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人生を変える先祖供養の法要

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先祖供養

令和5年11月5日

 

あさか大師では昨日と本日の午後1時、総回向そうえこう(先祖供養)の法要があり、たくさんの方がお参りをなさいました(写真)。皆様がお参りをなさる趣旨は、単なる年回忌ねんかいきやおとむらいではありません。皆様それぞれがご自分のルーツである父母の両家を供養し、ご自分の人生を変えることを目的にしています。

 

また、あさか大師では僧侶だけが読経をするのではなく、お参りの方が全員で経典を唱和します。一家のご主人、主婦、学生さん、ОLさん、子供さんやお孫さんまでが、みな真剣です。そして、密教の行法を修するプロのお導師と共に、その祈りを融合させています。また普段の日は、お導師である私の祈りがご自宅に届くよう、五輪の供養紙に浄水をお供えいただいています。

すなわち、あさか大師の〈人生を変える先祖供養〉は、①父母の両家を供養すること。②密教のお導師と共に祈りを融合させること。③毎日これを継続させること。この三つに特徴があります。自己啓発も自律訓練法も、吉方や開運グッズもそれぞれに長所がありますが、人生の根本はやはり、先祖との霊的関係にあるのです。樹木にたとえれば、根の養いにあるといえましょう(だから根本といいます)。

私たちの一人の努力など、たかが知れています。偉大な仕事の背後には、必ず先祖の守護霊が働いています。新しい人生を目ざす方は、このことを得心すべきです。皆様との出会いをお待ちしています(ホームページ参照)。

続々・あの世に持ち越せる唯一の財産

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令和5年10月31日

 

現代人は概して、死後の世界への関心が薄いのではないでしょうか。死後の世界への関心は、この世における道徳観そのものであり、それが生き方の規範でもあります。昔の人々はどのように死を迎えるかが、どのように生きるかの規範でありました。生きることとは、刻一刻が死に向かっての旅であります。

もちろん、死後の世界など信じない、死と共にすべては無に帰するのだと考える人が多いことも事実です。ただ、ひとこと申し上げますが、死と共にすべてが無に帰するなら、死そのものを確認することができません。したがって、死後の世界など〝ない〟といい切ることも確認できません。すべてが無であるのなら、当然のことです。それでも意識が働いている時、どうするのでしょうか。

「地獄極楽絵図」のお話をまた続けますが、ちょっと気になるのは絵図の中央に〈心〉の文字が大きく書かれ、それが放射状の線によって十界じゅっかいに直結していることです(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。

十界とは地獄・餓鬼がき・畜生の三悪道と修羅しゅら・人間・天の六道ろくどう(迷いの世界)に、声聞しょうもん縁覚えんがく・菩薩・仏の四聖ししょう(悟りの世界)を加えた十段階の世界をいいます。つまり、これらはすべて自分の心が作り出し、自分の人生を選択し、あの世で住む世界も決定するということなのです。

ただし、人の心は一様ではありません。この世にも地獄はありますが、逆に仏もいるのです。十界はすべての人の心に共存しています。仏教ではこれを〈十界互具じゅっかいごぐ〉という言葉で表現しています。

皆様はいかがでありましょうか。ご自分の心の十界が見えますでしょうか。恨みをいだけば地獄となり、強欲に走れば餓鬼となり、理性を失えば畜生となります。しかし、仏の教えを学ぼうと思えば声聞となり、慈悲をほどこせば菩薩となるのです。だから、地獄の罪人も仏になれるかも知れませんし、仏のように慕われる善人も、何かの拍子に地獄に落ちるかも知れません。絶対の悪人もいなければ、絶対の善人もいないのです。

だからこそ、私たちは仏教のご縁に触れ、仏像のお姿やお香のかおりで心相をいやし、礼拝や読経によって身体を正すことが大切です。ただの気持ちだけでは、何の実績にもなりません。そして、親切を心がけ、ほどこすことを喜び、先祖には感謝の供養を重ねることです。このくり返しこそ、お金では買えない人生の宝物でなくて何でありましょうか。そして、あの世に持ち越せる唯一の財産でなくて、何でありましょうか。この財産を手にした時こそ、皆様は人生における最も大きな幸せを得るのです。

続・あの世に持ち越せる唯一の財産

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令和5年10月29日

 

「地獄極楽絵図」によりますと、奪衣婆だつえばの次はいよいよ閻魔えんまさまのおさばきを受けねばなりません。絵解きをしますと、閻魔さまの横には〈ごうはかり〉があり、死者の悪業の重さを計っています。下げられている大岩よりも死者の方が軽いとよいのですが、ほとんどは死者の方に傾き、順番を待っている他の死者も気が気ではありません。

その反対側にあるのが〈浄玻璃じょうはりの鏡〉です。これは死者の生前のすべてが写し出されますので、うそを言ってもすぐにバレてしまいます。「うそをつくと閻魔さまにしたをぬかれる」といった言い伝えは、ここから来ているのです。この死者は、読経をしている僧侶に刃を向けるという大罪を犯したのでした。つまり、この浄玻璃の鏡には死者の本性、心の様相が真実のままに再現されるのです。そして、あの世でどのような世界に行くかが決定します(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。

皆様はいかがでありましょうか。こんな絵図は昔の人の、とんでもない作り話だと思うでしょうか。しかし、こうした絵図によって、長く日本人の生死観がはぐくまれ、それが人生の道徳観となって来たことは間違いありません。また、奪衣婆や閻魔さまの出現に違いはあっても、似たようなお話はたくさんあります。

たとえば、スエーデンボルグ(18世紀における最高の霊媒れいばい)の『私は霊界を見て来た』(叢文社)によりますと、閻魔さまに代って〈検査の霊〉が現われ、浄玻璃の鏡に代って「ペラペラと本のページがめくられる」と表現されています。自分の一生が一冊の本となって示されるということです。この世とあの世は時間の次元が異なりますので、80年の生涯であっても、一瞬のうちに再現されるのでしょう。

こうしたお話を考えますと、この世もあの世も、要は自分の生き方が自分の人生を決めるということです。仏教徒は常に〈十善戒じゅうぜんかい〉をお唱えしますが、お唱えするだけではすまされない理由がここにあります。悪いことはできません。この世の功徳だけがあの世に持ち越せる唯一の財産です。善事を積んで、先祖供養(ホームページ参照)に努めましょう。

あの世に持ち越せる唯一の財産

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令和5年10月27日

 

私たちの生命は、死によって終わるのではありません。それは新たな人生の門出であります。往生おうじょうとは「って生きる」の意味であることからも、ご理解いただけましょう。

だからこそ、私たちはあの世のことを考えながら、この世を生きるべきなのです。そして両親や祖父母の死を見て人生の無常を知り、それを子供さんやお孫さんに見せることが大切です。

昔のお寺では「地獄極楽図」を絵解きして、あの世の法話をしたものでした。あんなものは作り話だと思う方もおりましょうが、最近はこの種の絵本がかなり売れています。それは、臨死体験やあの世についての研究が進むにつれ、やはり昔の人の英知はすばらしいとの再評価をしているからでありましょう。

たとえば、この世で死を迎えて〈三途さんずの河〉を渡ると、奪衣婆だつえばがいて着ている衣服を脱がせて木の枝にかける場面があります(写真・熊野観心十界曼荼羅より)。

これはあの世においては、この世での地位も名誉も財産もすべてを捨て去り、人間としての真価が問われるプロセスを象徴的に表現したものです。その真価とは、この世での生き方をトータルした〈功徳〉だけが問われるという意味です。功徳が生命の本体となり、心の様相となり、オーラとなって問われます。あの世に一万円札を持っていくことはできませんし、持っていっても何の役にも立ちません。

あの世に持ち越せる唯一の財産は、この世で積んだ功徳であり、また功徳の欠小を補ってくれる遺族の〈追善ついぜん〉しかありません。追善のパワーはあの世に往ってからの強力なサポートですから、生前から自らも実行し、また伝えることが肝要です。お葬式の大切さも、先祖供養の大切さもそこにあります。ただし、単なる読経だけではパワーが足りません。真言の秘密行法によってこそ、最勝の追善となることもご承知おきください。

こうしたお話をしながら、私は毎日の先祖供養に励んでいます。皆様もぜひご参加ください。「お問い合わせ」を歓迎いたします。

続続・光明真言の威力

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令和5年10月8日

 

光明真言のもう一つの威力は〈土砂加持どしゃかじ〉にあります。美しい〈お土砂〉を光明真言で加持すると、その一粒一粒が如意宝珠にょいほうしゅとなって、この世の人もあの世の人も共に救われるからです。

私は毎日の先祖供養の折に光明真言を百八遍お唱えして、いつもお土砂を加持しています。そして、毎年3月21日の正御影供しょうみえく(お大師さまご入定にゅうじょうの日の法要)にお配りしています(写真)。

経典には、「これを散ぜば地獄の中、餓鬼がきの中、もしくは修羅しゅらの中にあっても、この神通威力をもって罪を除き、極楽浄土の蓮華に化生けしょうする」とあります。仏さまの慈悲の功徳が、これほどに示された言葉はありません。私はただただ「ありがたい」という気持ちで、いつもお唱えしています。

そして、葬儀があった場合はひつぎの中に、墓参の折には周辺に、そのほか交通事故のあった場所、不浄の場所に光明真言をお唱えしながら散じるようお話をしています。不思議な霊験はいくらでもあります。これを手にする人は如意宝珠を得たも同然なのですから、どんな金銀財宝も及ぶところではありません。

たとえ私に功徳が足らなくとも、仏さまの本願はかぎりなく深いのです。その威力は疑いようもないのです。皆さん、どうかこのことを信じて、私と共に先祖供養に励みましょう。

続・光明真言の威力

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令和5年10月4日

 

先祖供養に何の真言(マントラ)が最も威力を発揮するかといいますと、それは光明真言こうみょうしんごんです。経典の説かれていることですから、間違いありません。そして、その光明真言を象徴したものが五輪塔ごりんのとうです。

あさか大師の回向殿えこうでんにはこの五輪塔を安置し、私が毎日の供養に勤めています(写真上)。一日も欠かしません。そして、その祈りが皆さまのご自宅に届くよう、五輪のお札(供養紙)をおまつりいただいています(写真下)。

 

五輪塔にどんな功徳があるかといいますと、まず仏さまそのものの功徳があります。なぜなら、塔を建てることは仏さまの功徳がいっぱいにつまって、仏さまを造ることにも等しいからです。

次に追善ついぜんの功徳があります。ご先祖に善事ぜんじが足らないとしても、皆さまが善を追い、善を送ることができます。なぜなら、この世の皆さまに善事が足らないとしても、光明真言をお唱えすることは、最高の善事となるからです。

そして最後に、先にお話をしましたように、象徴の功徳があります。お大師さまが高野山を開創するにあたって、最初に根本大塔こんぽんだいとうを建立したのもその意味です。本堂(金堂こんどう)以上に大切なのが塔なのです。本来のお寺は中心に塔(ストゥーパー)を建てるべきなのです。

あさか大師に直接お参りができない遠方の方には、功徳がいっぱいにつまった供養紙を毎月お送りしています。皆さまも、ぜひご参加ください。

光明真言の威力

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令和5年10月1日

 

あさか大師では昨日と今日、総回向そうえこう法要を挙行しました。そして、参詣の皆様が全員で読経し、堂内に光明真言こうみょうしんごん(如意宝珠のマントラ)の威力いりき遍満へんまんしました。また、私のブログを読んで、先祖供養をしたい方がわざわざお越しになりました。

何度もお話をしますが、この法要は単なる弔いや回向をするだけではありません。目的はご自分のルーツに光を当て、生きるためのパワーをいただくことにあります。つまり、人生を変えるための先祖供養を目ざしています。そのためには、父母の両家を供養すること。毎日継続させること。プロのお導師といっしょに実修することの三つが大切です。

そこで私(お導師)の祈りがご自宅に届くよう、特別な供養紙をおまつりいただいています。私は毎日、光明真言こうみょうしんごん土砂加持どしゃかじという密教の秘法を修しますので、その祈りがご自宅の供養紙に向かって届くのです。すると、まず人相が変わります。仏さまの功徳をいただきますので、どことなく福相を帯びてきます。また、手相も変わります。運命が変わるのですから当然です。

そのことを、私はいつもお話しています。関心のある皆様は、ホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。一ケ月2000円で、父母の両家が供養ができます。檀家制度も入退の制約もありません。遠方の方は、郵便で実修できます。皆様、楽しみながら新しい人生を目ざしています。

「秋分の日」の本当の意味

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令和5年9月24日

 

昨日は「秋分の日」で、国民の休日でした。関東地方は朝の内は小雨が降りましたが、日中は曇り空で多くの国民はレジャーに出向いたと思います。しかし、秋分の日の本当の意味は、仏教の教えにあります。つまり、昼と夜の長さが同じこの日を仏教の〈中道ちゅうどう〉になぞらえ、彼岸ひがん(やすらぎの世界)に向かうことを実行する意味であるからです。レジャーばかりに浮かれてはいけない中道の教えが、国民の休日にまで生かされているのです。

私が幼少の頃はこの日、国民のみんなが墓参をして秋の空に香煙を漂わせていたものでした。そして、先祖の方々に感謝の回向えこうを捧げました。国民は当然のこととして、それを実行していました。今日の日本の繫栄が、こうした国民の心得とまったく無関係であるはずがありません。

あさか大師ではこの心得を守り、秋彼岸法要を挙行しました。そして、多くの方々が堂内に集まり、僧侶と共に読経し、先祖供養に励みました(写真)。

しかも、あさか大師の先祖供養は単なる回向ではありません。皆さん、この世とあの世は一つであるという理念のもと、「人生を変える先祖供養」としてこの法要に参集しています。この世を〈現世げんせ〉といい、〈うつし世〉ともいいますが、フィルムのあの世がスクリーンにうつし出されてこの世となります。あの世があってのこの世であり、あの世の幸せがこの世の幸せとなるのです。だから、先祖供養は人生を変えるのです。

ブログでこのお話を書くと、多くの皆さんから連絡が来ますが、参加を希望される方はホームページの「お問い合わせ」からご送信ください。供養料は一ケ月2000円ですが、制約は一切ありません。檀家制度もありません。入会退会も自由です。ご連絡を歓迎いたします。

続・この世とあの世は一つです

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令和5年9月5日

 

「あの世はここにありますよ」と、私はいつもお話をしています。ご自分の寝室で眠れば、同じ寝室で目が覚めるでしょう。それと同じことです。あの世に旅立つ時も、病院のベッドに眠っている自分の姿を見るはずです。すべては、そこから始まります。あの世とこの世は、一つとなって始まります。

先祖供養をすると、心が落ち着き、安心を得ます。目には見えず、耳には聞こえずとも、通じ合うからです。あの世とこの世が一つであるからです。樹木にたとえれば、あの世が根であり、この世が幹や枝や実にあたります(下図)。

根の養いこそ大切であるのは、人も樹木も同じです。水や肥料を与え、太陽光のエネルギーを与えねば(つまり、供養をしなければ)枯れてしまいます。もちろん、枝おろしをして風通しをよくしたり、消毒をして害虫を除くことも必要です。たとえば地相や家相のよい家に住んだり、よい名前や印鑑を持つことがこれにあたります。また自己啓発やプラス思考なども同じです。しかし、その根本はやはり、根の養いにあることはいうまでもありません(まさに、根本こんぽんです)。

根はもちろん、一本ではありません。父母の両家があって、それぞれが祖父母、祖々父母へと分かれます。その中の一人が欠けても、現在の私たちはこの世にいません。つまり、自分自身のルーツです。当然のことですが、この当然のことが、意外に理解されていません。僧侶の方々も、ほとんど関心を持ちません。特に母方に対する〈母系供養ぼけいくよう〉を忘れています。

あさか大師に集まる方々は、血系けっけい(この世)がすなわち霊系れいけい(あの世)であることを理解して先祖供養に励んでいます。そして、人生を変え、運命を改善する原動力にしています。皆さんも、ぜひご参加ください。ご希望の方は、ホームページの「お問い合せ」からご連絡願います。

この世とあの世は一つです

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令和5年9月3日

 

あさか大師では昨日と今日、先祖供養の法要がありました。皆さん、1ケ月間ご自宅でお祈りし、お寺での総回向にいらっしゃいました。まだまだ残暑きびしい中、全員が大きな声で読経をする姿は新鮮で、心強いものです(写真)。

「あの世」はここにあります。つまり、この世とあの世は一つなのです。この世にいても、あの世の気配を感じる時がありますし、声や音で知らされることもあります。私などはよく、真夜中にインターホンを押されたり、ドアをノックされたものでした。つまり、私たちはこの世とあの世を、同時に生きているといえるのです。

多くの皆さんが、私のこの考えに共鳴してくださっています。地方の方や僧侶の方すら同じです。このブログを見て、お申込みをする方が増えてまいりました。普通の生活をしながら、無理なく先祖供養ができるからです。

あさか大師の先祖供養は、

①父母の両家を共に供養すること。

②お導師とご信徒が供養の力を融合させること。

③供養は毎日続けること。

の三つに特徴があります。②③については、私が毎日、光明真言こうみょうしんごんの秘法を修しますので、むずかしいことは何もありません。私の祈りが届くよう、簡単なお札(供養紙)をおまつりいただくだけでよいのです。

檀家制度はありません。一ケ月2000円ですが、入会退会についての制約もありません。ご希望の方は、ホームページ「お問い合せ」からご連絡ください。

山路天酬密教私塾

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