をいだくより、社会に喜ばれること、誰でも実行できることから心がけましょう。
まずは努力して行い、次には慣れて行い、最後には楽しんで行えれば、陰徳に行き着くはずです。謝礼も名誉も考えずに、楽しんで陰徳が積めれば、すばらしい人生になることは間違いありません。
一食布施のおすすめ
令和7年3月23日
あさか大師では「一食布施」をおすすめしています。これは一食分ほどの食事代を恵まれない方々に布施し、功徳を積んでいただくための運動です。本堂内に専用の募金箱を設け、お参りの皆様に投入していただくのですが、遠方の皆様には郵送でも受付けています(写真)。
私たちは何かを得ると喜びを感じますが、さらに大きな喜びは何かを与えた時に感じるものです。仏教ではこれを「喜捨」といい、喜んで捨ててこそ最高の喜びであると教えています。なぜなら、人生の最後に残るのは与えたものだからです。しかも、その功徳こそは、あの世に持ち越せる唯一の財産となるからです。
あさか大師ではこれまでにユニセフや日本赤十字社を通じ、被災地等の救済に役立ててまいりました。わずかな金額であっても、皆様の功徳が人生に輝くことを念じてやみません。ご希望の方には振込用紙を郵送いたしますので、ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。
左右のどちらが上座か?
令和7年2月26日
江戸時代の雛人形を飾りました。お雛様にはかんざしもついていたのでしょうが、今は紛失してしまいました。現代のお顔立ちとは違い、古風なおもむきを残しています
ところで、現代の雛人形の飾り方ですが、関東では向かって左側にお内裏様、右側にお雛様、関西(特に奈良・京都)ではその逆にします。その根拠を簡単にお話をしますと、関東は西洋式、関西は中国式であり、古来の日本式だからです。上記の写真も古来の日本式で飾りました。時代劇での婚礼も同じです。
現代の結婚式は向かって左側に新郎が、右側に新婦が坐りますので、これは西洋式に従ったものです。つまり、西洋では向かって左側を上座としたのです。
ところが、仏教では本尊様から見て左側を上座とするため、向かって右側が上座となりました。これが中国式であり、古来の日本式です。京都御所に向かって右側が左京区、左側が右京区となるのもこのためで、これは天皇様から見て左の上座を左大臣、下座を右大臣の席としたからです。
ちなみに、夫婦の位牌はもちろん、古来の日本式です。夫は向かって右側と覚えましょう。上座下座はややこしいお話になりますが、以上のことは、ぜひ覚えておいてください。
「一食布施」のおすすめ
令和7年2月25日
あさか大師では、ご参詣の皆様に「一食布施」をおすすめしています(写真)。一食布施とは自分の一食分ほどの食事代を、恵まれない方々、被災地の方々などに役立てていただくために布施をすることです。
これまでにも、ウクライナの戦災地、熊本や能登半島の被災地に、ユニセフや日本赤十字社を通じて寄進を重ねました。
仏教では〈喜捨〉という言葉があります。文字どおり喜んで捨てること、つまり、喜んで与えることが仏さまの慈悲であるという意味です。
私たちは自分が何かを得ることによって、喜びを得ます。しかし、本当の喜びとは、得ること以上に、与えることによって得られることを教えています。得る喜びから与える喜びが、仏教の慈悲であり、喜捨であるからです。
思いやりを示すことや、やさしい言葉をかけることも大切ですが、この世の中はお金もまた大切です。月に一度、一食分の食事代を、ぜひ一食布施にお使いください。
一食布施は寺務所のカウンターに設置されています。地方の方はご送金いただければ、これに投入いたします。得る喜びから与える喜びを体験していただきたいと思います。
10月の伝道法語
令和6年10月9日
10月の伝道法語です。
人にはいろいろなタイプがありますが、大別して「世間通と人間通」といった分け方があります。世間通は文字どおり、社会に通じた人といえます。情報に明るく、仕事もできて、いわゆる世渡りのうまい人でしょう。
それに対して人間通は人を見る眼がある人、人間の本質をよく知っている人です。もちろん、いずれにも通じていれば申し分がありませんし、そういう人がいることも事実でしょう。
しかし、世間通も人間通も、その視点はあくまでも他人です。ほんとうにむずかしいのは、自分を知る「自分通」ではないでしょうか。他人を知れば知者ですが、自分を知れば覚者となり、仏教では悟れる人を指すのです。
10日遅れの彼岸花
令和6年10月2日
あさか大師の桜並木に、彼岸花が咲きました。今年の暑さのため、お彼岸より10日も遅れての開花です(写真)。かつては「お墓の花」と呼ばれ、縁起が悪いと思われていましたが、今や各地の群生地は大人気です
日本は春彼岸には木蓮が、お盆には蓮が、秋彼岸にはこの彼岸花と、いずれも仏の花が咲く「仏の国」です。聖徳太子以来、神を父として、仏を母として習合してきました。
神棚を敬い、仏壇を拝み、親がその親を大切にする姿を見せることが、子供に対する家庭教育の根本です。だから、「親の背中を見て育つ」のです。言葉でいうより、その背中を見せることが大切です。
お近くの方はぜひお越しください。10日遅れの彼岸花です。
一食布施の功徳
令和6年8月11日
あさか大師では「一食布施」をおすすめしています。これは月に一度、一食分の食事代を布施するもので、どなたにでも無理なく布施の功徳を積むことができます(写真)。
すでに、元旦の能登半島地震の被災地に対して、お見舞い状を添えて124542円を送金しました。そして、この度は山形県豪雨被災地と南海トラフ地震被災地に対して、110432円を送金しました。また地元のお寺や知人に対しては、早々にお見舞いのメールを発信しました。
仏教は布施をもって修行の根底とします。なぜなら、本尊さまへのお供えも読経も、人に対する挨拶も親切も、先祖への供養も、身辺の清掃も、すべてこれ布施にほかならないからです。そして布施こそは、あの世に持ち越せる唯一の財産であるからです。お金も地位もあの世には持ち越せませんが、生前の布施による功徳だけは、魂となっても残ります。
だから、私は多くの方々に「一食布施」をおすすめしています。お願いしているのではありません。功徳が積める、この上ない善行をおすすめしているのです。ご希望の方はホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。振込用紙をお送りいたします。また毎月の先祖供養をなさっている方は、黄色い用紙にお書き添えください。
被災地の方々には謹んでお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復興を願っております。
「足ることを知る」の本当の意味
令和6年5月31日
京都の龍安寺に変ったつくばいがあります。「吾唯知足(吾れ唯だ足ることを知る)」の四文字が、〈口〉の字を中心に右回りに配置されたユニークな逸品ですが、ご覧になった方も多いと思います(写真)。
ところで、「足ることを知る」とはどういう意味なのでしょうか。一般には「欲をかかずに、与えられたもので満足しなさい」といった教訓として知られています。〈小欲知足〉などといいますよね。いわゆる清貧の思想です。
しかし私は、どうも腑に落ちません。仏教はそんな程度の教えとは思えないからです。お大師さまはズバリ、「眼あきらかなれば、途にふれてみな宝なり」とおっしゃっています。つまり、しっかりと目を開ければ、いたるところに宝があるということなのです。小欲どころではありません。
私は窮地におちいった時、この言葉にどれほど励まされてきたことでしょうか。活路は必ずあるのです。乗り越えられない苦しみを、自分が背負うはずはないと信じることです。ただ、気持ちが落ち込んだり、ヤケをおこしていると、その足元の宝、つまり窮地を乗り越えるヒントが見えません。
足元をしっかりと見ましょう。宝ともいえるヒントが必ずあります。その宝を見つけ出した時、人は足ることを知るのです。思い浮かんだ人がいたら連絡しましょう。故郷に帰って墓参をしてみましょう。久しぶりに書店をのぞいてみましょう。眼を開けば、そこに宝があるのです。
「一食布施」の義援金
令和6年1月17日
元旦から皆様に呼びかけておりました「一食布施」による能登半島大地震の義援金(124452円)を、石川県の被災地委員会に送金しました。「一食布施」とは一食分ほどの食費を施す運動で、あさか大師にお参りした方々にお願いしているものです(写真)。
人は何かを手に入れるために生きていますが、本当の喜びは与えることにあると仏教は説いています。これを〈布施〉ともいい、〈喜捨〉ともいいます。喜捨とは喜んで捨てるという意味ですが、捨てるとは、つまり与えることです。与えることに喜びを感じる時、人は得ること以上に心の充実を味わいます。この喜びを味わった時、その魂は一段と清まるのではないでしょうか。
まもなく大寒を迎え、被災地の皆様の困窮は察しても余りがあります。一日も早い復興をお祈りいたしますとともに、引き続き「一食布施」のご協賛をお願いしたいと思います。〈断捨離〉の理念は、家の中に限らず、私たちの心の中でこそ生かしたいものです。捨てることで得るものこそ、至上の宝です。
人は「動かせる」ものか
令和5年9月22日
本棚を整理しましたら、D・カ-ネギー著の『人を動かす』(創元社)が出て来ました。著者は二十世紀のアメリカにおける人間関係研究の先駆者で、同著は世界的なベストセラーとなりました。私も若い頃に赤線を引いて何度も読んだ、なつかしい本です(写真)。
どんなことが書いてあるのかを簡単にお話しますと、第一部は「人を動かす三原則」、第二部は「人に好かれる六原則」、第三部が「人を説得する十二原則」、そして第四部が「人を変える九原則」です。たとえば、第二部においては「議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける」に始まり、「誤りを指摘しない」「こころよく認める」「おだやかに話す」「相手にしゃべらせる」「相手に思いつかせる」「対抗意識を刺激する」などといった項目を並べて解説しています。
たしかに、議論に勝ったからといって、相手の感情を傷つけるばかりですし、相手の意見をさえぎる人は好かれません。また人を叱ったり、注意を与えるといいながら、ほとんどは腹を立てて怒っているに過ぎません。こうした対人関係の悩みに対して、この本は確かに大きなヒントを与えてくれます。
ただ、私の意見を一つだけお話しますと、人は「動かせる」ものでしょうか。人は「動かす」ものではなく、「動いてもらう」という考え方のほうがよいように思います。人を手品のように操って動かすのではなく、自分から動いてもらえる関係を築くことが大切でしょう。そのためのノウハウは、この本の中にもたくさんあります。
動かしたかったら動いてもらいなさいという逆発想こそ仏教的でありますし、『般若心経』の教えでもあります。久しぶりに手にした本から、そんな感想が湧きました。皆さん、いかが。